元の原稿が縦書きなので、漢数字等見難い部分がありますがご了承ください。


★メキシコで鶏雑炊
 メキシコの空の玄関口、ベニト・ファレス国際空港に到着したのは夜だった。入国審査を済ませ、今回は美代子が話題を提供してくれた税関を通過して、空港を後にしたのは既に陽も落ち切った午後八時。出迎えてくれた父親に案内されて、タクシーで宿泊ホテルの【CALINDA GENEVE(カリンダ・ヘネベ)】へと向かう。既にメキシコシティでの定宿となっているこのホテルで夕食を取り、今日はゆっくり休んで明日にはテオティワカンの遺跡を訪ねることになっている。


「飛行機に乗りっぱなしだったから、あんまりお腹は空いてないんだろう?」
 ホテルの中に入っているレストラン【Sanborn's(サンボルンス)】の席に着いて、メニューを見ながら蘭の父親が聞いてきた。ホテルで母親とも合流し、テーブルを囲んでいるのは蘭と美代子と蘭の両親の四人である。
「うん。食べる以外、あたしはずっと寝てたから」
「私も。出た機内食はしっかり食べてましたから、そんなにお腹は空いてないです」
 メニューを見てもスペイン語と英語で書かれていて、ほとんど訳が分からない蘭と美代子が答える。
「じゃあ、スープとなにか皆で摘めるものくらいでいいかな?」
「なんでもいいや。あたし達は脇から適当に取らせてもらうから」
 メニューを選ぶ事をさっさと放棄してしまった蘭は、とりあえず、と先に注文していた飲み物に手を伸ばす。頼んだものはメキシコ産のビール【コロナ】である。蘭は昨年のメキシコ旅行で気に入った【XX(ドスエックス)】という銘柄を飲みたかったのだがこの店には置いてないようで、結局全員で【コロナ】ビールを注文していた。
 スープを人数分とタコス、トウモロコシを粉にしてその皮で包んで蒸したもの等を頼む。それに必ず付いてくるチップスとパンが本日の夕食だ。
 トウモロコシの粉で作った薄いクレープ生地をトルティージャと言い、それに具を巻いたものをタコスと言う。チップスはトルティージャを揚げてパリパリにしたもので、サルサや豆をすり潰したものを付けて食べるのだ。トルティージャ・チップス・サルサ・ライムは、メキシコのレストランに入ると必ずと言っていい程出てくる四点セットで、日本で言えば米や醤油といったところだろうか。サルサにはとんでもなく辛いものや、トマトのみじん切りが入ったそれ程辛くないものが二〜三種類用意されている。頼んだ料理をトルティージャで巻いて自分でタコスにし、サルサとライムで好みの味付けにして食べるのが一般的なのだ。ライムはビールに搾っても美味しく飲める。
 既に時間は九時を回り夜食といった時間帯であるが、一日の食事の中心が昼食で二時間たっぷりかけて食べるラテンの国メキシコでは、夜の食事はだいたいこの時間に軽く食べるのが普通だと言うことだ。
 スープはそれ一品だけで食事を終えられそうな具沢山のボリュームで、お腹の空いていない蘭と美代子にはこれだけでも充分な量だった。
「これなんか、さっぱりしてて日本人の口には食べやすいんじゃないかな、雑炊みたいな感じで。ライム搾って食べると美味しいんだよ」
 そう言って父親が注文してくれたのは、米の入ったコンソメ味のスープ【Sopa de Arroz】であった。このレストランでは鶏肉もたっぷり入っていて、米の量も多い。
「わー、本当にとり雑炊みたい」
 美代子の的を射た表現に、以後、二人の頭には【Sopa de Arroz】=【鶏雑炊】とインプットされてしまうことになる。
 これが気に入った二人は、今回の旅行中に何かと言うと【鶏雑炊】を頼むことになるのだが、いくつか入ったレストランの中でも【サンボルンス】のものが一番ボリュームもあって雑炊に近く、味も好みにあっていた。
 【サンボルンス】はホテルの中に入っていることが多いチェーン店で、あらゆる雑貨を扱っていたりファミリーレストランでもあったりする。梟三羽のトレードマークはメキシコ旅行中に至る所で見ることができ、食事に悩んだ時には重宝したものだった。
 この【鶏雑炊】があまりに気に入った美代子など、スーパーでインスタント【Sopa de Arroz】の素を買い込んで帰国後に自宅でも作って食べたほどである。


last up date/2005.11.06