元の原稿が縦書きなので、漢数字等見難い部分がありますがご了承ください。
★修学旅行生といっしょ |
今回のメキシコ旅行は当初、蘭の両親が生活しているサラマンカとその近くのグアナファトを訪れるつもりで計画していた。しかし同行者の畑中美代子も蘭と同じく遺跡好きとくれば、古代遺跡の宝庫メキシコで訪れたい場所は自ずと決まってしまう。グアナファトは次回に持ち越しとして、今回はメキシコシティでテオティワカン、メリダからウシュマル、カンクンからチチェンイツァー、と三つの遺跡をメインに据えてのメキシコ遺跡巡りの旅となった。 この旅程を蘭が両親に話して飛行機とホテルを現地で手配してもらう。そして、丁度休みの取れた父親もカンクンやメリダにはまだ行ったことがないから、と全行程に同行することとなった。小田家の家族旅行に美代子が参加する様相を呈してしまったが、お互いこれなら言葉の心配もなく旅行できると安心もしたのだった。 メキシコシティに到着した翌日、タクシーを一日チャーターしてメキシコシティから車で約一時間のテオティワカンへと向かった。途中、シティバンクに寄って現地通貨を引き出した後、レフォルマ通りの独立記念塔前で降ろして貰う。この大通りには大きな交差点やロータリー毎に、コロンブス記念碑やクアウテモック記念塔といった歴史的なモニュメントが建っているのだ。特に独立記念塔のある周辺はソナ・ロッサと呼ばれ、日本大使館や各航空会社のオフィスもあるメキシコ一の繁華街となっている。 蘭と美代子はさっそく観光客よろしく、独立記念塔をバックにお互いに写真を撮りあった。 「いいー? 撮るよ。うーん、もうちょっと退がらないと天使まで入んないや」 何しろその高さ三十六m、天辺には金色に輝く天使の像を頂く塔である。当然、全体を一緒に写さねばなるまい。 「ねぇ、あそこ警備の人が立ってるけど、中に入れるのかな」 美代子の言葉を受けて、蘭も塔の台座部分を見る。塔の立っている下の階段にはカップルが腰掛けていて、正面の台座には獅子の像の下に闇く空いた入口のようなものが見えた。その脇に制服を着た男性が立っているのだ。 「行ってみよう!」 「うん」 両親に声を掛け、通りを渡って塔の下まで行ってみる。 やはり正面のそれは入口であった。警備員らしき人の前を通り中へと進む。ドーナツ状に通路が出来ていて、ランプの薄明りがあったものの、明るい陽の光りに慣れた目はその闇さに慣れるまで少し時間がかかる。右回りに進むと、警備の人も一緒についてくる。観光客が何か悪戯をしないように見張っているのか、中で観光客が危ない目に遭わないように気を付けてくれているのか、おそらくその両方であろう。 「わー、あたし去年はここ、外から眺めただけだったもんなー。中がこんなになってるなんて知らなかった」 声が篭って響くので、自然と小声になってしまう。 中央の柱の一部が所々硝子張りになっていて、その中にはいくつかの箱が収められている。 「これって何だろう。箱があって、上に何か書いてあるけど、スペイン語じゃ分からないな」 美代子の言う通り、硝子張りの上には数字と文字が書かれている。 「えーと……? モレ…ロ…ス? っとこっちはイ…イダル…ゴ、イダルゴ神父! これあれだ。独立の時活躍した人達だよ」 蘭がアルファベットを追って読み上げてみると、メキシコ関連の書籍で読んだことのある名前が読み取れた。 「そっか、独立記念塔だもんね。何人かの英雄が眠ってるんだね」 二人とも妙にしんみりして外に出る。 外に出て台座の周りをぐるりと一回りしてみると正面には獅子の像、他にも独立当時の英雄達の像が台座の周囲を飾っている。そして外を向いて立つと、目に入るのはまっすぐなレフォルマ通りを行き交うたくさんの車。カブト虫型をした緑色のタクシーがやけに多い。 ボーッとその様子を眺めていると、前から小型バスが来るのが見えた。そのバスがロータリーを回る時、開いている窓からは同じジャージを着た大勢の学生達が一斉にこちらに向かって手を振ったり声を掛けたり、大変な騒ぎが始まってしまった。 「わーい! オーラ!」 バスの学生に負けじと両手を上げてバスに向かって手を振り声を掛けて応える蘭に、隣にいた美代子が驚く。 「お、小田ちゃん?」 「ん? ほら、みーちゃんもせっかく手振ってくれてるんだもん、振ってあげなよ。わー!」 すぐに通り過ぎてしまったバスを見送りながら、まだ手を振っている蘭であった。 「さ、じゃ、そろそろ次行こうか。テオティワカンへレッツゴー!」 「……」 二人が車に戻り、暫く走ると窓の外の風景は一変した。近代的だった街並を抜け、山に囲まれた何もない草地が広がる。時々牛がのんびりと草を食んでいる以外は何もない道をひたすら走る。