元の原稿が縦書きなので、漢数字等見難い部分がありますがご了承ください。
★モクテスマの復讐の正体 |
メキシコを訪れた時、いくら健康管理や食事に気を付けていても殆どの人が一度はお腹を壊す。これをスペイン侵略に破れたアステカの王モクテスマの名を取って【モクテスマの復讐】と言う。 「ねー、みーちゃん。今日の夜はどこ食べに行く?」 エルレイ遺跡でイグアナと遊び、セントロ街歩きをしたカンクン二日目。夕食をどこで取ろうかと思案する。 「うーん。実はお腹の調子が良くないんだよね、食べない方がいいかなー」 「え? 大丈夫?」 「そんなにひどくはないんだけど、ちょっとお腹も痛いんだ」 「ええー、何だろう。今日なにかヘンなもん食べたかな?」 今日口にしたものと言えば朝食のファーストフードと街歩きの途中で飲んだ屋台の生ジュース、スーパーで買った昼食のパンくらいである。量が多かった訳でもないし、考えられるのは屋台のジュースだろうか。 「やっぱ、屋台の生ジュースかな」 ふらふら街歩きをしている時のことである。路面に店を出していた果物を搾った生ジュースがあまりにおいしそうで、お腹を壊すかもしれないと思いつつも誘惑に負けて買ったことを思い出す。 「でも小田ちゃんは平気だよね。半分こして飲んだんだから、あれが原因なら小田ちゃんもお腹壊してるよ」 「うーん、あたしは全然大丈夫だもんな。でも明後日までに治るといいね」 明後日には念願のチチェンイツァーへ行くことになっている。美代子も蘭も楽しみにしていただけに、万全の体調で臨みたいものだ。 「明後日は絶対外せないチチェンなんだから何があっても行くよ! だから今日はおとなしく、お腹にやさしいものを少し入れる程度にしとくよ。サンボルンスの鶏雑炊にしようかな、プラザ・メイフェアにあったよね。夕飯そこでもいい?」 「うん、それは全然構わないけど。あ、病院用の下痢止め剤持ってきてるけど、飲んどく? 会社で貰っといて良かったわ」 「ありがとう。……って、開発中とかじゃないでしょうね」 蘭は製薬メーカーに勤務するOLである。まだ認可されていない薬を会社から持ち出して来たのではないか、と美代子は疑ってみた。 「だーいじょうぶだよ。そんな薬がコロがってる部署じゃないんだから。それにこれはちゃんと発売されてます!」 「あはは、ごめんごめん。薬飲むからにはやっぱり何かお腹に入れなきゃだね。あー、サンボルンスありがとう! 鶏雑炊あって助かったわ」 サンボルンスの鶏雑炊……いや【Sopa de Arozz】にはこの旅行中何度お世話になったことか。 美代子が【Sopa de Arozz】を注文し、蘭はサンドイッチを食べながら、どうしてお腹を壊したのか? という原因追及の会話はまだ続いていた。 「でも何が原因だろう。これが【モクテスマの復讐】ってやつなのかな。旅の疲れとメキシコシティの高地との差とか、水や食事の違いとか」 「あたしも去年始めてメキシコ来た時は、日本帰ってからだけどちょっとお腹おかしくなったもんなー」 「日本帰ってから? それってちょっと鈍いんでは……」 「あははー、やっぱり? 前回で【モクテスマの復讐】受けたから今回は平気なのかな、あたし」 「うーん。基本的には小田ちゃんと同じ物食べてる筈だもんね。生ジュースも一緒に飲んだし」 「そだよね。…ん? 飲み物……」 「あっ!」 「ゲータレード!」 話は三日前のメリダに遡る。 メリダで宿泊したホテルは一階がショッピングモールになっていて、お土産ものから簡単な食事まで買うことができた。テオティワカンでピラミッドに登った時に買ったミネラルウォーターが残り少なくなり、翌日のウシュマル遺跡訪問に必要な水を補充しようと買物に行く。 「五○○・のペットボトルを持ってるんだからさ、一・五・一本買って二人でそれに補充すれば充分じゃない?」 水を売っている店舗を探して歩きながら蘭が言った。 「でもあたし、少しは味のある飲み物のがいいんだよね」 「味のあるのって、ジュースとか?」 「それだと甘すぎるから一番いいのはポカリスエットかアクエリアスなんだけど、外国ってそういうの売ってないんだよね」 「見たことないね、そういや。それにポカリスエットって海外じゃ言葉の意味が良くないらしくって、売れないみたいだしね。