シカゴ
1998年10月12日(月)〜17日(土)

last up date/2006.05.01

このページの壁紙とラインは、メキシコで買ってきたタイルの模様を元に、けいさんが素材化したものです。


出発前
 シカゴ赴任者のかる〜いお誘いの一言で、メキシコ行きに合わせてシカゴも行くことにした。私にあんなこと言っちゃったら本気にしちゃうよ? タテマエなんて通じないっすからね?(笑)。
 てな訳でシカゴとメキシコです。
 メキシコは父親がいるし、今回で3回目だし、周りに言っても「ふ〜ん、また行くんだ」的な感じだったんだけど、シカゴに行くって言ったら「なんでシカゴ?」「シカゴって何があるの?」という疑問を投げかけられてしまったのは何故だろう〜。まぁ、そこまでの観光地って感じでもないし、私にしては珍しい旅行先だと思われたんだろうけど。遺跡もないしね(笑)。でも気がつけばこの時期、ソーサとマグアワイアが争っていたり(大リーグ)、バスケットでもマイケル・ジョーダン(シカゴブルズ)の話題があったりと、意識してないだけでシカゴは結構身近にあったのですね。
 メキシコで航空券を手配してもらい、初の二カ国。メキシコとシカゴへ出発だ〜!




1998年10月12日(月)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/ポーターチップ 5.00 61
↑メキシコ・ペソ
 日本からメキシコへ行く時に私が使うのは、JALのバンクーバー経由メキシコシティ行き。メキシコで父親にJALの家族呼び寄せチケットというものを手配してもらうので、必然的に利用便はJALですよ。経由と言えども直行便はこれしかないしね。あとはJALだとロサンゼルスで飛行機を乗り換えて行く、ってのが同日着できる方法なのです。
 そんな訳で今回もJAL。バンクーバー経由。この便は日本を夕方出発してメキシコシティに到着するのも夕方。時差の関係なんだけどこれって面白いよね。
 今回は空港でいろいろと買物を頼まれたので、少し早めに成田に着くように動く。15時前にはチェックインも完了して、禁煙席・通路側・足が伸ばせる(前に座席がない)位置、という希望通りの席もキープできて、さっそく頼まれ物を買いに行きましょー。
 まずここでは明太子ささかまぼこ。そしてバンクーバーでスモークサーモンを買って、機内では山崎ウィスキーマイルドセブン、更にJALのみで販売している扇子を買ってきて欲しいと頼まれているのだ。
 乗り継ぎ便を待つ関係で予定より30分ほど遅れて搭乗&離陸。もう外は真っ暗だ。
 乗り込んだらさっそく機内販売の冊子をチェックして扇子を確認。食事の後に販売が始まるんだけど、私は早いトコ買物済ませてさっさと眠りたいから、食事が終わって販売が始まったらさっそく通路を歩いている乗務員に声をかける。だけど
「順番に回ってきますから」と言われてガックリ。眠りたいのを我慢してカートが回ってくる順番を待っていたんだけど、やっと来たと思ったら扇子が売り切れてんの。
 え〜〜〜〜〜〜?!
 ガックリしてたら他の乗務員がやってきて、
「最初に声をかけていただいていたので・・・」と予備なのかなんなのか1本都合してくれました。む。買物の役目は果たした。よし、あとは寝るぞ〜(笑)。

 バンクーバーは空港の外に出たことないはけどトランジットではもう3回目。勝手知ったる空港のトランジットエリアをウロウロしていたら制服を着た日本人高校生の集団がいたよ。なになに? 修学旅行なの? 私立かな。すごいなー、修学旅行でカナダか。私なんてお決まりコースの京都だよ〜? などと羨ましく思いつつトランジットの時間を過ごす小田蘭だったのだ。

