元の原稿が縦書きなので、漢数字等見難い部分がありますがご了承ください。


★ウシュマル攻略法〜道なき道をススメ〜
 事前に予約してあったタクシーが九時三○分にホテルに迎えに来て、助手席に父親が、後部座席に母親と蘭と美代子が乗り込んでウシュマルの遺跡へと出発する。
 メリダから南へ八○q、ウシュマルまでは車で一時間程で到着する。その道のりは一本道をひたすら飛ばし続け、道の両側は単調な景色が続く。タクシーは途中いくつかの村の中を通りながら進んで行く。人口数十人からの小さな村それぞれに古い教会があるのを見ると、当時の布教の力はすごいと思わざるを得ない。
 村から離れると、すぐにまた同じ単調な景色が広がる。村同士が何qも離れ、擦れ違う車も少なく、タクシーは常時一○○q以上の速度で快調に飛ばしている。多少舗装の悪い道もなんのその、ジャリジャリと音を立てながらひたすら進む。
 そうして何分走った頃だろうか、タクシーが突然ガンッと音を立てた。それまでも砂利道を走る音はしていたが、それとは種類の違う音である。何かの故障かとも思うが、運転手は特に気にした風でもなくそのまま車を走らせている。たいしたことはないのかと思っていると、その時擦れ違った車がライトをパッシングした。すると、運転手は速度を落とし車を路肩に停止させる。
「なになに? やっぱり何かあったのかな」
 蘭は美代子と顔を見合わせてしまう。こんな何もない道の途中で故障してしまったとして、どうにかなるのだろうか。
 運転手が窓から身を乗り出して車と道の後ろを確認すると、助手席の父親に何事かを話し、窓から顔を出したまま車をバックさせる。
「うわわわ」
「何か落としたから少し戻るってさ」
 父親が説明してくれたが、いくら走っている車がいないとはいうものの、結構なスピードで後ろに走られると驚くものだ。
 今走っていた道をバックで暫く戻り、車を止めると運転手は外に出て何かを拾ってきた。蘭達も全員外に出てみる。
 運転手は手にしたものを見せながら、何事かを言うと車の屋根にそれを置いて笑う。
「それって、もしかしてアレ?」
 その名称が分からない蘭が笑いながら言った。
「ガンッて音はこれが飛んでった音だったのねー。ぷぷっ、これじゃタクシーじゃなくなっちゃうよ」
 運転手が車の上に乗せたそれを指差して、美代子も大笑いしながら言う。
 父親も母親も、運転手と話しながら笑っている。
 派手な音を立てて飛んでいき、対向車がパッシングして教えてくれたそれとは、車の屋根に付いていた【TAXI】という表示ランプであった。
 ひとしきり皆で大笑いして、運転手は【TAXI】ランプをトランクに仕舞い込み、タクシーじゃなくなったタクシーは再びウシュマルへの道を走り出した。
 単調な景色に眠くなっていた蘭であったが、この出来事の為に眠気もすっかり覚めてしまう。

 ウシュマルの入場料はテオティワカンと同じく16ペソ。やはりここでもビデオの持ち込みには別料金がかかるが、カメラしか持っていない蘭達には関係ない。
 入口でチケットを買って中へ入る。レストランや本屋のあるエリアを抜け、丘の様な斜面を登ると、「どーん」と効果音が付きそうな程いきなり【魔法使いのピラミッド】が現われた。
 上から見ると楕円形をしている珍しい形のこのピラミッドには、小人が一夜のうちに作り上げたという伝説が残っている。
「これが…【魔法使いのピラミッド】……」
「……すっごー」
 蘭も美代子も、その姿に思わず言葉を失ってしまう。
「ほら、二人とももっと近くまで行ってきなよ、写真撮ってあげるから」
 父親に促されて近くまで寄ってみると、ますますその高さと急角度に圧倒される。
