メキシコ
1998年10月18日(日)〜24日(土)

last up date/2006.05.01

このページの壁紙とラインは、メキシコで買ってきたタイルの模様を元に、けいさんが素材化したものです。

1998年10月17日(土)以前の旅行記はこちらから


1998年10月18日(日)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
国立人類学博物館/マヤ文字コピー本 15.00 184
ナッツ売りから/ピスタチオ 5.00 61
ナッツ売りから/カシューナッツ 10.00 123
ソカロの日曜市/小物入れ 25.00 306
↑メキシコ・ペソ
 昨日の予定では今日はテオティワカンに行くことになっていたんだけど、幼馴染の調子が悪い。ということで、予定変更。国立人類学博物館へ。
 小田家はみんな身支度に時間がかからないんだけど、幼馴染親娘はわりと支度に時間がかかるタイプのようで。準備が出来るまで小田蘭両親をロビーに残して私は1人でふらふら朝散歩。
 なんだか今日のこのホテル、他にも日本人が何人か泊まっていたみたい。チェックアウトの時にビジネスマン風の背の高い人が一人、40〜50歳台くらいのおじちゃん達3人を見かけたし、朝部屋を出たらN●●とか書かれた箱が廊下にいくつも置いてあったのは何かの取材で来ている人達がいるのかな。あー・・・やっぱりグアナファトのセルバンティーノ(国際芸術祭)?
 お決まりの独立記念塔を見てから博物館へ行き、チャプルテペックの広場でボラドーレスやっていたからこれを見てから中へ入りましょ♪
 いや、それにしてもさすがに日曜日は無料開館日だから人が多いわ!
 しかも10/15〜28で何かフェア(ブックフェア?)をやってるみたいで、だからいつにもましてすごい人出なのかな。ああっ! 中庭の大噴水に水がない! どうしてどうして? あ、中庭に入ったところに露店が広がってる。だからか。水が落ちてくると濡れちゃうからね。ふーん、この噴水の柱って、彫刻されてたんだ。
 1Fを一回りしたところで皆はカフェテリアで休憩を挟む。だけど元気な私は1人でフェアの露店に突撃だー。マヤ文字の紹介コピーを15ペソで購入。死者の日(11/1-2にあるメキシコでのお盆みたいな行事)が近いからか、小さなドクロの飾り付けしてるお店もあったよ。この時の日記を見ていると、この頃から私はオアハカあたりで死者の日を見てみたいと書いているわ。うふふふ♪ 初志貫徹だね(2003年2004年に死者の日を目的に旅してきた)。そして、なぜかバグパイプの練り歩き。うーむ、謎だ。一通り露店を回ったらカフェテリアに行って皆と合流して、2Fもさらっと回る。
 見たい所は全て見終わって、建物を出ようとしたら出入口でなにやら機械回しているよ。近寄ってみたら大きな織機みたいなもので、栞のような小さな紙にスタンプを押してるとこだった。スタンプは何種類か違う絵柄があって、機械を動かしてる人の脇にいるおじさんが何枚も貰ってしまったよ。そして建物前の広場ではさっきのバグパイプ楽団が記念写真なのかを撮ろうと集合してるじゃない。小さな子供がその脇に入って一緒に写真に写ろうとしてたのがかわいー。
 続いてソカロへ。今日はこの後サラマンカへバスで移動することになっていて、あまり時間もなかったからカテドラルにもテンプル・マヨールにも入らずに外から眺めるだけ。でも日曜日だから市が立っていて賑やかで楽しかったよ。皆と別れて1人でふらふらして、小物入れを買ってみる。人の輪が出来ている所ではアステカのダンスをやっているチームもいる。日曜日のこの雰囲気ってば楽しくていいわ〜。
 ソカロから車で20分くらい移動して、バスターミナルの近くで昼食。昼食は時間がなくてバタバタで、その後バスターミナルまでまた車で約20分。運ちゃんのフランシスコとも慌しく別れることになる。あ〜あ・・・。16:45発のバスに乗るのにぴったりというか、ぎりぎりというか。