 結局バンクーバーでも離陸予定時間より遅れての出発。メキシコについた時には約40分程の遅れ。まぁこのくらいはよくあることだよね。と、そのまま飛行機を降りて建物に入った所で、なにやらJALの現地職員に名前を呼ばれていることに気づいた。
「ODA…? ODA…?」と言われているのに気づき、「あ、あたしだよ!」と近寄って行くと・・・「Do you speak Spanish?」すぺいん語?! そんな英語だってアヤシイのにスペイン語なんて挨拶と数字いくつかしか分からないよ〜〜〜。「No!」と答えると相手は苦笑しつつ1枚のメモを渡してくれた。
 開いてみると・・・スペイン語!!!
 そーか、だからスペイン語が出来るのかどうか聞いてきたのね。分かんないって、スペイン語なんか〜。しかも外国人の書く文字って、どうしてこう崩れているんだろう。アルファベットなのになんて書いてあるか分からんないのあるんだもん。で、あたしにこれをどうしろと? 解読するのね・・・。まぁ、いくつか分かる単語(SALIDAとか)も見つけられたから、あとはイミグレーションで並びながら手持ちのスペイン語会話集を見てなんとか解読。
 つまりは、『あなたの両親の乗っている飛行機の到着が遅れているから国際線の出口で待っててね。到着は8:45になりそうよ。出口にはマルコがいるから』ってなトコロだろうか。もちろん意訳だけどね(笑)。
 今回は両親がチワワの方へ旅行に行っていて、その帰りにメキシコの空港で日本からやってきた私と待ち合わせ。予定では両親の方が1時間程早く到着するから、税関を抜けた国際線の出口で待ち合わせることになっていた。だけど、どうやら両親の乗っている飛行機が遅れているらしい。マルコっていうのは、シティに出てくる時に両親がいつもお願いしているタクシードライバーの名前だから、その人と一緒に待ってろってことね。それなら仕方ないな。
 いつもの事ながら混んでいる入国のカウンターを抜け、税関では赤ランプがついて荷物を開けさせられ(でも
「Japanese?」と聞かれて「Yes」と答えれると「OK!」とあっさり通過させてくれるのは日本人でよかったと思う瞬間だ)、到着の人と出迎えの人で大混雑の国際線出口周辺で、縦に置いたソフトスーツケースに腰を掛けて待つ。機内持ち込みサイズのソフトスーツケースでもこういう役には立つものだ。それにしてもこの混雑はちょっとすごくない? いつも以上の大混雑だよ。楽器ケースや衣装らしきものを下げたハンガーラックとか大きな箱運んでる人が何人もいるし、これってもしかしてグアナファトのセルバンティーノ?
 そう、小田蘭の今回の目的もそこにあるのだけど、10月の半ば〜後半にかけてはメキシコ中部の都市「グアナファト」で国際的な芸術祭が開催されているのだ。
 そうやって夜も遅くなっていくのに一向に収まらない混雑を眺めること約30分。「RAN ODA」という札を持った人がキョロキョロしながら人込みの奥からこちら方向に向かってくるのが見えた。ん? ラン・オダ…って、あたしか。手を振るとこちらに気づいてやってきたその人は、両親が頼んでいた観光会社のタクシー運転手でマルコの息子さんマリオ氏でした。マルコには前回だか前々回だかに私も会ったことあるはずだけど、こんなに若かったっけ? と思ったら息子さんでした(笑)。
 でも、さぁ困った。挨拶と数字と他若干の単語しかスペイン語の分からない、英語だって中学生レベル以下かもしれない小田蘭がどうやって彼とコミュニケーションを取れというのだ。彼も英語はそこまで堪能ではないらしい。なんとかかんとかマリオの話す英語の断片と、腕時計を指したりボディランゲージを駆使して、
『両親の到着は21:30くらいになるようだ。荷物を車に入れてくるから、それから一緒に国際線出口で待とう』ということになった。マリオが荷物を車に入れてくる間、私は一人で先に国内線のゲートへ行くということになり、その後荷物を置いてきたマリオと一緒にまたひたすら待つ。
 更に遅れて22時頃。ようやく両親の姿が到着ゲートに現れた。なんでも離陸が3時間も遅れたらしい。遅れることが分かった時点で両親は自分たちや私の航空券手配をお願いしている日系旅行会社に電話をして、小田蘭が乗ってくるJALに伝言を頼んだらしいのだ。だけど、日系旅行会社ならメモを日本語にしてーっ。いや、せめて英語に・・・。その旅行会社が空港にメモをFAXして、それを私に渡してくれるとかできそうじゃない? 到着早々のスペイン語メモ解読で一気に疲れたわ。
 あ〜〜〜、移動も含めて、なかなか疲れた1日だった。




