元の原稿が縦書きなので、漢数字等見難い部分がありますがご了承ください。
★キミの名は・・・ |
ウシュマルを訪れたからには是非その近くにある遺跡も見ておきたいものだ。よくツアーなどで一緒に回る遺跡として、カバーと呼ばれるものがある。 ウシュマルからは一五q程の距離にあり、タクシーを一日チャーターしている蘭達がこれを見逃す訳はない。日本でガイドブックを見て、カバーとそこから五q程の距離にあるサイールという遺跡に目星を付けていた蘭と美代子は「カバーとサイールに行きたい」と告げる。すると観光客を相手に商売している運転手は心得たもので、遺跡の位置を記してあるロードマップを取り出して見せてくれた。 「他にもこの近くにはたくさんの遺跡があるけど、どうする? ってさ」 父親が間に立って通訳してくれる。スペイン語を理解している人間が一人いるとこうもスムーズに事が進むのか、と昨年のメキシコで言葉の壁に多いに苦戦した蘭は有難く思う。 その地図を受け取って開いて見るとあるわあるわ、大小取り混ぜて日本のガイドブックには到底載っていない遺跡までが至る所に点在している。 「どひー、こんなにたくさんあるんだ」 「すごい。やっぱり日本にあるガイドブックって、本当に一部の遺跡しか載せてないんだね。未発掘の遺跡も多いって話だし、きっとここに載ってないのもたくさんあるんだろうな。どうする? 小田ちゃん」 蘭と美代子はその地図を眺めながら暫し思案する。 「うーん……。日本のガイドブックに紹介されてない遺跡ってのにはすっごく惹かれる」 「そうだよね、行ってみたい気はすごくする」 「でもあたし、カバーの壁一面チャックの顔ってやつを見てみたいんだよね」 日本でガイドブックを見ていると、どうしても実際に自分の目で見て体でその雰囲気を感じたくなってしまうのだ。 ウシュマルに行くと決まって以来、近くにあると言うからにはその遺跡に行かずしてどうする! とガイドブックを調べていて蘭はカバーのチャックに魅かれ、美代子は半分崩れているサイールの遺跡が気になっていた。 「小田ちゃんカバーのチャックでしょ、私はサイールの半壊してる遺跡に登ってみたい衝動に駆られてるんだよね。ってことはやっぱりこの二つかな」 「そだね、日本に帰ってガイドブック見る度に『行きたかったー』って思うよりは、今回はカバーとサイールにしとこうか」 今回は、と言ってしまうからには蘭の中では既に次のメキシコ計画が立ち上がっているようだ。 「うん。他のは次回を狙おうよ」 美代子もすっかりその気になっている。 「次は今回来れなかったきょうちゃんも誘って『日本未紹介遺跡ツアー』でも計画しよっか」 「よし! じゃあ今回はカバーとサイールってことで、お願いします」 蘭の父親を通して二人の意見を伝えてもらうと、タクシーランプの無いタクシーでなくなったままのタクシーは、まずはカバー遺跡に向かって走り出した。 カバーはウシュマルから南へ一直線に進んだ所に位置している。ユカタン半島北部ではウシュマルに次ぐ規模の都市と言われているこのカバー遺跡は、その敷地を自動車道が二分している。まっすぐ走る道の左手側に事務所があり、そこで10ペソの入場料を支払ってまずはこちら側の遺跡へと進んでいく。 事務所と言ってもウシュマルに比べるととても小さく、小屋と呼ばれるようなものだ。緑に被われる広い敷地の奥に、遺跡が一つ見えている。 「あれがチャックの壁の【コズ・ポープ】ってやつかなぁ?」 二人が持参した中で唯一カバー遺跡の配置図が載っているガイドブックを見ながら、蘭が見えている遺跡を確認する。しかし、近付いてみればどこにもチャックらしき装飾は見当たらない。 「ねぇ、チャックいないよ。これ【コズ・ポープ】じゃなくて違う建物なんじゃない?」 美代子に言われて再度ガイドブックに目を落とすが、配置図上ではどう見てもこの位置にあるものが【コズ・ポープ】となっている。 「でも、この地図見る限りじゃコレなんだよなぁ……」 「小田ちゃん、他の本は?」 「ちょっと待って、こっちの写真の多いやつ……」 言いながら、蘭はウェストバッグからユカタン半島の遺跡とホテルを多く紹介してある本を取り出す。