遺跡の国へ連れてって
[01]
同行者募集!
Date:1998.01.25
From:odaran@mb.infoweb.ne.jp
To:***** , Kyouko Yamazaki , Miyoko Hatanaka , ******
件名:同行者募集!

 18日にバリより帰ってきました。
 今回日程が短かったのが心残りなんだけど、ジャワ島でボロブドゥールやプランバナンの遺跡見てきたし、バリではホテルでの〜んびりしてたし、満足でした。これからはウチの部署、1年で一番忙しい時期。身を入れて仕事に励まねば。
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以下略。左記のタイトルより続きをどうぞ。

[02]
メキシコのお土産?
「ねぇ小田ちゃん、誰かカナダに行く人知らない?」
 ある日突然、友人の暁子が言った。
「カナダー? なんでまた。会社でアメリカに赴任してる人の精算は担当してるけど、カナダは知らないなー。近々行くって人の話も聞いたことないし」
「そっか、残念」
「あたしまたゴールデンウィークにメキシコ行こうと思ってるけど、メキシコじゃ駄目なの? あ、経由地がバンクーバーだけど、外には出ないよ」
「うーん、じゃあ駄目かも」
 暁子は落胆した表情で腕組みをしている。
「何かあんの?」
 よほどのことがあるのかと思い、蘭は聞いてみる。
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[03]
メキシコで鶏雑炊
 メキシコの空の玄関口、ベニト・ファレス国際空港に到着したのは夜だった。入国審査を済ませ、今回は美代子が話題を提供してくれた税関を通過して、空港を後にしたのは既に陽も落ち切った午後八時。出迎えてくれた父親に案内されて、タクシーで宿泊ホテルの【CALINDA GENEVE(カリンダ・ヘネベ)】へと向かう。既にメキシコシティでの定宿となっているこのホテルで夕食を取り、今日はゆっくり休んで明日にはテオティワカンの遺跡を訪ねることになっている。
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[04]
修学旅行生といっしょ
 今回のメキシコ旅行は当初、蘭の両親が生活しているサラマンカとその近くのグアナファトを訪れるつもりで計画していた。しかし同行者の畑中美代子も蘭と同じく遺跡好きとくれば、古代遺跡の宝庫メキシコで訪れたい場所は自ずと決まってしまう。グアナファトは次回に持ち越しとして、今回はメキシコシティでテオティワカン、メリダからウシュマル、カンクンからチチェンイツァー、と三つの遺跡をメインに据えてのメキシコ遺跡巡りの旅となった。
 この旅程を蘭が両親に話して飛行機とホテルを現地で手配してもらう。そして、丁度休みの取れた父親もカンクンやメリダにはまだ行ったことがないから、と全行程に同行することとなった。小田家の家族旅行に美代子が参加する様相を呈してしまったが、お互いこれなら言葉の心配もなく旅行できると安心もしたのだった。
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[05]
飛行機の話5(1998)
 四月二十四日、一行はメキシコシティからメリダへと向かう。
 今回の旅行を計画するにあたって蘭が希望したことのひとつに、ウシュマルとチチェンイツァーの古代遺跡めぐりがあった。昨年メキシコを訪れた時には同行者の体調不良と滞在時間との関係からチチェンイツァーに行くことができなかった為、再チャレンジの機会を狙っていたのだった。
 今回のスケジュールでは、明日ホテルからタクシーをチャーターしてウシュマルを見学し、明後日カンクンへ飛んでチチェンイツァーの日本語ツアーに参加することになっている。
「いよいよメリダだね」
 ベニト・ファレス空港の利用が国際線・国内線併せて既に六度目となった蘭は、足取りも軽く搭乗ゲートへと向かう。
「そして明日はウシュマル。さぁー、登るぞ!」
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[06]
ウシュマル攻略法
   〜道なき道をススメ〜
 事前に予約してあったタクシーが九時三○分にホテルに迎えに来て、助手席に父親が、後部座席に母親と蘭と美代子が乗り込んでウシュマルの遺跡へと出発する。
 メリダから南へ八○q、ウシュマルまでは車で一時間程で到着する。その道のりは一本道をひたすら飛ばし続け、道の両側は単調な景色が続く。タクシーは途中いくつかの村の中を通りながら進んで行く。人口数十人からの小さな村それぞれに古い教会があるのを見ると、当時の布教の力はすごいと思わざるを得ない。