1998年10月13日(火)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/枕チップ 10.00 123
TOWER RECORD/CD2枚 240.80 2,950
アラメダ公園屋台/ピアス2つ 30.00 368
↑メキシコ・ペソ
 メキシコまでの飛行機でもずーっと眠ってたのに、夕べもまたぐっすりしっかり8時間は眠ってました。旅行中ってよく眠るよなー、私。あ、普段もよく寝てるか(笑)。
 ホテル内で朝食を食べた後、部屋に戻ったらベッドメイクされてる! ぬかったわ…。まだ平気だと思って散らかしてたのに。
 チェックアウトをして、シカゴでお世話になるAさんにお土産を買う。一通りは日本で買ってきたから大丈夫だって言っているのに、父親は酒屋でテキーラ中瓶とマルガリータ大瓶を購入。う・・・、ここで両親に頼まれていた荷物を渡したというのにまた荷物増えちゃった。まぁAさんへのお土産だからな。
 出発まではまだ時間があるのでアラメダ公園へ向かう。国立芸術院の入口まで行ったり、20ペソ札の図柄にもなっているモニュメントのあたりとか、屋台のアクセサリー売りからお土産用にピアスを買ったりもして、天気のいい公園内をふーらふら。12時くらいってのはこれから屋台の準備をする人は多いけど全体的に人出は少なくて、のんびりした雰囲気でいいぞ。・・・って、平日なんだからあたりまえか?

 あれ? 私が乗るのってUAとMX(メヒカーナ)の共同運航便なんだ。そんでもって使用機体はMXじゃない。うわ、知らなかった。UAのフライトナンバーしか教えてもらってなかったから、シカゴで出迎えてくれるAさんにUAのナンバーしか教えてないよ。UAとMXじゃ到着ターミナルが違うんじゃないの? まぁでもAさんはこういう出迎えには慣れてるだろうから大丈夫・・・だよね。
 さっさとゲートをくぐって搭乗口の辺りまで入って、でもまだ時間はあるからふらりと散歩。絵葉書を買って、通路をずーっと奥まで歩いて行こうとしたら途中で係員に止められた。と言うか、
『キミのゲートはどこだい? 案内してあげるよ』みたいなことを言われたわ。あー、いや、単にあたしは散歩してるだけなんだけどなー、と「ウォーキング」と言ってその場で足踏みなんかしてみると笑ってその先に通してくれたけど、よく見たらそっから先って国内線のゲートだったんじゃん。先に進んで行くとどーも雰囲気が違った……。でも国際線と国内線との境がないなんて、思わないからさー。いや、思い返せばJALから降りた時も、到着してイミグレーションに向かおうと通路を歩いているとイミグレを通り過ぎたもっと奥の方の通路には係員が2人ばかり立ってて、その先はネイティブな人達ばっかりだったけか。
 そろそろ時間だ。指定された「19」ゲート付近の椅子に座っていると、係員が
「Chicago!」と言いながら乗客の案内を始めた。ふ〜ん、こっちの人達が言うと「シカゴ」じゃなくて「チカゴ」って発音になるんだね。
 で、バス(と言うのかな? 2Fにある搭乗口のドアまで押し上げられた箱型バス)に乗り込んで、全員乗り込んだらシュウゥーと静かにバスが下がっていき、そのままMXの機体まで移動するとまた機体のドアまでシュウゥーと押し上げられ、乗り込む。機内はメキシコ人とアメリカ人だけっぽい。そりゃメキシコシティーシカゴなんて路線、あんまり日本人は乗らないだろうなぁ。