カラーで数多くの写真が載っていて、他のガイドブックに比べて個々の遺跡の詳しい説明や背景が書かれているこの本は、蘭と美代子のお気に入りでもあった。 「む! この写真を見る限りじゃこの建物はどう見ても【大宮殿】だ。ってことは、配置図上では【柱の神殿】てなってる建物だよなー」 「こういう地図って、実際とは違うものが多いんだよね。あんまり信用しちゃ駄目なんだよ、参考程度に思っておかないとさ」 「だね。すると【コズ・ポープ】はあっちとなる訳だ。でもその前に…っと」 蘭と美代子はさくさくと【大宮殿】(配置図上での【柱の神殿】)へ向かって歩いていく。 「やっぱりもちろん」 その階段に足を掛けながら蘭が言う。 「見ちゃったら登らない訳にはいかないよねー」 美代子も言って、二人は【大宮殿】へ登っていく。 蘭達の他には見学者も数人しかおらず、ゆっくりと遺跡に登り、存分に見て回ることができて大満足である。 【大宮殿】に登った後に【コズ・ポープ】へと移動する。 蘭が見たいと望んでいた壁一面のチャックは崩れている部分も多いが、よくぞここまでと思う程ぎっしりチャックの彫刻で埋め尽くされていて圧巻である。 「いやー、やっぱり実物はすごいやね」 「これはでもちょっと、こんなにぎっしりあったら怖い感じがするね」 「夢に出て来そう、って?」 「うう、チャックが……、チャックの壁に押しつぶされるーー、ってね。うわー、やめてよ小田ちゃん。想像しちゃうでしょ」 片手を胸に当て、もう片方の手を空に向かって伸ばして助けを求める真似をする美代子。 「何言ってんのさ、自分でやっといて」 「あはは、ちょっとやってみただけ。でもさ、これはちゃんと後ろも修復されてんだね、珍しくない?」 「そういやそうだね。……あ、なんだ。【大宮殿】から【コズ・ポープ】の背後が見えるからだよ」 修復されているのは正面と背面部分だけで、両脇は崩れて土に埋もれたままになっている。背面まで修復されているのは珍しい、と思ってみればなんのことはない。先程の【大宮殿】から【コズ・ポープ】の背後が見えるのだ。とりあえず見える所から修復してるのだろう。 そして、【コズ・ポープ】の脇には土に埋もれ草に被われている遺跡があり、これなどはもはや前述の配置図にも載っていない。そのうちこれも修復される時がくるのだろうか。 「ねぇ、あの人……」 「うん?」 美代子に言われて、蘭は【コズ・ポープ】の脇にある崩れて小山状態になっているその上を見る。 「あれ? あの人、日本人?」 そこには【コズ・ポープ】に向かってカメラを構える一人の日本人と思われる男性がいた。蘭達の様なお気楽お手軽35oコンパクトカメラとは一味違う、しっかりとした一眼レフカメラである。更にその脇にはカメラバッグが置かれていた。 「なんだろ、プロのカメラマンとかなのかな」 「案外遺跡フリークのお兄ちゃんかもよ? でもメキシコ来て始めて見たかも、私達以外の日本人って」 「うん。去年もそうだったけど、日本人ほんと見ないんだよね、メキシコって。去年なんて、カンクンで島に行った時に擦れ違った人とお互い顔見合わせて『日本人だー』って驚きあったくらいだもん」 ツアーに入らず旅行をしているからか、それにしてもメキシコというところは殆ど日本人を見掛けない。 写真を撮っていた男性は、遺跡の小山を降りて【コズ・ポープ】の前を通り【大宮殿】の方へ向かって行った。 それを見ていた蘭と美代子は、やはりこれは! とその男性が登っていた遺跡の原形を留めていない小山に登っていく。 「ひゃー、結構足場悪いよ、これ」 土の中から顔を出している石の部分に足を掛けながら、階段とはとても呼べない所をバランスの取れそうな足場を見つけて登っていく。 「うわー、【コズ・ポープ】が一望できていいアングル。お兄ちゃん有難うだね」 さすが一眼レフを構える人はいい場所を見つけるものだ、と蘭もここからの【コズ・ポープ】をコンパクトカメラに収める。 「ここが【コズ・ポープ】の隣でしょ、したら向こうにまだ遺跡があるはずなんだけどな」 蘭が配置図のガイドを見ながら【大宮殿】とは逆の方向を眺める。 「だーから、そういう地図を信じるなってのに」 「そうは言ってもさ、みーちゃん。