★大学は美術館
 メキシコシティで両親に出迎えてもらい、翌日は母親も一緒にテオティワカンとソカロ見学。その翌日になると、両親は休日を利用してアカプルコへバカンスに行ってしまった。この日からは自分達で言葉の心配をしながら行動していかなくてはならないのだ。もっとも移動とホテルについては全て手配してもらっているのだから、心配することもそうないのだが。
 メキシコシティのホテルをチェックアウトすると両親は空港へ、蘭達はソチミルコへ行くべくインスルヘンテス大通りを南へ向かった。シティ内での移動には車と運転手を頼んでいる。市内で頻繁に見掛ける緑色のカブト虫型タクシーには「何があるかわからないから絶対に乗るな」と回り中から強く言われていることもあって、お金で買える安全なら安いものだと旅行会社で手配しているのだ。本日蘭達をソチミルコへ案内して、夕方に空港まで送ってくれる運転手の名前はマルコと言った。
「うう……。これからは全て自分達でやるのね。スペイン語、大丈夫かしら」
 車の中で不安な呟きを洩らしたのは銀子である。
「まぁ、何とかなるでしょ」
「そうそう、飛行機移動や着いてからのタクシーも全部手配してもらってるし、あたしの英語はとっても不安だけど七生ちゃんの英語はマルコにも通じてるし、三人寄ればなんとやら」
 銀子に比してお気楽な七生子と蘭であった。
「そうね、一人じゃないだけ不安も薄らぐってものよね。良かったー、三人で」
 やはり銀子も楽天的な要素を持ち合わせているようだ。三人共到着日に蛇口のスペイン語で躓いたことは既に頭のどこかにいってしまっているらしい。
 そうこうしているうちに車が止まる。もう着いたのかと外を見るが、初めての土地でここが何処なのか分かるはずもない。運転手兼ガイドのマルコが話してくれたことによると、ソチミルコへ向かう途中に大学があるので見学に寄ってくれたということだ。道路を挟んだ向かいにはオリンピック・スタジアムが見える。蘭達が生まれるより前、一九六八年のメキシコ・オリンピックでメイン・スタジアムとなった会場がここである。
「へぇ、オリンピック?」
「メキシコでオリンピックなんてあったんだー。知ってる? 七生ちゃん」
「ううん、全然。いつのことなんだろう。……え? 一九六八年? そんな、私達生まれる前じゃない」
「知らないはずだよ。って、生まれてからのオリンピックだってあんま興味ないから知らないけどさ。とりあえず東京オリンピックよりは後なんだ」
「そうみたいね。でもここ高地なのよね、こんな所で激しい運動して慣れない人は息苦しくなったりしなかったのかしら」
 言われてみればそうである。昨日テオティワカンのピラミッドに登った時に「空気が薄い」と言っていた銀子だけに実感がこもっている。
 そのオリンピックスタジアムは道路の向かいから眺めるだけにして、三人はマルコに促されて広大な大学の敷地内へと入っていく。
 メキシコ国立自治大学は敷地も学生数も一つの街とも言える程の規模を持ち、大学都市とも呼ばれている。その広さも然る事ながら、中へ足を踏み入れて驚いたのは建物だ。
「えーっ! あれ何? あそこの建物!」
「小田ちゃん、あっちもだよ。ここって全部そうなのかな」
「なんて言うか、メキシコって本当にああいうの好きなのねー」
 広い敷地内に緑の芝生、そこに点々と立つそれぞれの建物にはものの見事に芸術的なペインティング。昨日ソカロの宮殿内で見たような壁画が壁一面に描かれているのだ。大学そのものが巨大な野外美術館となり、四角い建物の全面をカンバスにして各面にそれぞれのテーマで色鮮やかに描かれた壁画たち。どれもメキシコの第一線で活躍する芸術家の作品で、歴史や民族といった連綿たるメキシコの精神が深く力強く描かれている。この規模といい、自国の精神を誇り高く堂々と掲げる姿勢といい、これはもう圧巻の一言である。


last up date/2006.04.01