 シカゴはなんだか寒かった。F48〜50って摂氏でいうと10℃以下? まぁ当たり前か。メキシコシティより飛行機で約4時間分北に飛んでるんだもんね。
 空からはダウンタウンのビル群が見える。ジョンハンコックとかミシガン湖とか。ミシガン湖なんて巨大で上からみても海みたいだなー。ミシガン湖にへばりついてる様に都会が密集してる感じ。
 そしてオヘア空港はキレイだ。ここはたしか各国航空会社が離着陸する第5ターミナル(第4ターミナルはなくて、1と2がUAとAAで3が国内線、だったかな? とにかくオヘアはUAとAAのホームグランド的空港なのだ)。Aさん曰く、第5ターミナルが一番最近出来たんじゃないかな。という言葉にも頷ける。天井が波打ってたり、絵が飾ってあったりでミュージアムみたい。そして、人がいない! ほとんど私が乗ってきたMX802の客しかいなかったんじゃない? さくさく前を歩く人に付いていかないと人を見失っちゃうよー、というくらい。通路の幅も広いし天井高いし通路は続く。イミグレにはほとんど並んでる人いないし、カウンターも多いからさかさか進むよ。
 いつもはたいした質問もなしに通過できるイミグレだけど、今回は日本人なのにメキシコからの飛行機に乗ってきてて、滞在先がAさんちの普通の住宅の住所になってるからかな、ここまでいろいろ聞かれたのは初めてだわ。
『グレンビュー?』『はい。えーと友達の家です』『何日いるの?』『えーっと、4日間』『ここから日本へ帰るのかい?』『いえ。メキシコに行って、そこから日本に帰ります』とか、めちゃくちゃな英語で答えたよ。
 そんなこんなでイミグレを通過して、税関は預け荷物もないし難なく素通り。自動ドアを通って出口を出ると、出迎えの人もそれほど多くない。メキシコシティとか大混雑なのにね。
 ここで無事にAさんと再会。駐車場に止めてあるAさんの車に乗り込んで夕食を食べにAさんがよく行くという焼肉レストランへ向かう。乗り込む時に助手席に乗ろうとして車の左側に回ってしまったのはご愛嬌(笑)。
「小田さん運転する?」とか言われて気づく大ボケでした。アメリカは左ハンドルじゃんね。メキシコもそうなんだけど、タクシーとかいつも後ろに乗るからすっかり覚えてなかったよ。
 向かった先はジャパニーズ焼肉レストラン。とはいうものの、店員はほとんど韓国系や中国系だ。東アジア圏の顔なんだけど、日本語通じないんだよね〜。なんでも「ジャパニーズ」と冠した方がお客の入りがいいらしいと言っていたよ。
 鉄板のあるテーブルに他の人達と相席するスタイルなので、アメリカ人じゃない私達が気になったのか、私達の左隣に座っていた中年夫婦が声をかけてきた。会話はAさんにお任せで、私はなんとか会話を聞きつつほんの少し参加。ま、殆ど聞いているだけなんだけどね。ダウンタウンの病院で働いているという女性は「ネイビー・ピア」をオススメしてくれた。だけど今回は時間がなくてそこまで行けなかったんだよね〜、残念ながら(2003年に来た時に行ったよ!)。
 あー、そんでもってこの人、Aさんがこっちに赴任していて私が日本から来てその家に泊まるというのを聞いて、おそらくそういう関係だと思っていたらしい。Aさんが奥さんとこっちにきているという話しを聞いて「おや?」という顔をしていたというもんね(Aさん談)。
 まぁ、このヘンは友達にも誤解されそうになったから仕方ないのか。
 お腹一杯になってお世話になるAさん家に行くと、Aさんの奥さんは机に向かって勉強の真っ最中。なんでも9月からこっちの大学院に入って経営学を勉強しているらしい。んでもって今は試験の真っ最中だとか。うわ〜、大変な時にお邪魔しちゃってすみません!
 帰って即、奥さんに焼肉屋さんに行ってきたことがバレました(笑)。
「だって司臭いやん(お店の名前は司レストランという)」って言われるとは。そんなに強烈な匂いだったかなー(汗)。
 2人で住むには広いテラスハウスは、1Fにキッチンと大きなリビングダイニング、2Fにバス・トイレ付きのマスターベッドルーム、ゲストルームもバス・トイレ付き。ゲストルームと一緒のバス・トイレは私専用で使っていいって。1Fにはビリヤード台まで置いてあったよ! 一部上場企業の赴任者の暮らしって・・・。