「話には聞いてたけど、これ程とはね」
 ピラミッドのすぐ下まで来ると、頂上を見るには殆ど空を見上げる格好になってしまう。
「私、これ本当に登れるかなー」
 自ら高所恐怖症気味だと言っていた美代子が呆然としたようにつぶやく。確かにこれは、高所恐怖症でなくても足がすくんでしまうかもしれない。
「よし、行くぞ! 小田蘭、行きます!」
 怖い、というよりその高さと角度に感動していた蘭が喜々としてピラミッドに足を掛けて登り始めた。
「ええっっ、小田ちゃんもう行くの?」
「うん。これ、上からの見晴らしすごい気持ちいいだろうね。お先に」
 そう言ってさくさくと登っていく。このピラミッド、角度が急なこともあるが一段一段の幅が狭いのだ。縦に足を置くと、女性の足のサイズでも踵が少しはみ出してしまう。おまけに多くの人が昇り降りしているせいで角が丸くなってしまい、ともすると足を踏み外してしまいそうだ。
「うそでしょー、小田ちゃんあんなにどんどん登っていくよ」
 感心するやら怖いやらで、なかなか登る決心が固まらない美代子である。
「本当、我が子ながらあの子の行動は分からないわ」
「おばさん……。おばさんも登るんですか?」
「ええ、せっかく来たんですもん、頑張って登ってみようかしら」
 どうこう言いながらもさすがは親子だ、と思わずにはいられない美代子は、大きく深呼吸をして両手を握り締めるとしっかりと目の前のピラミッドを見つめて決意を固める。そして、そろそろとした足取りでゆっくりと登り始める。
 上の方では半分まで登っている蘭が、時々振り返っては手を振っている。
「うわー、どうしてそんなことができるのー」
「これは、後ろ振り返って下見ちゃったらダメよね」
 蘭の母親言う通り、そんなことをしたら挫けてしまう。目の前にあるひとつ先の段差のみを見つめ、一歩一歩確実に足を横に置きながら手を付いて登っていく。手すり代わりの鎖が一本あるが、鎖を掴んで登るために少しでも体を起こすと高さと角度のあまりにバランスを崩しそうだ。ゆっくりと、確実に、早く頂上に辿り付いてくれと願いながら登っていく。
「みーちゃん、おかーさん、こっち向いてー」
 上から蘭の声が聞こえる。早々と頂上に辿り付て一息付いた蘭が、未だ登っている途中の二人を写真に撮ろうとしているが、2人共とても上を向いている余裕などない。
「きゃー、やめてよー。そんなことできるわけないでしょー」
 ひとつ先の段差を見つめたままの美代子が言う。
「うーん、やっぱりそうか。いいや、このまま撮っちゃえ。これも記念になるでしょう」
 一番上の段に腰掛け、やっと半分まで登ってきた二人に向かってシャッターを切る。
 ウシュマルは有名な遺跡であるはずだが、今日は何故か観光客が少ない。昼間で一番暑い時間だからなのか、蘭達が到着した時に【魔法使いのピラミッド】を登っていた一人も既に降りてしまった様で、今頂上にいるのは蘭一人だった。美代子と母親が登り切るまでにはまだ時間が掛かりそうだ。遺跡の周囲は一面の緑。テオティワカンは荒涼とした感じがあったが、ここは見渡す限り緑が続き、所々遺跡らしきものが頭を見せている。緑が盛上がっている所も、きっとその下には遺跡が眠っているのかもしれない。
 頂上は神殿になっていて、その壁にあるレリーフを手でなぞり、蘭はその周囲を一周しようと歩き出した。
「おおっ、この端っこあんまり幅ないな」
 楕円の両端部分の幅が狭く、そこでは思わず神殿の壁に寄ってしまう。登ってきた方と反対側には【尼僧院】と呼ばれる建物が下に見えた。そのまま一周して最初に登ってきた場所に戻ってくる。丁度、美代子と母親も登りきったところだったらしく、神殿の壁に寄りかかってペットボトルから水分補給をしている。