山の斜面には一面に張り付くようにして家々が立ち並ぶ。シティに住めるのは白人達やメスティソと呼ばれる白人とインディヘナの混血の人達の一部で、大部分のメスティソやインディヘナの人達はここからシティへ通っているということである。地方から出て来る人は多いが、出て来たからと言って全員に職があるわけもない。それでも都市に職を求めて出て来る人は増加を続け、ますます失業率が上がっているということだ。そして、それらの人達の家が山沿いの斜面に広がっていくのだそうだ。 お決まりのように土産物屋に寄られてから、テオティワカンに到着したのは午前一一時頃であった。 車は遺跡の南側、博物館の脇の駐車場に止められた。入場料は一人16ペソ。ビデオを持ち込むには更にいくらか払わなくてはいけない。 遺跡巡りの必需品であるミネラルウォーターを買ってから博物館を通り過ぎると、左右に【死者の大通り】が通っている。全長四q、幅四五mと言われるそれは、まさにメインストリートと呼ぶにふさわしい堂々とした道であるが、実際に発掘されているのは【ケツアルコアトルの神殿】から【月のピラミッド】までの二q程だ。正面には【ケツアルコアトルの神殿】、左手方向に向き直ると、遠く正面に【月のピラミッド】とその右手前に【太陽のピラミッド】が見える。 「やったぁ、ついに来たのねテオティワカン。うっとりー、夢だったのよここ」 美代子が両手を胸の前で組み合わせ、夢見る口調でつぶやいた。 メキシコ最大の宗教都市遺跡テオティワカン。壮大な夢をかきたてられ遠く思いを飛ばしている美代子。その脇で蘭は【死者の大通り】の中央に立ち、両手を上げて思いっきり伸びをしている。 「んーっっ! おおっ、なんか今日は風強いわ」 突風が吹き、砂を巻上げて二人に吹き付けてきた。 「う、埃っぽい……。せっかく古代に思いを馳せていたというのに」 この突風で現実に引き戻された美代子は、広げた想像を中断させられて少々不機嫌にぼやいた。 「高地で乾燥してるもんねー。日差しは強いし、埃っぽくもなるわ。んじゃ、まず最初は【ケツアルコアトルの神殿】から行く?」 「うんっ」 語尾にハートマークでも付きそうな調子で応えた美代子と共に、大通りを横切って【ケツアルコアトルの神殿】へと向かう。両親とは既に待ち合わせを決めて分かれているので、そのままずんずんと進んで行く。 「私なにかで読んだんだけど、この神殿の正面に向かって一定の距離から手を叩くと、鳥が鳴いてるみたいな音が返ってくるんだって」 「一定の距離ってどのくらい?」 「んー、そこまではちょっと忘れちゃった。小田ちゃんの持ってるガイドに書いてない?」 二人で蘭が持ってきた二冊のガイドブックをめくってみるが、それらしきことは何処にも書いていなかった。 「書いてないね」 「ないなー、よし、遠くから手叩きながら近づいてったらどこかで鳴るかもよ。じゃ、この辺から」 蘭が手を叩きながら神殿に向かって歩いていく。しかし、神殿に到着するまで叩き続けてもそれらしき鳴き声は聞こえてこなかった。 「聞こえなかったね」 「うん。おかしいなー、確かに読んだのに」 「それって何処か違う遺跡なんじゃない?」 「いや、絶対ここだった。と思うんだけど……」 すっきりしない、という表情のままの美代子であるが、聞こえないものは聞こえなかったのだ。神殿の中へ入ろう、と右手に回る。 「どひゃー、学生の集団。なんだこりゃ」 蘭は思わず声を上げてしまったが、神殿の中へ入る入口付近にはおそろいのジャージを着たあふれんばかりの学生集団がいた。欧米系の観光客も学生が入り終るのを待っているらしく、その周辺でウロウロしている。 待つこと数分、やっと学生集団が見えなくなり、欧米系の観光客に続いて進んでいく。順路の脇には妙に愛敬のある石彫り、そして神殿の壁面の装飾に見とれながら歩いていくと、上部が崩れて欠けた階段とその両側に一定間隔毎に彫られたケツアルコアトルが現われた。その正面も階段状になっていて、先程の学生集団が座って説明を聞いていた。聞こえてくる説明はもちろんスペイン語で、何と言っているのか分かる筈もない二人は学生達が座っているその脇を上まで登り、手すりにもたれ掛かりながら遺跡を眺めることにする。 やがて説明も終り、学生集団がぞろぞろと動き出す。蘭と美代子はこの波が去ってから神殿を出ることにし、そのまましばらく正面の彫刻を眺めていた。 ふと、その学生集団の最後尾グループにいた男の子の一人と蘭の目が合った。 「What's your name?」 目の合った男の子が英語で聞いてくる。 「Ran. And she name is Miyoko」 スペイン語じゃなくて良かった、これなら分かる、と蘭は手を振って応える。 