1998年10月14日(水)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
Tシャツ(M.JORDAN'S) 32.60 3,881
↑US$
 今日は平日。だけどAさんが1日会社を休んで車を出してくれるという。私は遊びで来てるってのに有難いことです。人の行為に甘えまくり。今日も気温は昨日と同じくらいかな。天気は晴れなので気持ちいい。
 奥さんは朝早く7時くらいに家を出て電車に乗ってダウンタウンまで学校へと出かけたので、Aさんと2人で近くのバーガーキングで朝ごはん
 その後はまず車にガソリン入れて、空気が抜けやすい左前タイヤに空気入れて、やっぱりなんだかおかしいみたいで車屋へ。
「ええか?」「いいですよー、こっちの車屋なんておもしろそう。あと、普通のスーパーにも行きたいです」「ほんなら今日はこっちの普通の庶民生活体験でいこか」「いいですね、そういうの好きです!」「あとな、小田さんさえ良かったらマクドナルドの一号店が博物館になっとるいうからそこ行ってみんか?」「あ、地球の歩き方に載ってました。車でしか行けないみたいな場所だから、行ってみたいです」「歩き方みると平日の昼間しかやってへんて書いてあるんよ、平日はいつもなら会社あるから行かれへんねん」「えーと、平日の10:00〜16:00って書いてありますもんね、行きましょー、行きましょー」
 ということで本日の予定決定。
 こっちの車の修理屋なんて、こんな時でもないと見る機会ないもんね。修理の受付の様子とかちょっと見て、修理屋の向かいがショッピングモールだったので車が直るまでそこをふらふら。
 Aさんが乗っているのはアメリカ車なんだけど、こっちのナンバーは自分で好きなの選べるんだって。アルファベットと数字の組み合わせで。Aさんは自分の名前を使いたかったらしいけど既に誰かが使用中。まぁアルファベットで書くと日本人名って感じじゃないし、短い名前だからもう押さえられてしまっていたのね。 
 車の修理が終わったらダウンタウンへ。ジョン・ハンコック・センターに登ってお遊び写真を撮る(笑)。マイケル・ジョーダンのお店で会社の同期に頼まれていたTシャツを買って、そのまま奥のカフェで休憩。夜はすごく混んでいて待っている人も多いらしいけど、平日昼間の時間は空いていてゆっくり座れるね。
 ダウンタウンをぐるりと回って、湖沿い(レイクショアドライブ)をずっと走り抜けて、何度も地図を確認しながらマクドナルド1号店へ。
 うわーっ、間に合わないーーーっ! と騒ぎつつもなんとかギリギリ到着。でもでも、辿り付いてみれば地球の歩き方の情報間違いで開館は『サンクスギビングデーからレイバーデーまでの間、それも(火)(木)(金)の10:30〜14:30、7/4は休み』と書いてあるではないですかっ! ってことは、結局今日はどんなに早く到着してようが、開館期間ではなかったと。うわーん。
 仕方がないので途中でパーティグッズ専門店に寄ってお土産等を買い込みつつ、ウチの会社のUSA子会社へ。向かう途中の道路がもうすっごい渋滞なの。あ、私らが走っている斜線じゃなくて、対向車線が。さすが車社会。でもって、こっちの人は17:00になったらさっさと帰るから、朝夕は通勤渋滞がすごいらしい。この時間でちょうど17時くらいだよー。本当にさっさと帰っちゃうんだなぁ。あと、金曜の夕方はダウンタウンに向かう道も渋滞になるんだって。
 USA子会社についたのは17時半頃。さすがにもう殆ど人がいないわ・・・。駐車場にも残っている車少ないしね。Aさんに連れられて中に入って、同じく赴任者で日本では隣の部署だったMさんを探す。数少ない残っている人に紹介されたりしながらMさんを見つけ、Aさんの部屋から日本本社に電話してみたりして(笑)。この時間(18時半)日本は朝の8時半、まだ出社してきてない人も多かったけど。遊んでしまいました(笑)。
 そんなことをしつつ、Mさんの仕事が片付いたら一緒にゴハンを食べに行くのだ。
 美味しいご飯をご馳走してもらって、Aさん家に戻ったら奥さんも交えて明日からの予定を確認。明日からは1泊2日でダウンタウン1人行動なのだ。
 そんで奥さんには今日もまた
「ボブチン臭いで」といわれてしまったのだった・・・(汗)。