「あ、お疲れー」
「や、やったわ。登りきってやったわよ!」
 疲れきった様子で座り込んでいる美代子であるが、果たしてこの状態で二人は無事に降りれるのだろうか。
「おめでとー、みーちゃん。あれ? お父さんは?」
 そういえば父親の姿が見えない。登っている時も見当たらなかったが、どうしたのだろうか。
「ああ、絶対登れそうにないから先に【尼僧院】に行ってるって」
 母親が答えてくれたが、やはりこういうことは女の方が強いのだろうか。
「あんたはもうここ一周してきたの?」
「うん、この後ろ行くと【尼僧院】が見下ろせるよ。【総督の館】も【球技場】も見えるし、いい景色。裏にも階段あってね、見た感じそっちの方が降りやすいかもよ」
 そう蘭が言うと、ようやく落ち着いたらしい二人が立ち上がり、三人は壁伝いに半周して【尼僧院】の見える位置まで移動した。
 実際にこちらから降り始めてみると、確かにこちらの方が階段の幅もあるし、角も丸くなりすぎていない。階段の途中にある神殿で一息つくこともでき、蘭はもちろん母親も美代子も昇りより随分楽に降りることが出来た。
「あー、でもよく登ったわ、私。テオティワカンの太陽と月なんて、これに比べたら全っ然登るの平気なピラミッドだったね」
「そうだね、実際登ってみるまでこんなにすごい角度だなんて思ってなかったよ。六○度って、あなどれん」
「何言ってんのよ、小田ちゃんさくさく登ってたくせに。ねぇ、それにしても、なんかこっちの方が装飾もすごいし階段の途中にも神殿の入口みたいなのあるし、【魔法使いのピラミッド】って、もしかしてこっちが正面?」
 美代子がピラミッドを見上げながら言った。
「そうかもね。向こう側はなんだかさっぱりしすぎてるし、他の遺跡に向かい合う感じからいっても、こっちが正面ってのは当たってるかも」

 ピラミッドを降りたところで父親と合流し、ここからは時間を決めて別行動とした。二時間後に入口の本屋で集合ということになり、蘭と美代子はさっそく【尼僧院】の中に入って行く。
「尼僧院、尼僧院。さっき上から見た時から気になってたんだ、みーちゃん、裏側回ろうね」
「裏側、いいねー。表ばっかり見てもつまんないもんね、裏も行ってみなきゃ。修復されてなさそうだけど、そこがいいんだよね」
「ねー」
 さっそくマヤアーチと呼ばれる独特の三角形をくぐって中庭に足を踏み入れる。
 中庭に立って四方をぐるりと見渡すと、プーク様式の幾何学模様の装飾に蛇神ククルカンや雨神チャックのレリーフも見える。その壁を埋め尽くす様な装飾が全面に展開されていた当時を思うと鳥肌が立つ。
 壁から目が離せない二人はそのまま中庭を横切って階段を登り、壁のすぐ側まで歩いて行く。
 近付いて見れば更に、精緻なレリーフには圧倒されるばかりである。修復されている部分も多く、特に西側の壁にあるククルカンのレリーフには目を見張ってしまう。
 蘭は、手を伸ばして壁に触れ、上方に施されている装飾を見上げる。修復されている部分がほとんどだとは言うものの、何百年も前に造られていた、当時そのままの場所に立つことの出来る感動は博物館では味わえない、現地を訪れた者にのみ許される喜びだろう。環境による影響から文化遺産を護る為に博物館に保護することも必要なことではあるだろう。しかし、いくら崩れていてもその地でしか味わえない雰囲気というものがある。
「この感じはその場に立ってみないとダメだよね」
 美代子が言う言葉に蘭も同意する。
「うん。博物館も好きな空間なんだけどさ。いくらそこで見ても実際に行ったことある所のものと、行ったことのない土地のものとだと同じに見てても何か違うんだよね」
