★飛行機の話2(1997)
 成田で飛行機に駆け込んで約八時間、日付変更線を越えてバンクーバーに着陸したのは現地時間の一○時三○分だった。乗務員交代と機内清掃の後、ここからメキシコの首都メキシコシティまでは約五時間。これが日本から唯一のメキシコ直行便JL12のフライト内容である。
 禁煙席に銀子と蘭、煙草を吸う七生子は喫煙席に分かれて座っている(注:当時は一部路線で喫煙席がありました)。空港までのバスでも眠っていた蘭は、更に飛行機に乗ってからも食事以外の大半の時間を睡眠に費やしていた。
 蘭は早々と眠りに落ちてしまったが銀子は日本から持ってきた小説を読み耽り、七生子は機内の音楽放送と映画にはまっている。
 大半の日本人がバンクーバーで降り、入れ替わりに機内の乗客は国際色豊かになる。
 全体的に乗客が少なくなり、銀子と蘭が座っていた四人掛けの座席には他に乗客がいなくなった。その後ろの一列四席も全て空席となる。バンクーバーを離陸後、それを確認した蘭はいいベッドが出来たとばかりにさっそく一人で後ろに移り、四席使って長々と横になり毛布を被ってまた眠りに付いた。
「あれ? ぎんここに一人なの?」
 映画の上映も終わり、機内にある雑誌を取りに歩いてきた七生子は、銀子が一人で座っているのを見つけて声をかけた。
「そう、小田ちゃんは後ろよ」
 読んでいた本から目を放し、後ろを指差す。
「ああ、なるほど。こりゃいいアイデアだわ」
 長々と横になっている蘭を見て賢い、とつぶやいた七生子だった。
「よく眠れると思うわ。わたしはどうにも駄目。電車なら揺れが気持ちよくてすぐ眠くなるのに、飛行機ってどうも眠れないのよね」
「あ、私もおんなじ。でも今回はメキシコ着くの夜だし、向こうで眠ればいいもんね」
「うん、わたしもそう思ってさ。でも時差のおかげで合計一四時間も経つのに到着するのが出発の時刻とほとんど同じって、不思議だわ」
「そのおかげで機内で眠れない私らでも寝不足にならなくていいけどね。さ、あと少しで窮屈な座席ともお別れだ。もうちょっと我慢して座ってくるわ」
「そうね、じゃあまた後で」
 七生子が喫煙席に戻り、銀子も再び小説に目を戻す。今回はメキシコの入国書類も揃っているし、安心して着陸を待つことができた。
 二回の食事と軽食にはきちんと起き出し、食事後また眠ってしまう蘭を見て感心する銀子は、メキシコまでの機内で文庫本を二冊読み終えていた。


 成田を出発してから約一四時間後、若干の遅れを以てJL12は漸くメキシコシティに到着した。
 メキシコシティはメキシコの首都であり、標高が二千メートルを越える高地にある世界でもあまり例のない大都市であった。それだけの高地にありながら人口増加が激しく、人口密度が高くて失業率も高い。車両数も増加の一途をたどり、排気ガスによる公害も深刻化し、シティに来ると涙が止まらない人もいるという。
 後方の喫煙席から七生子が来るのを待って、三人揃ったところで歩き出す。機内を出て建物と繋がる細い通路を抜けると、そこでは久し振りに会う父親が手を振っていた。
「久し振り。ここまで入ってこれたんだ」
「許可貰えたからな。疲れたか?」
「いや、あたしはずっと眠ってたから……。あ、ウチの父です」
 二人に父親を紹介する。そして、父親にも二人を紹介して一緒に歩き出す。久し振りの親子の対面というにはそっけない気もするが、海外赴任からまだ半年強、感動の再会というにはおよばない。
 蘭の父親に案内されて空港内を進んでいく。まずは入国カウンターである。
「うわー、すごい人だね」
 七生子が思わず声を漏らす。たった今まで乗っていた飛行機は空席が多かったというのに、この日のメキシコ入国カウンターは混んでいた。既に大勢の人が列を作っている最後尾に並ぶ。待つこと三十数分、パスポートとツーリストカードを出してさしたる問題もなく全員通過。
 預けていた荷物を取って、次は税関である。税関申告書を係員に渡して荷物を機械に通し、そのまま右脇を通り過ぎようとする蘭に係員が何やらスペイン語で話し掛けてくる。何を言われているのか分からない蘭はそのまま通り抜けようとするのだが、なおも係員は話し掛けてくる。後ろにいた父親がそれを見て係員と何事かを話し、機械を通り過ぎた蘭のところにやってきた。
「蘭、来る前に教えただろう。ボタンを押して通りなさい」
「あ、そうだ。忘れてた」
 メキシコの税関の変わっているところは、荷物を通したら自分でその脇にあるボタンを押すということだ。
 機械の左脇にそのボタンがあり、それを押して緑色のランプが付けば問題なくそのまま通過できるのだが、赤色のランプが点灯すれば荷物を開けて中身を調べられるという。しかも話に聞くところによると緑が付くか赤が付くかは運次第で、一○回に一回くらいの割合で赤ランプになるという。これで税関の役割を果たすのだろうか甚だ疑問であるが、これもお国柄というやつなのだろうか。
 荷物を通しただけでボタンも押さずに、しかも右脇を通り抜けようとした蘭に制止の声が掛かったのは当然である。父親が気付いてボタンを押してくれ、無事に緑のランプが点灯したが、予め聞いていたにも関わらずすっかりその事を忘れていた蘭とそのやり取りに、見ていた銀子と七生子は大笑いしてしまった。もちろんそれを見ていた二人は当然の様に左へ回り、ボタンを押して通過した。
「あははは……。小田ちゃん着いた早々やってくれるわ」
「あの係員、結構真剣に止めてたよー」
「んなこと言ったって、普通これじゃあ荷物通したら自然に右側通っちゃうよ、右側にボタンがあればまだ分かりやすいのに」
 自分の失敗を棚に揚げてボタンの付き方に文句を言ってしまう蘭であった。
「えーと、じゃあこの後はもう直接ホテルに向かっていいかい? 食事はホテルに着いてからで?」
「ええ、お願いします」
 まだぶつぶつと文句を言っている蘭に変わって、銀子が答える。
「ほら、蘭行くぞ。言っておいたのに忘れたおまえが悪い」
「ちぇ、だってさー」


last up date/2006.04.01