1998年10月15日(木)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
電車代(片道)/グレンビュー→ユニオン・ステーション 1.15 137
シアーズタワー/絵ハガキ3枚 2.12 252
シアーズタワー/展望台料金 8.00 952
チーズ・ポップコーン 2.00 238
郵便局/エアメイル日本まで1枚 0.50 60
シカゴ美術館/入場料 7.00 833
シカゴ美術館/コインロッカー 1.00 119
↑US$
 朝、Aさんが車で会社へ向かう時に一緒に乗せてもらい、グレンビューの駅で降ろしてもらう。いや違うな(笑)。一緒に降りてチケット購入まで付き合ってもらう。至れり尽くせりだ〜。
 この時間に出発する急行電車に合わせて連れてきてもらったので、ダウンタウンまでの乗車時間は約30分。ダウンタウンのユニオン・ステーションはこの電車の終点なので降り間違う心配はないんだけど、こっちのローカル線は停車駅の車内放送なんてないもんだから途中下車する場合は要注意。自分で車窓の景色を見て降りる駅を判断しないといけないのだった。うっかり電車の中で眠れないじゃ〜ん。
 電車はなんだか暗くて倉庫みたいな感じの中に入ってホームに止まる。改札なんかないんだね。こんなんじゃ無賃乗車がラクラク出来ちゃうんじゃ・・・?
 駅についたらまず構内で軽く朝食。それから構内散策だ! ここでは映画「ベスト・フレンズ・ウェディング」と「アンタッチャブル」の中にでてくる場所をチェーック。あれ、このホール普段は椅子って並んでないのかな? へー、これがあの階段
 続いて巨大郵便局でエアメイルを出そう! と中央郵便局へ向かう。でもでも、なんだか閑散としていておかしいと思ったら、入口らしき所に立て看板があって「窓口業務は××へ移動しました」とかなんとか書いてあるよ〜。中を案内してくれる局内ツアーみたいなものもあるんじゃなかったっけ? 某歩き方さん? Aさんに
「あの辺なんとなく人通り少ないから気ぃ付けてな」と言われながらも行ったのに〜〜〜。うわーん。残念。
 じゃあ仕方ない、次だ。
 シアーズ・タワーに登るぞ!
 朝早いからかまだ人も少なくって、ラクチン、ラクチン。さすがに高さはすごーい。でもすぐ近くに比べる程の高さのものがなくてイマイチどれぐらい高いのか実感が掴めないけど、建物がみんな下の方に見えるからやっぱりすごい高いんだろうな。こういう高い所から周りを見ると、シカゴの都会って本当に一角だけなんだって分かるよね。線路や道路がずーっと伸びてて、街中を出るとその周りはすっかり平坦でビルなんかないから線路や道路が向かう先がよく見える。ミシガン湖は海みたいにだだっぴろくて対岸見えないくらいだし。
 おやつにポップコーンを食べながら休憩して、一息ついたら続いて野外アートめぐりだっ!!
 シカゴのダウンタウンを歩いていると、街角のおちこちで大きな彫刻や像を目にすることがある。ピカソやシャガールといった名の知られた作家のものもあるので、それらを見ながら歩くのも楽しいのだ。この周辺の歩ける範囲に点在している野外アート(像とかモザイク画とか)を順々に見て行って、ピカソの「無題」という像を見ていたら、なにやらお兄ちゃん達が楽器を運び込んでいる所に出会う。それもオーケストラ仕様みたい。なんだろう・・・と暫くその辺うろうろしてたら、すぐ側のデイリー・シビック・センターの一階ロビーでオーケストラの演奏があるみたいだった。ここってサマータイム(こんなに寒いのにまだサマータイムの期間なんだよねー。不思議)の間は毎日なにかしらパフォーマンスをやってるらしく、センターの中に置いてある案内チラシをもらって見たら、昨日はダンス、今日はドイツからのオーケストラらしい。外から何度も眺めつつ、中に入って用意されている椅子に座ってリハーサルを聴く。始まりは12:00〜で、しばらくそのまま座ってリハーサルを聴きながら休憩。
 ちゃんと演奏が始まってからもしばらく聴いていたんだけど、このまま最後まで聴いていたらこの後行こうと思っていたシカゴ美術館が見られなくなる〜〜。残念だけど席を立って美術館へ向かう。「無題」のある広場を抜けて、横断歩道を渡ってたら後ろから
『エクスキューズミー』という声が聞こえてきた。まぁ、こんなアメリカのど真ん中で東洋人の私に声かけてくる訳もないだろうし、とそのまま歩き続けるんだけど、また声が聞こえてくるよ? 誰に言ってるんだよー・・・と後ろを向くと、え? 私? 三十代くらいのキャリア風女性が私に向かって『××駅はどこ?』とかなんとか言ってくるじゃないの。ええー! あ、あたしにどうしろと? あたふたして『あー、私は美術館に行く。駅は知らない』とかカタコト単語を並べてたら向こうもこっちがロクに英語が話せない旅行者だって気付いてくれたみたい。『オーケー、サンキュー』って言ってやっと違う人に声をかけに行ったけど、どうして私に聞いてくるかね。東洋人だろう、どう見ても。円筒形のスポーツバッグを斜め掛けしてたんだから旅行者にも見えたと思うんだけどなー、謎だ。
 あわあわしながらもなんとかシカゴ美術館に到着。入口脇のクロークでコインロッカーに荷物を預けて身軽になって、さぁ行くぞ!
 う・・・。ここって広すぎるーーーっ。2Fの絵画を回っただけでなんだか疲れてダウンぎみ。朝からガンガン動いていたからなぁ。なんとか足早に全体を流し見て、早々に美術館を後にしてしまいましたとさ。あー、こういうトコはもちょっと体調整えてじっくり見ないとダメですね。
 とりあえずもうホテルに入ろう。まだ16時くらいだけど。荷物も置きたいし。ユニオン駅からホテルってちょっと距離あったから、駅から近いシアーズ・タワーや野外アートとか見たい場所を先にどんどん回ってたのが敗因かしら。いくら荷物少なくしてきたと言ってもお泊り用品とか着替えとか入ってるんだしね。
 ってことでチェックインして荷物を置いて、一息ついたら晩御飯を求めに行くぞ。このままベッドに転がっちゃったら絶対起きれなくなる! 近くにあるナイキタウンやGAPのお店に入ったりしながら、GIORDANO’Sでピザを頼もう。
 紆余曲折の末、なんとか部屋でピザを食べ、疲れきってたのか19時前に一回バタン。20時半に目覚ましをセットしたんだけど、かすかに鳴っているのを止めた記憶はあるようなないような・・・。目が覚めたら22時だったよ。
 はー、でもなんか少しスッキリした。シャワー浴びて洗濯しよう。そんでもって明日の準備してまたすぐ寝よう。