「分かる、それ。実感が伴わないって言うか、胸に響いてくるものが違うよね」
「そう! あの場所にこれがこうあったのか、とか思うと更に思いが膨らんでいくというかね。あたしは本でもそうなんだけど、行った後でそこに関連するものを読むと更に深く自分の中に入ってくるんだ」
 その下のレリーフのない壁にいくつか造られているアーチをくぐって裏側へまわる。崩れた石もそのままに、足場がかなり悪くなっているが、二人は構わずバランスを取りながら壁に沿って歩いていく。
「わーい、これこれ。やっぱり後ろは見えないからか修復してないね」
 蘭が嬉しそうに言いながら前を歩く。それに続く美代子の声も弾んでいる。
「本当。壁だって欠けてるまんまだし。でも裏側も歩く、これこそがここまで来た醍醐味ってもんよね」
 こんなことで喜んでしまう二人の様子はまるで子供である。西側の壁の裏を進んで、北側の壁の表に出る。この上層部には雨神チャックのレリーフが多く彫られている。【魔法使いのピラミッド】を右手前方に見ながら歩いていく二人の前を、その時何かが横切った。
「……? あっっ!」
 その何ものかを目で追った美代子が見つけたものは、少し先でこちらを振り返っている、三○pはあろうかというイグアナだった。
「小田ちゃん、小田ちゃん。イグアナだよー」
 美代子が指差す方を見た蘭も、きょとんとした顔でこちらを見ているイグアナを見つけて大喜びしてしまう。
「ひゃー、大きいー! ちょっとこっち向いてるよ、かわいいじゃないか。そのままそのまま、逃げないでね……」
 そろそろと近づいていく二人に、イグアナはプイと向こうを向いてしまったが、逃げる気配は感じさせなかった。
「是非一枚撮らせておくれ……」
 慌ててウェストバッグからカメラを取り出す蘭に、当のイグアナはそんなの知らん、とばかりに向こうを向いたままじっとしている。
 シャッターを切るのを待っていてくれたかのように、一枚撮り終るとちょろちょろと逃げていくイグアナを見送って、蘭は満足げにカメラを仕舞う。
「わーい、ちゃんと撮れたぞ。今の大きかったね」
「うん、人馴れてるんだか人間なんてどうでもいいと思ってんだか、なんか可愛い奴だったね」
「そりゃあ、どうでもいいと思ってんじゃない? またお会いできるかしらー? イグアナくん」
「そういや小田ちゃんが持って来た本の中に、カンクンでイグアナがたくさん住み着いてる遺跡があるって書いてあったね」
「『観光客は遺跡よりイグアナ探しに夢中になる』というアレね」
「明日っからカンクンだし、そこ行ってみない?」
「いいね、行きたい。行こう!」
 『観光客は遺跡よりイグアナ探しに夢中になる』それはまるっきり、この二人のことではないだろうか。

 【尼僧院】を出て【球技場】へと向かう。
 マヤの遺跡にある【球技場】とは、人の背丈よりも高い位置に石をくり抜いて創ったリングがあり、二つのチームがそのリングにボールを入れることを競い合った場所である。その勝者には生贄の栄光が待っていたという。現代人には「勝者=生贄」という図式は到底理解できないが、当時としては神に近づく為に生贄になるということは大変名誉なことだったらしい。
「それにしたって心臓えぐり出されるんだよ? 名誉よりも恐怖のが強いと思うのは、やっぱり考え方の違いかなー」
 やっぱりどう考えても理解できない、と蘭は思う。
「私なんか、勝ったら生贄なんだったらわざと負けちゃうけどね」
 美代子が言うことももっともだと思うのだが、これも当時としてはとんでもない異端な考えなのだろう。
「そりは言えてる。でも負けた方は奴隷になるらしいからな。勝ったら生贄、負けたら奴隷、これぞ究極の選択。栄光を背負って死ぬか、苦しみに耐えながら一生奴隷人生を送るか。どっちもヤだぞ」