 村から離れると、すぐにまた同じ単調な景色が広がる。村同士が何qも離れ、擦れ違う車も少なく、タクシーは常時一○○q以上の速度で快調に飛ばしている。多少舗装の悪い道もなんのその、ジャリジャリと音を立てながらひたすら進む。
 そうして何分走った頃だろうか、タクシーが突然ガンッと音を立てた。それまでも砂利道を走る音はしていたが、それとは種類の違う音である。何かの故障かとも思うが、運転手は特に気にした風でもなくそのまま車を走らせている。たいしたことはないのかと思っていると、その時擦れ違った車がライトをパッシングした。すると、運転手は速度を落とし車を路肩に停止させる。
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[07]
キミの名は・・・
 ウシュマルを訪れたからには是非その近くにある遺跡も見ておきたいものだ。よくツアーなどで一緒に回る遺跡として、カバーと呼ばれるものがある。
 ウシュマルからは一五q程の距離にあり、タクシーを一日チャーターしている蘭達がこれを見逃す訳はない。日本でガイドブックを見て、カバーとそこから五q程の距離にあるサイールという遺跡に目星を付けていた蘭と美代子は「カバーとサイールに行きたい」と告げる。すると観光客を相手に商売している運転手は心得たもので、遺跡の位置を記してあるロードマップを取り出して見せてくれた。
「他にもこの近くにはたくさんの遺跡があるけど、どうする? ってさ」
 父親が間に立って通訳してくれる。スペイン語を理解している人間が一人いるとこうもスムーズに事が進むのか、と昨年のメキシコで言葉の壁に多いに苦戦した蘭は有難く思う。
 その地図を受け取って開いて見るとあるわあるわ、大小取り混ぜて日本のガイドブックには到底載っていない遺跡までが至る所に点在している。
「どひー、こんなにたくさんあるんだ」
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[08]
街歩き 〜メリダ編〜
 炎天下にウシュマル・カバー・サイールの三つの遺跡を回り、夕方遅くにメリダへ到着したタクシーは、街の中心をぐるりと回ってホテルへ向かってくれた。
 メリダを出発するのは明朝である。明日は各々チェックアウトを済ませて八時三○分にロビー集合と打ち合せて両親と別れると、蘭と美代子はさっそくホテル近辺の探索に出掛けることにする。
 宿泊ホテルは【フィエスタ・アメリカーナ】である。通りを挟んだ向かいには【ハイアット・リージェンシー】と【ホリディ・イン】が建っていて、少し離れて【エル・コンキスタドール】とここには高級なホテルが集まっている。
 【フィエスタ・アメリカーナ・メリダ】は外装も内装もとても綺麗で設備もよく、食事もおいしくて蘭はとても気に入っていた。やはり、食事がおいしいというのは旅行中とても大切なことだと思うのだ。
 まずはホテルの敷地を一回りして、ホテルの位置と周りの建物との位置関係を確認する。
「これで大体ホテルの周りは分かったけど、どう歩こっか? 今日はいっぱい歩いたし、お腹すいたよね」
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[09]
飛行機の話6(1998)
「お父さん、あっちにカンクンって行き先書いてあるカウンターがあるからあれがそうだよ。航空券にはメヒカーナって書いてあるけど、使うのはメヒカーナ系列のアエロカリベなんだからチェックインもあそこやるんだってば」
 メヒカーナのカウンターでチェックインをしようとすると、係員にここではないからあちらのカウンターへ行ってくれと言われた。それを不信がる父親に声を掛けると、蘭はカンクンと行き先の書かれたアエロカリベのカウンターを指差して歩き出す。
 昨年カンクンを訪れた時も、メヒカーナのカウンターに並んでいて隣のアエロカリベのカウンターに移動したのだった。その時は訳も分からず、単にメヒカーナのカウンターが混んでいた為に空いていた同系列の航空会社カウンターでチェックインさせてもらったと思っていたのだった。しかし実際に乗り込んだのはチェックインしたカウンターのアエロカリベで、帰国後の荷物整理で改めてその時のチケットを見直して納得した蘭だった。今回も利用するのはアエロカリベとなり、チェックインも当然そこでする筈だ、と蘭が父親に説明してアエロカリベのカウンターに並び直す。
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[10]
イグアナを探せ!