「Ran, Miyoko, Love you!」 そう言って投げキスまでしてよこす彼に、蘭と美代子は一瞬の後に大笑いしてしまった。 「あははは、Thank you. わははははー」 「さ、さすがラテンの国だわー、ぷぷっ。イカス! 将来楽しみだねぇ、兄ちゃん」 大人びて見えるが実際は中学生くらいだろう。彼等は果たして蘭達をいくつだと思っていたのであろうか。この日の二人の格好はGパンにTシャツ、さらに東洋人は若く見られるというから大学生くらいに思われたのかもしれない。 「ねぇ、小田ちゃん彼等ってさ、さっき独立記念塔でバスから手振ってた子達じゃない?」 「え? そうかなー。あ、でもそういや青いジャージに白いTシャツが同じだ」 「ね? きっとそうだよ。修学旅行か社会科見学かってとこだよね」 「言えてる、そんな感じ」 学生集団が去った後、二人は【ケツアルコアトルの神殿】を後にして【死者の大通り】を北へ向かう。 時々突風に煽られながらも通りに点在する遺跡を回り、途中で地元の親子に声を掛けられて一緒に写真に写り、床が雲母で出来ている【バイキング・グループ】では先程の学生集団に再会した。 お互いに手を振りながら別れると、いよいよ高さ六五m、底辺が一辺二二五mの巨大な【太陽のピラミッド】に辿り付いた。 「いざピラミッドへ!」 右手を上げていくぞ、とポーズをとった蘭はさっそく階段を登り始める。 「みーちゃん、ゆっくり来た方がいいよ。忘れてるかもしれないけど、ここ二千m越える高地だからね」 「オッケー、大丈夫。上で待ってて」 さくさくと登っていく蘭と、一歩一歩慎重に登っていく美代子。蘭は途中周りの風景や下から登ってくる美代子を写真に撮りながら頂上へと登り詰める。昨年ここを訪れた時より人が多い気がしていたが、頂上も大勢の人でごったがえしていた。もっとも、最大の人出になる春分や秋分の日に比べれば随分マシなのだろうが。 そのうちに美代子も辿り付いた。 「みーちゃん、お疲れ。大丈夫?」 「んー、ちょっと……息が切れるかも…」 美代子は肩で息を付きながら、既に口の開いているミネラルウォーターを飲む。 「ねぇねぇ、そこ頂上の真ん中に立ってみなよ、写真撮ったげる」 「あ、待って待って、水しまってから」 斜めがけにしたバッグに五○○・のボトルをしまいながら、美代子が中央へ移動する。 蘭の方へ向き直ると、美代子は側にいた見るからにネイティブな中年女性に片腕を捕まれ、そのまま上へと手を挙げさせられた。 「え?」 その瞬間は外してしまったものの、その時の写真にはしっかりと、驚いた顔の美代子とおばさんが写っていた。 「ナーイス! シャッターチャンスは逃しちゃったけど、しっかり撮ったからね」 突風に巻上げられる砂もここまでは届かない。心地よい風に吹かれながらも日差しは強烈で、ジリジリと焦げるような暑さの中、暫く頂上で休憩すると【太陽のピラミッド】を降りて【月のピラミッド】へ向かう。 この日は何故か学生の集団が多く、【ケツアルコアトルの神殿】で会った青いジャージの彼等以外にも小学生らしい赤いジャージや、水色や黒のジャージといった、様々な年齢の学生集団を至るところで見掛けた。 【月のピラミッド】から【死者の大通り】を望むよく写真で見る景色を実際に自分の目で確かめて、【太陽のピラミッド】より足場の悪い頂上をぐるりと歩き回っては周辺の景色を体全体で感じとる。そしてピラミッドを降りようかという時に、水色のジャージを着た男子学生が競争するように下から一気に掛け登ってきた。 景色をゆっくり楽しみながらのんびり降りている蘭と美代子の脇を掛け登っていく子供達。そうかと思うと最初に登っていった子達がもう降りてきた。 「元気いいー。というか、やっぱり現地の子達はこの標高で生活してるだけあるね、ものともしないで掛け登りだよ」 「上の方崩れてる所あるってのに、とても真似できん」 「小田ちゃん真似する気あったの? ま、止めはしないけどさ。キミならできるよ」 「やんないよー。そんなガキじゃあるまいし」 と言いつつも、あいつらと同じ年で一緒にいたら分かんないけど、と続けた蘭であった。 【月のピラミッド】を降りると両親とタクシーの運転手が待っていた。隣にある【ケツアルパパトルの宮殿】や【ジャガーの宮殿】を運転手の案内で回り、その脇にある駐車場まで移動してくれた車に乗り込んだ時には、遺跡到着からたっぷり三時間半が経っていた。 今日は夕方の飛行機でメリダへと向かうことになっているので、既にホテルはチェックアウトして荷物もタクシーに積み込んでいる。途中レストランで昼食を取り、そのままメキシコシティの空港へ向かう。明日は、ウシュマルの遺跡を回る予定である。 |