 はー、しかしこっちのバスターミナルはデカイとガイドブックにも書いてあったし聞いてもいたけど、これは本当にすごいわ。待合やチケット売場なんかの建物が円形で、その円形をぐるりと囲むようにバスが止まるんだけど、この円形の建物大きい! バスが入ってくるブース番号も100を超えてるもんね。バス網が発達してるとはいってもこれほどとは思わなかったよー。
 予定は16:45発。セラジャ(CELEYA)経由サラマンカ(SALAMANKA)行き。 乗りこむ時にパンと飲み物(好きなものを選べる。ミネラル・ウォーターorジュース)を貰って中に入ると、運転席に向かって右2席、左1席のゆったり座席だ。リクライニングも飛行機より倒れるぞ。サラマンカまでは約4時間ってことだから眠るか。・・・と思ってたのに、ところどころに設置されてるTVで映画が始まってそれどころじゃなくなっちゃった。イヤホンなんてないから嫌でも音が聞こえてくるのよ。つい見ちゃったじゃん、二本とも。どっちも英語でスペイン語の字幕付き。 
 最初のは「継母はエイリアン」って感じのB級ホラーだった(正式なタイトルは知らないよ)。最初は寝ようとしてたから始まりは見てなかったんだけど、どうやら母親がいなくなって、父親が若い奥さんを貰うことになったらそれがエイリアンだった、というような話。近所で人が襲われる事件の現場を目撃した小学生くらいの息子が彼女の正体に気付いてこの結婚を止めさせようとするんだけど、父親はそのことに全く気付かない。エイリアンは不協和音が苦手みたいで、下手なバイオリンのキーキー音に頭を抱えて正体を見せかけちゃう。それに気付いた息子は、友達の協力で結婚の夜に盛大なバンドの不協和音を父親達の部屋に向けて鳴らし、それでついに正体がばれたエイリアンは息子達に襲いかかる。それを父親がバイオリンの音で退治する(頭抱えて溶けちゃうんだな)。その後母親のいなくなった森に出かけた父と子は、木の中から母親他数人を見つけ出すことができて、家族そろってめでたしめでたし。 
 もう一本のはフリーの報道カメラマンが相棒と追ってる殺人鬼がいて、囮捜査をしてたら相棒が殺人鬼の犠牲に! ま、なんとか相棒は無事だったんだけど、犯人を捕らえる為に、最近親しくなった女の元へ身を寄せながら捜査を続けるカメラマン。しかし、実はその女が殺人鬼だった。格闘の末、女を捕まえ、カメラマンと相棒はまた次の事件に向かっていく。
 といった二本を見ちゃいましたよ(笑)。
 サラマンカに到着したのはとっぷり日も暮れた20時半過ぎ。
 このサラマンカという土地は、たぶん普通の旅行者では知らないんじゃないかと思うくらいのローカルっぷり。なんでここに来たかというと、父親がいま住んでいる場所なのですよ。仕事の関係でね。その父親が住んでいるホテル(1部屋長期で借りている)に私達もチェックインして、上のレストランで軽い食事をしたら今日は終了。また明日から動きましょ♪




1998年10月19日(月)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
 目覚ましは8時にかけていたんだけど、目が覚めたから少し早めに7時半に起きてみた。二度寝しないなんて珍しい!(笑)
 窓から小さなバルコニーに出ると、昨日聞いた通り本当に目の前小学校だ。車での送り迎えが多いなぁ。車っていっても高級車な訳じゃなくて、本当に普通の自家用車。トラックの荷台にも四人乗っかってきてる子達もいたよ。徒歩通学でも親がついてくるのか〜。こっちじゃこれが普通だって言ってたけど、ってことはそれだけ危ないってこと? ここってばこんな田舎町ですんごいのどかなのに。