汗がどうとか言う意味になるらしいよ」 「とりあえずスポーツドリンク系があればいいんだけど」 言いながらサンドイッチや飲み物を売っている店舗に入るが、美代子の希望するものは置いていない。 「やっぱりないか」 「みーちゃん、これは? ゲータレード」 蘭が見つけたのものは、一昔前は日本でもよく見掛けたスポーツドリンクであった。しかし、どれもこれも色が尋常ではない。 「ゲータレードはいいんだけどさ、もっとまともな色のはないのか!」 美代子の言う通り、蛍光ピンクに蛍光黄色、鮮やか青に濃い緑。およそ飲みたいと思える色ではない。 「どうして外国って、しかもアメリカが強い所ってこうなんだろうね。紫のケーキとかあるしさ、こんな色じゃ食欲なくなるよ」 「本当だよね。まぁ、なんとかいけそうなのは、これかな」 ドギツイ色のゲータレードの中から、美代子は比較的まともな薄いレモン色をした瓶を取り出す。 「あ、これなら飲めそうな色。でもあたしは水の方がいいな、持ち歩いてぬるくなっても飲めるし。みーちゃんも飲むかもしれないよね、一・五・を買っとくか」 部屋に帰って蘭はミネラルウォーターを、美代子は瓶のゲータレードをそれぞれの五○○・のペットボトルに移し替えて、翌日からはそれを持ち歩いた。 「あの時のゲータレードか! そういやウシュマル行く前日に買って、今日のエルレイでもそれ飲んでたもんね。その間冷蔵庫なんか入れたことなかったし、炎天下の遺跡巡りでぬるまったゲータレード。きっとそれだ!」 「みーちゃん、部屋帰ったらそれ捨てな!」 「うん。明日からは私もミネラルウォーターにするよ」 ……そんなものを飲んでいれば、お腹を壊して当り前である。 そしてカンクンからメキシコシティへ戻ったその日、今度は蘭が【モクテスマの復讐】に遭うこととなった。 午前中にカンクンからメキシコシティへ移動した飛行機で一騒動を起こし、昼からは国立人類学博物館を見学した。 メキシコ最後の夜となった今夜は、少し豪華に肉料理を食べようと『La Mansion(ラ・マンシオン)』へ向かう。宿泊ホテルの『カリンダ・ヘネベ』から歩いて数分のステーキが美味しいレストランである。昨年昼食を食べに入り、蘭はここのクロワッサンが大のお気に入りになったのだ。 メキシコシティへ着いた頃からなんとなく頭が痛い、と思っていた蘭だったが、『ラ・マンシオン』へ向かうに連れて頭痛はどんどん酷くなる。席に着いてからも頭痛は直らず、頼んだスープもあれほど気に入っていたクロワッサンも食べられない。食べ物の臭いが鼻について吐き気さえ催してきた。 これは駄目だ! と遂に食事することを諦めて、父親に送ってもらい一足先にホテルへ戻ることにする。友人の蘭がいないのにその両親だけと食事することになる美代子のことは気になるが、とても食べ物のある席に着いていられない。スープでこの状態なのだ、メインの肉料理が来たら耐えられないことになるのは目に見えている。 ホテルに戻り部屋のキーを父親に預けると、簡単にシャワーだけ浴びてベッドに潜り込んだ。 食事を終えた美代子が戻ってきた音で目を覚ますと、やっと少し回復していた。 「あ、小田ちゃん大丈夫?」 「……ん。おかえり、みーちゃん。なんか、大分回復したよ。今はそんなに頭痛くない。ごめんね、ウチの両親の中に一人残しちゃって。おいしかった?」 「うん、それは平気。おいしかったよ。でも大味だったね、やっぱり。あ、これお土産」 美代子が持ってきてくれたものは、『ラ・マンシオン』で蘭が気に入っていたクロワッサンだった。 「あー、ありがとう。これ好きなんだよね、今なら少しは食べれるかな」 ミネラルウォーターと小さなクロワッサンを一つ。それだけをその日の夕食としてベッドに戻った蘭は、しかし翌日にはすっかり回復していつも通りに朝食を平らげ、帰りの飛行機の機内食もおいしく食べることができた。 やはりこれは【モクテスマの復讐】。海と緑の自然が多いリゾート地カンクンでのんびりリラックスした後に、人と車のひしめく排気ガスの標高二千・以上の大都市メキシコシティへと移ってきたストレスだろうか。 【モクテスマの復讐】。それは人によって様々な形で現われる。そして、何が起こってもその一言で片付けられる便利な言葉でもあるのだった。 |