1998年10月16日(金)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/枕チップ 1.00 119
ロックンロール・マクドナルド/エッグマフィン・セット 3.99 475
バス代/ダウンタウン一律 1.50 179
フィールド自然史博物館/入場料 7.00 833
昼食 7.96 948
シャーベット 2.50 298
↑US$
 6:15にいきなり枕元のラジオが鳴り出す。
 なんだー? もう・・・。ボタン押して止めても5分後にまた鳴り出すんだもん。私は8:00に目覚ましかけたのに〜〜〜〜。あ、よく見たらスイッチがある。OFFにしちゃえ! はー、二度寝二度寝(笑)。
 自分で持ち込んでセットした小さな目覚ましが鳴って二度寝も終了。顔を洗いに行こうとしたら、部屋のドアの下に何かがあるよ? 手にとって見てみる。部屋のレセプトだー。チェックアウト作業を簡単にするためにA.M.2:00までの電話代や食べたものなんかの金額と部屋代が打ち出してあるので、何もなければサインして(カードキーも一緒に)部屋に置いていってOK、ということらしい。アメリカって合理的。チェックインの時にカードきってあるからこれでOKなのね。
 じゃあそれでいきますか。
 準備をしたらフロントで荷物を預かってもらって、朝ゴハンを食べたらそのままダウンタウン散策に出かけるよー。
 今日は昨日までが嘘みたいにぽかぽかと暖かい。天気もいい。歩いているの気持ちいいわ〜。でもさすがにフィールド博物館までは歩けないからバスに乗ろう。ナイキタウンの前で146番のバスにのる。バスは一律US$1.50なのだ。さて、乗ったはいいけど降りるときはどうしたらいいんだろう。見たところブザーのボタンもないみたいだし。乗っている人達を注意深く観察していると、窓のサッシの上をロープがつたわっていて、このロープをぐいっと引っ張ると前のほうについてる鐘が「チン」と鳴って降りるという意思表示ができるらしい。
 南に行くにつれて車内はだんだんと人が少なくなって行く。博物館の建物が見えたらロープを引っ張るぞ!
 フィールド博物館の堂々とした建物の正面から入って、まずは入口脇のミュージアムショップの下見から。真ん中の吹き抜け通路にはアフリカ像やら恐竜の化石、トーテムポールやらデッカイ地球儀がある。気持ちいいくらい広いよ、ここ。1Fの左手から見て、エジプトのフロア−からB1Fへ降りる。なぜかエジプト以外の展示は閉まっていたのが残念。そして1F右手のメキシコとかを回る。Japanese2000とかいう展示の準備をしていて、日本関係のものが見れなかったのが残念だったな。もう少し後だったらこの特別展示も見れたのに。うん、でも私は美術館より博物館の方が好きかもしんない。見てて楽しい♪
 1FのCorner Bakeryで昼食休憩をして、今度は2Fへ。宝石の部屋とか綺麗〜。私は青がすっごく綺麗なステンドグラスがお気に入り。この前でぼーっと見つめてると、時が止まってしまうかと思うよ。
 博物館を出たらグラント・パークをぶらぶらと歩きながらバッキンガム噴水へ。ここは気持ちいいね。お父さんと子供二人がかけっこ競争してたり、インラインスケートしてる人いたり、サイクリングしてたり。今日は暖かいから正にお散歩日和。
 ループをふらふらと歩いてアモコビルのモニュメントを見つつホテルで荷物を受け取って、Aさん夫妻との待ち合わせに向かう。昨日行ったM.ジョーダンのお店だ。ここで18時に待ち合わせて一緒に夜ゴハンを食べるのです♪
 ここからAさん家までは車で30分くらいかな。家に帰って2次会やって(笑)、明日はもうメキシコ入りだ。