 屋上へ上がって周りを見回してみる。高い建物はないし、空はどこまでも青いし、家の色は鮮やかなものがぽつぽつとあって、ここからの眺めってば気持ちいいいわ〜〜〜! このホテル自体そんなに高さはないんだけど、この辺は本当に普通の家ばっかりだからね。少し先に工場が見えたり、今ちょうどサーカスが来ているとかでテントも見える。ぐるりと見渡してから、今度は外へ散歩に出かけよう。
 ホテルの前の小学校は外で朝礼をやっていて、それを親が外から覗いてる。本当に子供を大事にしてるんだなぁ。ホテルのあるブロックをぐるりと回って、通りへ出たら今日は右へ進んでみよう。小さな教会の近くで食べ物を売っている屋台発見。豚の皮を揚げたやつでした。チチャロンだっけ。これは私イマイチ好みではないので、パスして先へと進んで行く。鶏や魚もそうだけど、皮ってあんまり好きな方じゃないのだ。
 1時間くらい歩き回って戻ってくるけど幼馴染親娘の準備がまだ出来ていなかったみたいで、10時前になってやっと朝食だ。
 お昼前にタクシーでセントロ(街の中心)まで出て、市場で果物をたくさん試食し、蘭母が何か買物をする。あそこのホテルは滞在型で両親が借りている部屋はキッチンもついているらしい。
 沢山歩いて休憩しうようと教会前の広場の植え込み脇に座っていたら、小さな女の子とお母さんが通りがかって女の子がじっとこっちを珍しげに見てるよ。そうしたらお母さんが
『ほら』、って感じで促して女の子が歌を歌ってくれたのだ。多分小さな女の子にとっては自分たちとなんか違うアジア人が珍しかったんだろうなー。そんで、じっと見ちゃった女の子にお母さんが『ほら、幼稚園で習った歌でも歌ってあげなさい』とか言ったんだろうなー。可愛かったぞ。
 教会前の広場にはアクセサリーの屋台も出ていて、そこを見てたら高校生くらいの女の子二人組に声を掛けられる。他にも同じ制服着た人達が好奇心いっぱいでこっちを見てたけど、勇気出して声掛けてきたのはその二人だった。蘭母がすこーしスペイン語を理解できたから、
『どこからきたんですか?』とか『名前は?』とかの簡単な会話をしてたですよ。やっぱその国の言葉ができるって強いわ。他にも歩いていて屋台のタコス屋にいた小学校高学年くらいの女の子が通りすぎた私達を追いかけてきて『どこからきたの?』って聞いてきたし。サラマンカって特別観光地でもないから、こういう所を外国人がそれも女ばっかりで四人も歩いてるのが珍しいんだろう。きっと。セントロをぐるりと散策して、今度はタクシーでスーパーへ。朝、ホテルの屋上から見たサーカスが来ている場所の近くに蘭母がよく行くというスーパーがあるというので、ここでお土産を物色するのだ。テキーラ入りのチョコボンボンとか売ってるからいいお土産になるんだよー。ここからはバスに乗ってホテルまで。絶対住んでいる人じゃないと分からないよね、この辺りのバス路線って。
 15時半頃、父親が仕事から戻ってくるのを待って昼食。またまた4Fのレストランへ。まぁ、この辺に皆で行けるようなレストランもそうないだろうしね。それに、こんな時間に仕事終わって帰ってくるなんて、さすがメキシカン。いいなぁ、仕事の後もゆったりプライベートな時間があるじゃない。
 皆で屋上に行ったり、まったりのんびり。夜は蘭父の仕事先の人のご自宅におよばれなのです。
 20時にホテルを出発して車で15分くらいかな。Fさん宅には中学生の息子さんがいて、高校生の娘さんは寄宿学校に行っていて週末になると戻ってくるらしい。奥さんは学校の先生で、昼間はお手伝いさんが来て家の掃除とかをやってくれるんだって。こっちでは結婚しても女性は働いてるのがほとんどで、働いてない方が少数だって話だ。でもこうやって家の中のことやってくれる人が通いでいるんだったらいいよね。 
 2時間半くらいお邪魔していたかな。22時半にはF氏と奥さんの運転する車2台に乗り込んでホテルまで送ってもらう。
 こっちは本当に家族が親密というか。寄宿学校に入っていても週末ごとに実家に帰ってきたりするのもすごいなぁ、家族の絆っていうのが日本とは比べ物にならないくらい強いんだって感じたよ。