 ユカタン半島の北東部、カリブ海に面したメキシコが誇る一大リゾート地【カンクン】。一九七○年代からのメキシコ政府による本格的なリゾート開発により、幅約四○○・、全長約二○qに及ぶ細長いL字型をした珊瑚礁の島は、ビーチに面して高級ホテルが林立する近代的なホテルゾーンに生まれ変わった。
 真っ白なビーチの砂、透き通った真っ青な海、豊かな太陽の光。一年を通じて平均気温が二七℃、晴天が二四○日以上という恵まれたこの土地は、現在では太平洋岸の老舗リゾート地アカプルコを凌ぐほどにその名を馳せている。
 特に多いのがアメリカ人観光客で、英語も通じれば米ドルで買物だって出来てしまうのだ。日本人観光客はまだ少なく、メキシコにしては日が暮れてからもあまり心配せずに出歩ける治安の良さ。『海外のビーチリゾート』を満喫するにはもってこいで遺跡も満載とくれば、蘭と美代子にとって言うことなし! の土地である。
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[11]
街歩き 〜カンクン編〜
 エルレイの遺跡でイグアナと遊んだ後、階段を上って車道に出るとポツポツとまた雨が降ってきた。セントロへ向かうバス停へ着くと有難いことにバスはすぐにやってきて、たいして雨に濡れることもなく乗り込んだ。
「ふー。良かったね、降りだす前にバス乗れて」
「うん。そんなに降ってはいないけど、タイミング良かったよね」
 エルレイの遺跡はホテルゾーンの外れにある。乗り込んだ時には少なかった乗客も暫く進む内にどんどん増えて、蘭達の宿泊ホテルの近くまで来る頃には立っている人も多くなった。
「ね、みーちゃん。このままセントロまで乗ってかない? どうせ一律4ペソの料金なんだから、このまま行っても構わないよね」
 ほんの数分で雨も止み、開け放したバスの窓から入る湿った風に吹かれながら外を眺めていた蘭が、隣に座る美代子に言った。
「うん。また街歩いてスーパーに入ろうよ。水もなくなってたし、向こうでお昼食べてもいいよね」
 地元のスーパー好きの二人である、ホテルゾーンのショッピングモールは高かったが、セントロへ行けばいくらかは安くなるだろう。
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[12]
初舞台の夜
 カンクン三日目は起床時間もゆっくりと、でも一○時にはパラソルと椅子を確保して海に入って昼寝をして、フローズンマルガリータを頼んで本を読む。これぞビーチリゾートの醍醐味! とホテルのプライベートビーチでたっぷり贅沢な一日を堪能した。そして夜には両親と待ち合わせて、ホテルのレストランでショーを見ながらバイキングの食事を予定している。
「みーちゃん、お腹の具合は大丈夫?」
 先日からお腹の調子が悪いと言っていた美代子である。しっかりした食事を食べれるのか、と蘭が心配して聞く。
「なんとか大丈夫だと思う。下痢止めも飲んでるし。バイキングだって言うから、食べれそうなものだけ取って食べるよ」
 一九時にロビーで待ち合わせてビーチの脇にあるレストランへ。入口で予約してあることを告げると、予約簿を確認して一人一人に首から小さな焼物のカップを下げてくれる。お猪口よりも若干小さめで把手に紐を通してある。
「なに? これ」
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[13]
遺跡は登る為にある?
 畑中美代子と小田蘭は共に遺跡好きである。その二人がメキシコへ行く、となればこれはもう遺跡巡りの旅となるのは当然だろう。
 メキシコシティでテオティワカン、メリダではウシュマル・カバー・サイール、カンクンでエルレイと、これまで五つの遺跡を訪ねてきた蘭と美代子の『メキシコ遺跡巡りの旅』最後の遺跡はかの有名なチチェンイツァーである。
「さーあ、いよいよチチェン! みーちゃん、お腹は大丈夫?」
「大丈夫、なんとか回復した。いや、させたわよ。目指せチチェンの【カスティージョ】。登るぞー!」
 二日前からお腹の調子がおかしかった美代子であるが、どうやら気合いで治したようだ。とりあえず今日さえ持ちこたえてくれれば明日にはメキシコシティへ戻って、明後日には日本である。
「いざ行かん、チチェンイツァー! チャックモールがあたしを呼ぶのだっ。ガイドブックには【戦士の神殿】修復中で登れないって書いてあるけど去年の話みたいだし、もう登れるだろう。登れるといいな。わくわく」
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[14]
レストランはピンク色
 食欲をそそる色とは何色だろう。みずみずしい緑色か、肉や果実を連想させる赤だろうか。人により、民族によりそれは様々であるだろう。ここメキシコでは、その色はどうやらピンクであるらしい。


「どひゃー、ここもピンク!!」
「うわ、ホント。なんでメキシコってこう?」
「どうかしました?」
 チチェンイツァーの観光を終え、昼食を取る為に一五分程走ってバンが止まる。そこは所謂観光客用の、遺跡の近くにあって観光後にメキシコ舞踊のステージを見ながら食事ができるレストランだった。バンを降り、建物の外観を見た蘭と美代子が声を上げた。それを聞いたガイドの竹内が何事かと二人に問いかけたのだ。
