遺跡の国へ連れてって1997年7月
[01]
出発の話
 五月も半ばの昼休み。いつものように社内食堂で昼食を済ませた平成●年短大卒同期入社の面々は、休憩室に集まって残りの休み時間を雑談に費やしていた。
 ゴールデンウィークも過ぎた今の話題はもっぱら「次は何を目的に仕事をしていくか」ということ。
「やっぱり次の目標は夏のボーナスかなー」
「うちの会社って遅くない? 七月なんてさ。普通六月ってのが多いよね」
「七月一日か。まだ一ヶ月半はあるね」
「ま、出るだけマシだよ。あたしの友達マジでボーナス無いかもって言ってる子いるもん。それより、やっぱり次の目標は夏休みなのさっ!」
 キッパリ言い切ったのは、同期の中でもその何気ない物言いが鋭いツッコミだと言われている小田蘭であった。
「何? 小田ちゃん予定あるんだ」
「もっちろん。夏休みはメキシコに行く!」
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[02]
飛行機の話1(1997)
「ふぁ〜、あふ」
 大きな欠伸と伸びをして、蘭は窓の外の景色を眺める。埼玉県の大宮駅から成田空港へ向かう空港バスに乗込んで約一時間、順調に行けばそろそろ千葉に入る頃である。
 前日は飲み会で、翌日は夕方のフライトだからと二次会も最後まで付きあってしまった為、バスに乗ってたちまち熟睡してしまったらしい。ふと目が覚めて、一緒に乗込んで隣に座っている銀子にバスの進行状況を尋ねる。
「今どのへん?」
「まだ東京出てないわよ」
「は?」
「都内渋滞なんだって」
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[03]
飛行機の話2(1997)
 成田で飛行機に駆け込んで約八時間、日付変更線を越えてバンクーバーに着陸したのは現地時間の一○時三○分だった。乗務員交代と機内清掃の後、ここからメキシコの首都メキシコシティまでは約五時間。これが日本から唯一のメキシコ直行便JL12のフライト内容である。
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[04]
立体パズル
 ホテルに入って荷をほどき、両親から頼まれた物を一つに纏めて袋に詰める。スーツケースを開けてぎゅうぎゅうに詰められた物達を引っ張り出す。
 ふりかけに折り紙、ピアス等の小物もざくざく。更に出発日の朝、すべての荷造りが終わったところで祖母から託された荷物もなんとか押し込んで、自分のもの以外で膨らんだスーツケースを解放する。
 それらを引っ張り出してはベッドの上に放り出していく様子を見て、銀子と七生子が目を丸くしている。
「それ、全部頼まれ物?」
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[05]
バスルームにおけるCとFの使い方
(おかしい、お湯が出ない…)
 メキシコ到着の夜はホテル内のレストラン『サンボルンス』で軽い夕食と明日からのメキシコ旅行の打ち合わせ。そして明日に備えて早々に解散して部屋へ戻る。
 部屋へ戻った蘭は、さっそくお風呂用品一式を掴んでバスルームに直行した。
 だがしかし、いくら回しても温かいお湯が出ない蛇口を前にして裸のまま立ちすくむ状態となっていた。
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[06]
大学は美術館
 メキシコシティで両親に出迎えてもらい、翌日は母親も一緒にテオティワカンとソカロ見学。その翌日になると、両親は休日を利用してアカプルコへバカンスに行ってしまった。この日からは自分達で言葉の心配をしながら行動していかなくてはならないのだ。もっとも移動とホテルについては全て手配してもらっているのだから、心配することもそうないのだが。
 メキシコシティのホテルをチェックアウトすると両親は空港へ、蘭達はソチミルコへ行くべくインスルヘンテス大通りを南へ向かった。シティ内での移動には車と運転手を頼んでいる。市内で頻繁に見掛ける緑色のカブト虫型タクシーには「何があるかわからないから絶対に乗るな」と回り中から強く言われていることもあって、お金で買える安全なら安いものだと旅行会社で手配しているのだ。本日蘭達をソチミルコへ案内して、夕方に空港まで送ってくれる運転手の名前はマルコと言った。
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[07]
水の都
「ソチミルコで舟遊びしてきたら? 一度くらいは行ってみるのもおもしろいよ」
 初めてのメキシコ行きで「遺跡! 遺跡!」と騒いでいた蘭に、そう父親が進めてくれた水郷ソチミルコ。
 綺麗に飾られた小船を借りて湖をのんびり進むと言うが、はっきり言って蘭の心情としては「えー…? それより遺跡回ってる方がいいなぁ。水遊びだったらカンクンのカリブ海でちゃぷちゃぷするもん」であった。舟で水遊び、と聞いて公園にある申し訳程度の池のようなものをイメージしてしまったのだ。
 その認識はソチミルコに到着して早々に改められた。確かに船着場は広くない。しかしそこには屋根付きでカラフルにペイントされた小型の舟が、湖の水が見えないくらいに所狭しとひしめき合っていたのだ。船の正面の屋根には各々名前がついていて、殆どが女性名であるという。
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[08]
白亜の遺跡