1998年10月20日(火)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
店先でタコス 3.00 37
ミイラ博物館/入場料 15.00 184
ミイラ博物館/特別展入場料 5.00 61
ピピラ像/入場料 1.00 12
↑メキシコ・ペソ
 今日も一人で朝散歩〜♪ 昨日は右の道を行ったから今日は左へ行ってみましょ。
 大通りに出る手前のお店の外でトルティージャを作っているおばさんがいたので、これは! とタコスを1つ購入。もぐもぐ。でも戻ってからもちゃんと朝ごはん食べるもんね。
 今日でこのホテルはチェックアウトして、蘭、蘭母、幼馴染親娘の4人でグアナファトへ向かうのだ。蘭父は平日なのでもちろん会社。でも夕方にはGWに一緒にメキシコを回ったメキシコ人姉妹と彼女達の母親と共に合流する予定なのだった。
 タクシーに乗って一路グアナファトへ。その途中にクリスト・レイという山の中にある教会へ寄ってから向かう。とにかくもう、この山道がすごかった! どこまで行ってもずっと石畳で舗装されているのはすごいよ。石畳というよりは、ごろごろした石ころを敷き詰めてスピードが出ないようにしてあるんだろうと思うんだけど。ここを車で走るとね、もうすっごい振動なのよ! しばらく進んだら普通の道になるだろうと思っていたんだけど甘かった。ガタガタとひたすら揺れながら登って行くもんだから、ようやくクリスト・レイの教会に到着した時には降りてもなんかまだ体に振動が伝わってくる感じ・・・。
 山の上にある教会は見晴らしがとても良くて、でも高い場所で風が強いからか天気はすごくいいのにちょっと肌寒い。そして、祭壇のある建物の屋根の上には大きな大きなキリスト像。これってなんだかブラジルのコルコバードの丘にある像っぽい?(行ったことないけど)
 祈りながら膝立ちで聖堂まで進んでいる人もいたりして。こういうのを見ると宗教の力のすごさを感じるね。
 グアナファトに到着したら、まず蛙の広場で一度車を降りてみた。ここ面白いよ。いろんな形をした蛙の彫刻がたくさんあって、各国の国旗もたなびいている。その後、ミイラ博物館へ。一通り見て博物館の周辺にあるお土産屋台をひやかしてからピピラ像のある丘へ向かいます。ここからはグアナファトの街が一望できるのだ。ここから見るグアナファトの街は絶景です、ホント。そんで、ピピラ像の上まで登れるというからにはやっぱり上がらなくちゃね。
 ホテルにチェックインした後、荷物だけ置いて再度街へ。昔の水路を地下道として使っていて今は車が走っていたりもするんだけど、この雰囲気がいいんだな〜。ふらりふらりと歩いて口付けの小道へ。ここで先に登っていた兄ちゃんが私達と入れ違いに降りてったのよ。上についた私達がバルコニーから下を眺めていると、その兄ちゃんが下からこっちに向かって親指と人差し指くっつけて
「ポキート」って。ポキートってのは『ちょっとまって』って感じかな。幼馴染母娘はそれに気付かず降りていったけど、私は「なんだろう?」とそのまま残ってみたですよ。すると、その兄ちゃんは下で待っていた蘭母にカメラを渡して『一緒に撮ってくれ』だって。肩を抱かれて一緒に撮ったけどね。下に降りたら今度は四人一緒に撮りたいからって、なんなのだろうか彼は。やっぱり東洋人が珍しかったのだろうか・・・。
 ふらりと歩いてラパス広場のオープンカフェで休憩をしていると、さっき口づけの小道で会った兄ちゃんが女連れで通りかかった。お互い「あ!」って感じで一緒に座り、兄ちゃんの持っていた英語⇔スペイン語の電子辞書と、蘭母の持っていたスペイン語⇔日本語の辞書とメモでカタコト会話。兄ちゃんはモレロスに住んでいる会計士で25歳らしい。って、おいおい兄ちゃん、彼女はいいのか〜?
