★出発の話
 五月も半ばの昼休み。いつものように社内食堂で昼食を済ませた平成●年短大卒同期入社の面々は、休憩室に集まって残りの休み時間を雑談に費やしていた。
 ゴールデンウィークも過ぎた今の話題はもっぱら「次は何を目的に仕事をしていくか」ということ。
「やっぱり次の目標は夏のボーナスかなー」
「うちの会社って遅くない? 七月なんてさ。普通六月ってのが多いよね」
「七月一日か。まだ一ヶ月半はあるね」
「ま、出るだけマシだよ。あたしの友達マジでボーナス無いかもって言ってる子いるもん。それより、やっぱり次の目標は夏休みなのさっ!」
 キッパリ言い切ったのは、同期の中でもその何気ない物言いが鋭いツッコミだと言われている小田蘭であった。
「何? 小田ちゃん予定あるんだ」
「もっちろん。夏休みはメキシコに行く!」
「メキシコ〜〜?!」
 蘭の言葉に他の三人が声を揃えて聞き返した。
「メキシコって、メキシコって、……どこだっけ? ブラジルやらがある近く?」
「そりゃ南米大陸だよ。メキシコは中米。北米と南米を繋いでる細くなってる辺りだね」
 所詮興味の無い人の知識とはこんなものである。
「メキシコって結構危ないんじゃないの? ほら、この間も現地の日本法人社長が誘拐されたりとか」
「うん。でもそれはアメリカとの国境付近だからね。あたしはピラミッドとかの古代遺跡巡りをメインに行くからメキシコ国内でも真ん中辺、メキシコシティから下の部分だからそんなに危ないとこじゃないよ。ま、シティの治安は悪いらしいけど」
「え?! ピラミッドって、じゃあスフィンクスもいる……」
「そりゃエジプト!」
 エジプトはアフリカ大陸、メキシコとは場所も文化も大きな隔たりがある。
「そうだよね、変だとは思ったんだけど、ピラミッドってエジプトだけじゃないんだ」
「エジプトのものとは種類が違うからね、形なんかも違うし。メキシコは遺跡の宝庫だよー。テオティワカンとかチチェンイツァーとか、パレンケなんかジャングルの中にあってその緑とのコントラストが綺麗なんだー」
「うーん、全然分からない……」
 遺跡の名前を言われても何のことか分からない顔をしたのが二人。名前を聞いて反応したのが一人。
「パレンケってメキシコなの?」
「そだよ。知ってんの? ぎん」
 反応したのは前山銀子。入社の時には制服に着けた名札の下に手を添えて「前山です!」と挨拶回りをし、その後も数々のリアクションで周囲を笑いに巻き込んでは他の事業部にまでその名が知れ渡っているという彼女である。もっとも、その殆どが同期の話題提供に因るものであるが。
「何かでパレンケの写真見たことあって、すごい綺麗だなーって思ってたの。ねぇ、そのメキシコ行きって誰と?」
「今んとこあたし一人だけど、興味あるならぎんも行く?」
「行きたい! 連れてってー。……でも何で一人でメキシコ行こうなんて計画したの?」
「だって、今父親がメキシコに海外赴任してるからさ。現地で安く手配してもらえるもんね」
「海外赴任〜〜?」
 またもや全員の声が揃って聞き返す。
「って、話したことなかったっけ?」
「知らないよー」
「ひゃー、カッコいい。国際ビジネスマンじゃん」
「メキシコに赴任なんて、何の仕事してんのよ、親は」
 一瞬騒然となってしまった休憩室であるが、ここで昼休み終了のチャイムが鳴り、時間切れ。各自仕事に戻り、続きは明日となった。


 結局、最初は一人で行こうと計画していたメキシコ旅行は思わぬ同期の参加。話を聞いた銀子の大学時代の友人にも希望者が一人現われ、断わる理由もない蘭が快諾して一気にメキシコ行きメンバーは三人になった。
 蘭の父親には現地で安く航空券やホテルを手配してもらい、出発に際して「持ってきて欲しい物リスト」が送られてきた。

