元の原稿が縦書きなので、漢数字等見難い部分がありますがご了承ください。
★初舞台の夜 |
カンクン三日目は起床時間もゆっくりと、でも一○時にはパラソルと椅子を確保して海に入って昼寝をして、フローズンマルガリータを頼んで本を読む。これぞビーチリゾートの醍醐味! とホテルのプライベートビーチでたっぷり贅沢な一日を堪能した。そして夜には両親と待ち合わせて、ホテルのレストランでショーを見ながらバイキングの食事を予定している。 「みーちゃん、お腹の具合は大丈夫?」 先日からお腹の調子が悪いと言っていた美代子である。しっかりした食事を食べれるのか、と蘭が心配して聞く。 「なんとか大丈夫だと思う。下痢止めも飲んでるし。バイキングだって言うから、食べれそうなものだけ取って食べるよ」 一九時にロビーで待ち合わせてビーチの脇にあるレストランへ。入口で予約してあることを告げると、予約簿を確認して一人一人に首から小さな焼物のカップを下げてくれる。お猪口よりも若干小さめで把手に紐を通してある。 「なに? これ」 何の為にくれたのだろうか、ただのプレゼントなのか? 不思議に思って蘭は父親に聞いてみる。父親は受付の店員に聞いてそれを通訳してくれた。 「このレストランはバイギング以外の客も入るから、それと区別する為にくれたんだってさ。後でテキーラ注ぎに回ってくるから、このカップで飲んでくれって」 「ほー、なるほど。よく考えてあるって言っちゃそうだけど、あたしはテキーラってあんまり好きな味じゃないからそっちはパスするわ」 四人は店員に案内されて席に着く。屋根があるだけの野外レストランは海からの風がまだ生温い。隣の州と一時間の時差があるキンタナ・ロー州ではサマータイムのこの時期、夜は八時頃になってやっと陽が沈むのである。 週に二回のショーの舞台は、その都度ビーチに作られる。ショーの始まりは陽が落ちてからで、舞台脇では照明のセッティングが行われている。 早めにレストランに入った蘭達はステージが見やすいテーブルに案内され、さっそく料理を取りに行く。バイキングの内容はもちろんメキシコ料理。チップスにトルティージャ、チップスに付けるものがビーンズペースト他数種類。トルティージャに巻いてタコスにする具の肉などは、その場で自分の好みで炒めてくれる。スープももちろん数種類、サラダもパンも揃っている。デザートもあるが、全体的に甘すぎて蘭の口には合わなかった。何度も席を立っては違う食べ物を盛ってきて、ショーが始まる頃にはすっかりお腹一杯の満足状態になっていた蘭である。美代子はまだお腹の調子が完全ではなく悔しい思いをしていた様であるが、ともかくショーが始まった。 メキシコには各地方に様々な民族舞踊がある。火を付けた蝋燭が入ったグラスを頭に載せた男女の踊り、数人で中央の棒に繋がるリボンを手に持って回りながら器用に踊るもの。白いドレスの裾を持ちながら踊るものは翻る布が目を楽しませてくれる。 ショーも終りにさしかかった頃、老人の仮面を被ってポンチョの様な服を着た一人が登場した。ステージの上をふらふらと、危なっかしい足取りで踊り出す。ミチョアカン州パツクアロのタラスコ民謡『老人の踊り』のコミカルでユーモラスな仕草に観客は多いに笑い、盛上がる。 そのうちに舞台上のおじいちゃんが、ヨロヨロとステージを降りてこちらにやってきた。どうやら一緒に踊ってくれる相手を探しているようである。観客を舞台に引っ張り上げるというのは、こういう場でのお約束だろう。昨年メキシコシティで両親と一緒に食事をしたレストランでは、見事に父親と友人が引っ張り上げられた。 「こっち来るかもよ、みーちゃん。去年はお父さんと友達が連れてかれたことあったもんね」 「えー、やだよ。他にもいっぱいいるじゃん。あ、あの子供なんかいいんじゃない?」 えてしてこういう時に選ばれやすいのは、見た目ですぐに違う国の人間だと分かる人か子供だろう。周りを見る限り、日本人や東洋系の人種はいない。すぐ後ろのテーブルに子供はいるが、多分こっちに来るのではないか、と蘭が思っていれば案の定。ふらふらよろよろしながらも、仮面のおじいちゃんは蘭達のテーブルにやってきて、美代子の腕を捕まえた。 「えーっ、本当に来たよ。やだよ、行きたくないよう!」 抵抗空しく盛上がる周りの拍手に押されて、美代子はしぶしぶ席を立つとおじいちゃんに連れられてステージに向かう。 「いってらっしゃーい」 自分がその対象に選ばれなかった蘭は、自分じゃなくて良かった、とほっとして美代子を送り出した。こういうものは、観客になってしまえば楽しいものなのだ。 美代子はステージに登る階段でバランスを崩しそうになるおじいちゃんを助けて一緒に舞台に上がると、促されてその真似をしながら一緒に踊る。杖を持たされ、おじいちゃんがする仕草を真似させられては観客の笑いを取っていた。去り際に抱きしめられて、周りのテーブルから声を掛けられながら美代子が戻ってくる。 「おかえり、みーちゃん。楽しかったよ、ちゃんと笑いとってたし」 「ええい! 私は訳が分かんなかったわよ。見るのは好きだけど、自分がやるのは嫌いなんだい」 「あはは、お疲れ様。こういうトコだし、日本人は目立つんだよ。旅のいい思い出ってことで。あ、ちゃんと写真は撮っといたからね」 「うー、あんまり嬉しくないぞ」 そうして、畑中美代子初舞台の夜は更けていく。 |