 夕方ホテルに戻って昼食を済ませ(だから16時くらいに昼食ってさ・・・)、暗くなったら劇場へ向かいましょ♪ 今日の夜の舞台チケットを取っておいてもらったのだ。
 それにしても、この街は夜がめちゃめちゃ綺麗!! 角角に街灯が灯っているんだけど、その明かりがはっきりした明かりじゃなくて、やさしいオレンジ色の光なのよ。それらに照らされた建物や街の雰囲気がもぅうっとりー♪
 ファレス劇場の会場は20:00、開演20:30、・・・の予定だったのだけど、どうやら少し遅れているようで。待っている間に近くのラウニオン公園の周りを歩いてみる。公園の真ん中の舞台ではトランペットやサックスでジャズやっていて、これを聴いてるのもいいなー。で、脇のお店の中からはお客が別々に盛り上がって歌ってるのが聞こえてくるし。いくつもの歌や曲があちこちから聞こえてくるって楽しいーー!
 ぐるりと回って劇場に戻ってくると中に入る人達が列を作っていたから、私達もその列に並んで入って行く。ロビーもすごい人だ。さらに中に入ると客席で転がっている人もいる。なんでこの人転がってるの?? と思ったらこの人達は役者らしい。既に始まっている感じ?
 芝居自体はねー、なんというか・・・イマイチ。観念的な芝居みたいで、言葉分かんないからツラかった。しかも、日本じゃ絶対できないオールヌードばしばし! 男も女もモロなんだもん。マリンチェとか、モクテスマとか、グアダルーペとか、メキシコのスペイン侵略に関係する名前がたくさん出てきたから、その辺の話がベースになってるんだろうとは思ったけど。もしその辺の話を全く知らなかったらますますなんのこっちゃ、だよね。幼馴染親娘なんてそうだったんじゃないかな〜。私は興味あっていろいろ本読んでたからなんとなく知ってたけどさ。マリンチェ役の人がオールヌードでニシキヘビ体に巻きつけてんのは、アダムとイブの神話も関係してんのかな? 蛇生きてるよ! 動いてるよ! どっから持ってきたのー? 水に泥にケーキで最後には舞台ドロドロになるし、赤ん坊の形した濃い緑色のスポンジが上からどかっと落ちて来たりしたのは、マリンチェとモクテスマの子供とか? うわー。この芝居濃いーーー。
 休憩無しの2時間半の舞台は、終わった時には結構疲れた・・・。




1998年10月21日(水)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
イダルゴ市場/サンドイッチ 6.00 74
雑貨屋/蝋燭立て 15.00 184
バスターミナル/トイレチップ 2.00 25
↑メキシコ・ペソ
 皆で朝ごはんを食べた後、ロビーで集合までの間に私は1人で朝散歩〜♪ 幼馴染親娘の準備に時間がかかるから、たっぷり1時間は散歩できるね。それにしてもメキシコって犬天国だわ。猫はあんまり(というか殆ど)見かけないのに、犬は歩いていてもよく見かけるもん。特に今日の朝散歩なんて、周り中から犬の鳴き声が聞こえてくるよ。
 ロビー集合でまずはイダルゴ市場。まだ10時前で少し早い時間だったからか、2Fのお店は殆ど開いてない。1Fは飲食関係の屋台がメイン、2Fに民芸品系の屋台が集まっているって構図は2階建ての市場ならだいたい何処も同じ感じなのかな。1F2Fって言っても完全にフロアで区切れている訳ではなくて、2Fは1Fの外周をぐるりとバルコニーみたいな感じで囲んでいるのね。1Fを見下ろせる手すりにもたれて下を見ていると、このごちゃごちゃ具合がなかなか面白い。トルティージャを粉から練って丸めて伸ばして焼いてるお店もあるし、野菜や果物売ってるお店もあるし、カセットテープ売ってるお店もあるし、肉屋の屋台の店先には鶏の足や頭がゴロゴロ。見ていたらなんだか食べたくなってきて、いくつかある食べ物屋台の一つでコッペパンみたいのにチキンを焼いたものを挟んでサルサで味付けしたものを食べてみた(トルタですな)。ちょっとピリカラで美味い! 