「いえ、なんでメキシコのレストランって、ピンクの建物が多いんでしょう?」
「ピンク色、多いですか?」
 聞いた美代子に、逆に竹内が聞き返す。
「だって、テオティワカン行った後に入ったレストランも見事に全身ドピンクの建物だったし、ウシュマルの時も薄いピンクの壁だったんですよ」
 蘭もその脇で頷いている。
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[15]
飛行機の話7(1998)
「蘭、蘭!」
 どこからか自分を呼ぶ声がする、と思って蘭はぐるりと周りを見回した。
 場所はカンクンからメキシコシティへ向かう飛行機の待合室。メリダからカンクンへ飛んだ時と同様に、蘭の両親はチェックイン後に朝食を取るべく空港内のレストランに入り、蘭と美代子は空港探索に出掛けていた。早々に探索を終えて搭乗開始の時間を待合室で椅子に座りながら待っていた時に、先程の蘭を呼ぶ声が掛かったのである。
 見れば待合室に入る為に通らなければならない金属探知ゲートの脇から、蘭の父親がこちらに向かって手招きをしている。
「何やってんの。早く入ってくれば?」
 近付いて行って、どうして入って来ないのかと聞いてみる。
「蘭、おまえ搭乗券は自分の分しか持ってないよな」
「うん、ちゃんと自分のは持ってるよ」
 言って、ウェストバッグから搭乗券を引っ張り出す。美代子も自分の持っている搭乗券を確認するが、チェックイン後に全員分きちんと分けたのだ、やはり自分のものしか持っていない。
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[16]
博物館で気になったこと
 メキシコ国立人類学博物館は世界有数の規模と内容を誇り、メキシコシティを訪れる人の多くが足を運ぶ場所であるだろう。
 蘭にとっては二度目の来館である。昨年は見学後に飛行機の時間が迫っていた為、一階部分だけを駆け足で見ることしかできなくて悔いが残っていたのだ。日本で予備知識を仕入れていた訳でもなく、しかもメキシコに到着した翌々日に訪れた為に何も分からない状態での見学となった。それはそれで見るもの全てが初めてで驚きも大きかったのだが、博物館の大きさと展示物の多さに圧倒されてあまり頭に入らなかった。パレンケやビジャエルモッサへ行った後になって、博物館でよく見ておけばよかったと思うこと大だったのである。
 昨年の轍を踏まえ、今回はメキシコ滞在の最終日に博物館を訪れることとした。既にテオティワカン含め六つの遺跡を回り終え、その時を思い起こしながら発掘品を興味深く眺めることができる。
 メキシコ国立人類学博物館は考古学関係の展示がある一階フロアと、民族学関係の二階フロアに分かれている。それぞれがいくつもの部屋に分かれていて、部屋毎にテーマが決まっている。その部屋から部屋を移動しながら見学していくことになる。
 一階は一二の部屋に分かれていて、左記の通りである。
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[17]
モクテスマの復讐の正体
 メキシコを訪れた時、いくら健康管理や食事に気を付けていても殆どの人が一度はお腹を壊す。これをスペイン侵略に破れたアステカの王モクテスマの名を取って【モクテスマの復讐】と言う。


「ねー、みーちゃん。今日の夜はどこ食べに行く?」
 エルレイ遺跡でイグアナと遊び、セントロ街歩きをしたカンクン二日目。夕食をどこで取ろうかと思案する。
「うーん。実はお腹の調子が良くないんだよね、食べない方がいいかなー」
「え? 大丈夫?」
「そんなにひどくはないんだけど、ちょっとお腹も痛いんだ」
「ええー、何だろう。今日なにかヘンなもん食べたかな?」
 今日口にしたものと言えば朝食のファーストフードと街歩きの途中で飲んだ屋台の生ジュース、スーパーで買った昼食のパンくらいである。量が多かった訳でもないし、考えられるのは屋台のジュースだろうか。
「やっぱ、屋台の生ジュースかな」
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[18]
Mexican's
 五月三日と四日、有明はビッグサイトにて同人誌即売会が開催される。自分でサークル活動をしている畑中美代子のスペースは四日にあり、小田蘭が売り子として入っているサークルの参加も四日であった。
 はっきり言ってしまえば、このイベントの為にメキシコ旅行の日程が五月二日帰国となったのである。二日の夕方に帰国して翌日は荷物整理と休養、四日がイベントである。そして五日をゆっくり休んだら、六日からは会社へ出社しなければならない。なかなかハードなゴールデンウィークであるとは思うが、なんとかなるものだ。
 美代子は【ゆりかもめ】で会場に向かおうと、東京駅で山手線のホームへの階段を登っていた。蘭は同じ売り子仲間と東京駅で待ち合わせの為に、山手線の階段を降りて改札に向かうところだった。
「小田ちゃん!」
「あ、みーちゃん。おはよー、あれ? これからイベントだよね」
「おはよ。うん、新橋で待ち合わせしてるんだ」
「そっか、じゃあ後で会場でね」
「またねー」
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last up date/2005.11.23