やっぱり遺跡の名前と位置は知っておいた方が後々記憶に残りやすいじゃん」 「それじゃあこうだっ」 言うと美代子は自分のバッグからボールペンを取り出し、蘭の持っていたガイドの配置図に今登っている遺跡の小山を書き足して、さらに【大宮殿】と【コズ・ポープ】に通じている道を訂正した。 「これで自分で確かめた地図ができるでしょ」 「みーちゃん、あったまいい」 「ふふん、まかせなさい」 登った時と同様に、しっかりとした足場を探しつつ小山を降りると、今度は自動車道を渡って向かいの敷地へと入っていく。 時間になったら鍵でも掛けるのだろうか、今は開いている鉄柵の扉を通り抜けて未舗装の道を進む。しばらく行くと、ウシュマルでも見た形のアーチが現われた。階段の上にマヤアーチだけが残されているここは、【凱旋門】と呼ばれる遺跡である。 このアーチを抜けると二○○m程道が続いて、そこから先は林になっている。当時はここから白く舗装された道がウシュマルまで伸び、それをマヤ語で『白い道』という意味の【サクベ】と呼んでいたそうであるが、今や草に被われ『白い道』ならぬ『緑の道』である。この二人のことであるからもちろん【サクベ】の先まで進んで行くが、そこから先は樹々の繁る林となって、もはや道なぞどこにも見当たらない。 配置図によると、道のこちら側には【凱旋門】の他にも【魔女の家】と【塔】という遺跡があるはずなのだが、そこに至るまでの道はどこにも見当たらない。配置図を参考にしながら遺跡に通じる道を探そうとするのだが、ここかと思われる脇道に見当を付けて進んでみても、すぐに生い茂る樹に行く手を遮られてしまう。 「もー、本当に【魔女の家】と【塔】に行ける道ってあんのかな?」 「そのガイドの発行っていつ? もしかしたらさ、その時は通じる道があっても、年月経つうちに樹が繁って道が無くなったのかもよ?」 「そうか、それも考えられるね」 何度目かの道にチャレンジして、やっぱり樹によって邪魔されてしまった二人は、悔しいけれどその二つの遺跡は諦めることにした。 次はカバーから南へ五qのサイールへ向かう。 サイールはカバーより更に訪れている人が少ないようだ。入口で10ペソの入場料を払い、記帳名簿に名前を書かないか、と勧められて四人はしっかり漢字で署名をしてから進んでいく。 入口から歩道を通って進んで行くと、半壊した建物が見えてくる。ここはカバーより二〜三○○年前に最盛期を向かえた都市で、半壊しているのは【大宮殿】と呼ばれる建築物である。 【大宮殿】の正面に立つと、その左半分は修復されているのだが、中央の階段から右半分は崩れて欠けたままになっている。中央の階段も修復されているのは第一階層だけで、第二・第三階層の階段は雪崩が起きたように崩れるにまかせている状態である。周りに転がる岩の固まりは【大宮殿】の崩れた部分なのだろうか、それとも違う建物があったのだろうか。 さっそく第一階層の階段を登った蘭と美代子は、修復されている左半分を通って後ろへ回り込む。『見える所しか修復していない』という今までの遺跡と同じく、この【大宮殿】も背面は建物の形を成していない。 それでも裏側を中央の階段のある位置まで進んで行く。さすがにそこから先へは足場が悪すぎて進めない。 「なーんか、人いなくて静かでいいねぇ」 進める所まで進んで、周りを見回すと蘭が言った。 「昼も遅い時間のけだるさがあって、なんというか、長閑な田舎の風景だね」 「うん。このままここでのんびりしてたいなー」 見下ろせば一人で歩いている人がいる。遺跡管理の係員なのかもしれないが、その姿がまるで農作業に出て来たおっちゃん、といった感じでますます田舎な雰囲気である。 しばらくボーッとしてから正面に戻り、修復された二層目の柱の間から建物の中へ入っていく。中へ入っても見るべきものは何もなく、カビ臭いだけだ。外の壁にはチャックの顔が作られていて、雨の神チャックを祭る水を求める強い思いが伺い知れる。 サイールにはこの【大宮殿】くらいしか見るべきものはなく早々に引き上げてしまったが、見るものはなくても、日本にいては忘れがちなあののんびりとした時間はとても心地よいものだった。 蘭も美代子も見たいと思っていたものは見ることができたし、登るところは登ったし、満足一杯でタクシーに乗り込んだ『メリダ発遺跡巡りの一日』なのだった。 |