1998年10月17日(土)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
 目が覚めると雨の音。うわー、結構な土砂降りだよ。移動日でよかった。雨は降っていても、というか雨が降っているから? 気温は昨日ほどではないけど暖かめ。
 今日は土曜日で会社もお休みなAさんに空港まで送ってもらう。休日の朝も早くからありがとうございます。いや、本当に今回はAさんにお世話になりっぱなし。泊めてもらうわ、会社休んで車で案内してもらうわ、出迎えに見送りまで!
 離陸時間の2時間前にはオヘア空港第一ターミナルへ到着した。んでも、これ迷ったんだよねー。私が乗る飛行機はUAとMXの共同運航便なの。メキシコからシカゴに来る時も共同運航便で、到着ターミナルは第五だったんだよ。だからもしかしたら今回も第五ターミナルかも?って。でもまぁ、Aさんの車で来ているし、間違っていたら移動すればいいからと第一ターミナルに来てみる。あ、ここでいいみたい。よかった。
 チェックインもAさんにつきあってもらって、セキュリティーチェックも一緒に通って中まで入ってゲート(B7)まで確認の為に案内してもらう。アメリカって、飛行機に乗る人じゃなくても中に入れるらしい(1998年当時)。だからスリとか気をつけないと、誰でも入ってこられるから危ないらしい。2001年の9.11以降、今(2006年)じゃとっても無理な話だよね。
 そして、Aさんの案内でUAのビジネス席のお客や会員しか入れないラウンジに入れてもらったのだった。Aさんとはここでお別れ。これからゴルフの予定が入ってるとか言ってたけど、この雨でできるのかなー? キャンセルになるかもって言ってたけどね。いろいろお世話になりました。握手。
 ラウンジでジュースとパンで朝食(ソフトドリンクとかパンとかが無料なのだ。ここではシャワーも浴びれるらしい)をいただきつつぼーっと窓から雨の様子なんか眺めていたんだけど、でもなんか、私にこういうとこは場違いだわ…。格好とかラフな旅行者そのまんまだし。なんというか、居心地悪くて早々に抜け出して空港散策に出かけてしまった・・・。
 離陸予定時間は10時だったんだけど、遅れに遅れて実際に飛び立ったのは11:30。そーいやAさん言ってたっけ。
「出張の時な、なかなか離陸せんでどうしたんか思うとったら、『この飛行機は離陸の順番を待ってて27機待ってるうちの当機は19番目です』言う放送が入ってな、窓から外覗いたら待っとる飛行機が数珠繋ぎになっとんよ。飛べば一時間くらいのんに、離陸の待ち時間が二時間近くあってなあ、あれはまいったわ」って。はーっ、あたしも同じ目にあっちゃったよ。さすが世界一離発着の多い空港だわ、オヘア。

 無事にメキシコに到着すると、またもや税関で赤ランプ。荷物を開けさせられる。出口で両親とドライバー氏に出迎えてもらい、まずは一旦ホテルへ向かう。チェックインして荷物を置いたらUターンで空港へ。幼馴染親娘をお出迎えに行くのだ。
 今回の旅行は、元々私が10月にグアナファトで開催されるセルバンティーノ(国際芸術祭)に行きたいと計画したところから始まった。そこにAさんからのお誘いがあり、幼馴染と話をしたら家族ぐるみで親しい彼女のお母さんも一緒に来るということになった。休みの関係で私だけ先にシカゴへ行っていたんだけどね。
 そんな訳で、幼馴染親娘が日本からロサンゼルスを経由してメキシコ入りする日と、私がシカゴからメキシコ入りする日とを併せたのだった。
 蘭父が許可を貰って(どういうルートなんだろうね)搭乗口まで入っていき、蘭、蘭母、ドライバー氏は国際線出口脇のレストランで飲み物を注文して待つ。
 んで、そろそろ出てくる頃かなー・・・という時間になったらレストランを出て国際線出口前でスタンバイ(笑)。いつきてもこの出口付近は人がめちゃくちゃ多いわ。今日も人多いなー、と待っていたら。
 なんといきなり空港内の電気が全て消えて真っ暗になっちゃったよ!!!
 て、停電??
 すぐに電気はついたんだけど、いやはや、暗くなった時に口笛だか指笛だかの音が鳴り響くって、ラテンだな〜(笑)。
 飛行機が少し遅れていたらしく、なんとか幼馴染親娘と再会した時には19時過ぎ。疲れたでしょー、早速ホテルに向かいましょ。


1998年10月18日(日)以降の旅行記はこちらから


:参考サイト:
ジョン・ハンコック・センター →http://www.johnhancockcenterchicago.com/
シアーズ・タワー →http://www.thesearstower.com/