 ウシュマルの【球技場】は石壁の破損がひどく、しかし中央の石のリングにはしっかりと装飾が施されている。そのアンバランスさが蘭達に言いようのない感情を呼び起こさせる。
 気を取り直して【球技場】を通り過ぎ、さてどちらに進もうかと蘭がウシュマル遺跡の地図を開いて立ち止まる。
「さて、どっちに行こうか?」
「ここからだと【総督の館】か【大ピラミッド】に行けるみたいだね。【墓のグループ】にも行けそうだけど、ちょっと時間的にこっちはパスかな」
「【総督の館】から【大ピラミッド】って繋がって行けるみたいだから、まずは【総督の館】かな」
「よし、行こう」
 左方向に続いている道を選んで歩き出す。【総督の館】は周りより少し小高い丘の様になった上に建っている。
 ウシュマルの最高傑作との評価を受ける【総督の館】は横一八○m、奥行き一五○m、高さ一三mの土盛の台座の上に三層のテラスが設けられ、その上に建物が建てられている。実際は何に使われていたのか未だ解明されていないのだが、その気品のある建築から【総督の館】という名前が付いたということだ。その建物の前には、胸の所で繋がっている二匹のジャガーの彫像が南北を向いていて、この【双頭のジャガー】がなんとも寂しげに見えるのだった。
 やはりここでも蘭と美代子は【総督の館】に足を踏み入れ、建物内部に入って行く。
「わーい、階段だぁ、登るぞ!」
 勢い込んで階段を上っていく蘭に、今度は美代子も楽に続く。ここの階段はそうたいした高さはないのだ。
 ここでもしっかり建物の裏手まで歩いて一回り。【総督の館】の正面に向かって右手奥にある【亀の家】に向かう。
 向かおうとした所で美代子がまたイグアナを発見した。
「あ、またイグアナ!」
 【総督の館】の階段下でイグアナが二匹追いかけっこをしていたのだ。
「小さいのが大きいのに追いかけられてる。頑張れちっこいの」
「やったやった、さすがに小さいのは小回りきくね、無事逃げきりだ」
 逃げていた小さい方のイグアナは、階段下に崩れている石を上手に駆け上り、石と石の隙間に消えて行った。それに対して大きい方のイグアナはと言えば。
「ぷっ。こいつ、もちょっとダイエットした方がいいんじゃないか?」
「情けないぞ、上れないなんて」
 イグアナにダイエットもないものだが、実際に先ほど小さいイグアナが駆け上っていった部分が上れずに、二〜三度チャレンジした後、大きいイグアナは諦めて地面を別の方向へと消えて行った。
「あははー、残念だったね、おっきいの」
「みーちゃん、よく見つけたね。カンクン行く前にいっぱいいるじゃん、イグアナ。もしかしてメキシコって、イグアナ多いのかな」
 日本でイグアナを見る機会などほとんどない二人はこれだけでも喜んでいる。だが、実際カンクンの遺跡に行ってみれば、ウシュマルとは比較にならない程多くのイグアナ達が二人を出迎えることになるのだった。
 【亀の家】はこぢんまりとした建物で、建物の上部が亀の石彫りで飾られているところからその名が付いている。やはり、何に使われた建物かは不明である。
 【総督の館】の後ろを通って【大ピラミッド】へと進む。しかし【大ピラミッド】がすぐそこに見えるのに、そこへ進んでいく道が途切れてしまっている。【総督の館】が少し小高い丘に建てられているのに対し、【大ピラミッド】はその丘の下から階段が始まっているのだ。
 今、蘭達が立っている位置が丁度【大ピラミッド】の真ん中程の高さになり、無理をすればここからピラミッドの階段に移れそうな感じはするのだが、上の方には立ち入り禁止の様な柵が設けられている。ピラミッドと今立っている丘の間も、踏み外せばそのままずるずると下まで滑り落ちてしまいそうだ。