チョコポッキー各種
日本的な小物
日本の流行ポップスカセット
お香セット
湿布薬
カルシウム剤
折り紙(大中小各三○○枚程)
二○○○円〜三○○○円くらいのシャーボ×五本
日本紹介の英文の本(絵・写真の多いもの)×三冊
和紙の折り紙ピアス×一○個
ゴルフボール女性用一ダース
画鋲
ふりかけ各種
押絵一○○○円くらいのもの×五枚
押絵五○○円くらいのもの×五枚
 
「これだけ持って来てくれってさ」
 今回の旅行参加者の顔合わせも兼ねた打ち合わせの飲み会の席で、蘭は父親から送られてきた「持ってきて欲しいものリスト」を取り出して見せる。
「これはすごいねー、日本的な小物とかは分かるとしても、このポッキー各種とかゴルフボール女性用一ダースってのはなんなんだろう」
 銀子の大学時代の友人であるは言った。
「ポッキーみたいなお菓子は向こうにないから喜ばれるんだってさ。ゴルフボールってのはあたしにも分からないけど、日本製のっていいんじゃないのかなー」
「押絵とかって、どこに売ってるんだろう。わたし達も持って行くの手分けして手伝うけど、私何買ったらいい?」
 リストを眺めながら銀子も言う。
「大体の買物はあたしがするからさ、友達がそういう海外の人のお土産用に日本的なもの扱ってるお店知ってるって言うから、今度つきあってもらって買ってくる」
「でも一人で持つには荷物多くなるんじゃない? わたしと七生ちゃんも手伝うよ」
 確かに、これだけでスーツケースが半分は埋ってしまいそうな量である。
「ま、なんとかなるでしょう。あたしって元々自分の荷物少ないし」
「そうだったわ。去年一緒に行ったオーストラリアも他の皆が大型のスーツケースなのに、小田ちゃん一人で小型のソフトスーツケースだったもんね」
「でしょ。冬のオーストラリアでもあれで、ガイドさんにも驚かれたくらいだし」
 去年の夏休み、会社の同期四人でオーストラリアへ旅行した時の話である。日本が夏ということは、南半球にあるオーストラリアは当然冬になる。グレートバリアリーフ等の赤道に近い場所ではその時期でも海に入れるくらい暖かいのだが、基本的に長袖、時には重ね着が必要だったオーストラリアで蘭の荷物は少なかった。必要なものは入っていたし、予備もあったというのにこの荷物の少なさはなんだ、と皆に驚かれたものである。
「小田ちゃんそんなに荷物少ない人なんだ。でも本当、何か持って行くから言ってね」
「じゃあ、お願いしたいものあるんだけど、いいかな」
「もちろん。何持っていく?」
「この、日本のポップスカセットテープってあるじゃない。あたしが聴く音楽ってマイナーなの多くてそういうの持ってないからさ、七生ちゃん適当にダビングして持ってきてくれないかな」
「私の好みでいいのかなー、私もそんなに幅広く聴いてる訳じゃないけど」
「いい、いい。とりあえず、こういう音楽が流行ってるんだっての入れておけばいいからさ」
「あ、あとぎんにも一つお願い」
 銀子にも持ち物を頼もうと向き直ると、グラスを空けた銀子が店員に追加注文をしたところだった。
「よく飲むね、ちゃんと帰ってよ。酔っ払っても放り出してくからね」
「ん、大丈夫。日本酒久し振りなんだもん。小田ちゃんだって底無しの癖に。……で、私は何持っていく?」
 はいはい、と半分酔っている銀子には念の為にメモを書く。
「このポッキー各種ってやつね。よくコンビニでレジの脇とかに一○○円くらいで小包装になってるポッキーあるじゃん。あんなのでいいから何個か数買っといて。多分あたしのこの荷物じゃポッキーなんか入れたらボキボキに折れちゃうと思うからさ」
「了解。ポッキーね」
 丁度タイミング良くグラスが運ばれてきて日本酒が注がれる。注ぎ終って店員が去る前に、蘭も追加を頼んだ。
「いやー、二人とも強いね。特に小田ちゃんなんて全然顔に出ないじゃん」

「まだまだこれからでしょう。とりあえず決める事は決めちゃったし、後は出発当日を待つのみだね。と言う訳で、もちょっと飲むぞ、あたしは。七生ちゃんは?」
「いやー、私はまだ残ってるし、チビチビやってるわ」
 出発まで後二週間。航空券代の入金も済ませ、その五日後には航空券が蘭の元に一括して送られてきた。


last up date/2006.04.01