 パレンケの遺跡観光の拠点としてビジャエルモッサという街がある。今回の旅行に出るまではまったく知らなかった土地であるが、ここはタバスコ州の州都でもあり、巨大な頭だけの石像で知られる『オルメカ文明』発祥の地でもあるのだ。
 パレンケ観光の拠点となっているとは言うものの、ビジャエルモッサからパレンケへは車で二〜三時間の距離がある。ここを拠点にするからには、遺跡への往復と見学でどうしても丸一日は必要だ。
 蘭達三名がビジャエルモッサへ到着したのは夜だった。空港では予め予約しておいたタクシーの運転手に出迎えてもらい、その日はホテルへ直行、翌日パレンケへと向かう。ビジャエルモッサ二泊の滞在中は全行程同じ運転手と車を予約しているので移動の足を心配する必要はなかったが、実際昼間に行動できるのは一日半と短い。スペイン語のできない蘭達の為に父親が頼んでくれたのは英語のできる運転手。空港からホテルまでの車内の拙い英語のやりとりで、翌日は九時にホテルまで迎えに来てもらうことになった。
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[09]
ラ・ベンタ《彫刻の森》野外美術館
 パレンケを訪れた翌日には、もうビジャエルモッサを後にしてカンクンへ向かうことになっていた。日本の五倍もの広さを持つメキシコをたったの十日足らずで回ろうというのが元々無理な話なのだ。
 メキシコシティから出入国。パレンケには絶対に行きたい! そしてメキシコまで来たからにはカリブ海で泳ぐのだ! この条件を元に立てた今回の旅行スケジュールは個人旅行と言えど、なかなかにハードな旅程となっていた。ビジャエルモッサではパレンケ遺跡とラ・ベンタ野外博物館を見学する為に二泊滞在するだけである。
 メキシコ四日目の七月十四日は夕方の飛行機でカンクンへ移動する。それまでの時間に博物館を回り、街中でお土産でも買おうという予定である。
 朝食とチェックアウトを済ませると、ホテルに迎えに来たタクシーに乗ってラ・ベンタ野外博物館へと向かった。ここは昨日のパレンケ遺跡に比べて大分閑散とした雰囲気である。
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[10]
飛行機の話3(1997)
「メヒカーナのカウンターは……っと、あったあった」
 ビジャエルモッサからカンクンへは飛行機で約一時間という話だった。

 カウンターで搭乗の手続きを済ませて渡されたチケットは今までに見たこともないようなポップなデザイン。白地に青で太陽がデザインされていて、手書きで「12」と書かれているのは座席番号だろうか。AとかBとか、窓側か通路側かの記載がないのを不思議に思いながらもチケットを受け取る。
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[11]
怪しいスペイン語の覚え方
 メキシコの公用語はスペイン語である。蘭がそれを意識したのは父親の赴任前、自宅に置かれていたNHKスペイン語講座のテキストを見つけた時だった。
 もちろん今回の旅行メンバーの中にスペイン語が分かる人間など誰もいない。ホテルや空港等、外国人観光客が多く集まる場所では英語が通じることもあるが、メキシコは基本的に全てスペイン語である。必要最低限の英語でさえ心もとない蘭に、「どうした英文科!」とからかわれることの多い銀子である。必然的に旅行中のコミュニケーションは、現在英会話教室に通っているという七生子に頼ってしまう。なにしろ銀子と蘭では必要な時に必要な単語が出てこないのだ。
 しかし、メキシコでは英語よりもスペイン語なのである。
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[12]
Are you Japanese?
 昼食に停泊した場所からまた船で移動する。イスラ・ムヘーレスを巡るツアーの最後は、ダウンタウンでの自由行動である。
 土産物屋を物色してもリゾート観光地値段で買物をする気になれない三人は、ただぶらぶらと強い日差しの中を歩き回るだけだった。街を歩いて時々土産物屋をひやかす。それだけでも蘭は充分楽しめたが、他の二人はさすがにそうはいかなかったようだ。途中で見つけたアイスクリーム屋に入ると、店先の椅子に座って暫く休憩をとる。
 一息入れたことで暑さも漸く落ち着いてきたが、船の出航時間まではまだ大分余裕がある。また土産物屋をひやかしながら船着き場まで戻ろうと歩いていると、その脇を東洋人らしき男性がスクーターで通り過ぎた。今回のメキシコ旅行では日本人はもとより東洋系旅行者に出逢うことはほとんどなく、擦れ違う時に三人はついその人を見てしまう。向こうも同じことを思ったのかこちらをちらと見て角を曲がって走り去っていった。
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[13]
飛行機の話4(1997)
 メキシコシティからビジャエルモッサ、パレンケ、カンクンと回って再びメキシコシティへと戻る。今回はアエロメヒコという航空会社を利用する。
 メキシコの空はメヒカーナとアエロメヒコの二つの航空会社がメインとなって繋いでいる。メヒカーナは尾翼に緑色でマークが入り、アエロメヒコは全体がシルバー地で青と赤のラインが入っている。他にも中・短距離の地方路線を持つ航空会社がいくつかあり、ビジャエルモッサからカンクンへ移動する時に利用したアエロカリベは、ユカタン半島を中心とするメヒカーナ系列の航空会社であった。
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last up date/2006.04.01