「これは、ここから入るなってことだよね」
 美代子が上の柵を指差しながら言う。
「てことは、もう一度【球技場】まで戻って右の道を行けってこと?」
 【球技場】を過ぎた所で分かれていた道を思い出して蘭が言った。
「そんな面倒くさいことやる?」
 美代子が蘭の方を向いて聞いてくるが、蘭にしてもまたあそこまで戻る気はさらさらない。
「やると思う?」
 美代子に向かって、お互いに微笑み合う。
「思わない」
「でしょ。じゃあ行ってみますか。さすがにここからピラミッドに移るのはアレなんで、裏から廻ろう。せっかくだからちゃんと下からピラミッドに上りたいしね」
「うん。この辺進めそうだよ、ちょっとケモノ道だけど」
 そう言って、美代子と蘭はもう少しピラミッドに沿って先に進むと、低木がまばらに生えている隙間を縫って丘を下ることにした。
 そこから【大ピラミッド】の修復されていない裏手に廻り、崩れた石の積み重なった上に登り、樹々を掻き分けて進んでいく。よく見ると一応誰かが通った後が残っていて、「なんとか『道』と呼べるかもしれない」道を歩いていく。どれがそうなのか分からないが地図上では【南の神殿】と記されている脇を進み、殆ど崩れていてこれまたどれなんだかイマイチよく分からない【鳩の館】を左手に見て【大ピラミッド】をぐるりと廻り、なんとか正面に辿り付いた。
 正面には【大ピラミッド】の解説看板もあり、【球技場】に続く道が見える。
「とうちゃーく!」
「やったね。まぁ、素直に【球技場】まで戻った方が早かった気がしないでもないけど、【大ピラミッド】の裏側も見れたしね」
「けど、見事に崩れたまんまだったね」
 やはり裏まで廻る物好きは殆どいないのだろう。修復されているのは見事に正面の階段だけだった。
 道なき道を進んで【大ピラミッド】を一周した物好きな二人は、当然このピラミッドも頂上まで登っていく。
 高さ三二mの【大ピラミッド】の頂上には、もちろん正面だけであるが幾何学模様とチャックがレリーフされた神殿が修復されている。
 午後一時を過ぎた日差しは強烈で、日陰のない【大ピラミッド】に登っている人は殆どいない。二人の他にはカップルが一組、かろうじて日陰になっている神殿の入口でごろりと横になっていた。
 蘭と美代子はその日差しのなか、ピラミッドの階段に腰掛けて時折吹いてくる心地よい風にしばらくボーッとしていた。しかしすぐに両親との集合時間も迫ってきて、落ち着いてしまった腰を上げて戻ることにする。
「ねぇ、あたしちょっとこの横から戻ってみようかな」
「えー、小田ちゃん大丈夫?」
 蘭は【大ピラミッド】を途中まで降りると【総督の館】の方を指して、横に向かって歩いていく。
「大丈夫そう。場所を選べば渡れるよ」
 そう言うと、トントンと【大ピラミッド】から【総督の館】のある丘に移ってしまった。
「全然大丈夫。みーちゃん、も少し上の方まで行ってみなよ。十分渡れるよ」
 その言葉に美代子も先程蘭が渡った場所まで登ってくる。
「あ、本当だ。これなら平気だね」
 美代子も脇から丘に移り、二人は【総督の館】へ来た時と同じ道順で【球技場】まで戻り、【魔法使いのピラミッド】の前を通ってチケット売り場のあるエリアへと戻ってきた。
 入った時には気付かなかったが、【魔法使いのピラミッド】の側にある背の高い木にたくさん咲いていた赤い花が、最後にやけに印象に残ったウシュマルを後にして、一行はカバーとサイールの遺跡へと向かう。今日は一日で三つの遺跡を訪れる盛りだくさんの予定なのだ。


last up date/2005.11.06