 イダルゴ市場の中でも待ち合わせを決めて皆とは1人別行動していた小田蘭ですが、一旦集まってからも再度時間を決めて街中をウロウロ。なんだかコピー屋さんが多いなー、と思っていたら、こっちでは勉強に必要な本とかは買うというより必要な部分をコピーして使うことが多いとか。まぁ確かに。学術本とかだと余計に高いもんね。
 12時にラパス広場で待ち合わせをして、それまであちこち歩き回ってみた。グアナファトってお洒落な雑貨屋さんも多いなー。
 ラパス広場でお昼を食べたら今日はもう移動日なのです。もっといたかったな。残念だけどバスターミナルからそのままメキシコシティへ。バスの中ではやっぱりまた映画をやっていたんだけど、今回はさすがに疲れていたからか音声が聞こえていてもバッチリ睡眠時間でしたよ(笑)。シティのバスターミナルで蘭父と合流・・・・・・するはずが蘭父の乗っているサラマンカからのバスの到着が遅れているようだ。迎えてくれた運転手が蘭父と携帯で話をして、私達だけでホテルに向かうことになった。蘭父は到着したら自分でタクシー手配して合流するってさ。
 ホテルのチェックインで手間取っている間に蘭父到着。ごはんを食べに行ったらサクっと寝ましょう。移動って結構疲れるんだよね。




1998年10月22日(木)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
テオティワカン/入場料 20.00 245
太陽の石ミニレプリカ 37.00 453
↑メキシコ・ペソ
 メキシコ最終日はテオティワカンへ。なんだかちょっと肌寒いよ? 1日中曇りでお昼頃には少し雨がパラついてたし。長袖着ててもなんか気温が・・・。
 私と幼馴染は親たちと分かれてケツァルコアトルの神殿から見ていくことにする。続いて太陽の神殿へ向かうべく死者の道を歩いていると、道の途中にあるアップダウンの階段状になっている所に学生集団が座って野外学習中〜。中学生か高校生くらいかな? 1人が説明役になって、たぶんテオティワカンの解説なんかをしてるんだと思う。だけどさ〜、なんだか説明役の子そっちのけで私達の方が注目されてるんですけど・・・? そのうちその中から女の子が一人、続いて二人やってきて、彼女達3人と
『どこから来たの』等カタコト英語&超カタコトスペイン後で会話することになっていたのだった。いーのだろうか・・・、彼女達は抜け出してきて。学生達がさっき座ってた場所から次の場所に移動することになってみたいで、じゃあ・・・ってんで別れ際にカタコト会話していた3人と一緒に写真撮ったら、その後ろを他の学生達が移動しながらもこっちを気にして見てるのが写ってるー。東洋人、珍しい? 確かにあんまりこっちでは見かけなかったけど、東洋人(それも女)が二人だけで行動してるのが珍しいんだろうな、きっと。
 太陽のピラミッドまで進んだ時、その前で東洋系の女性と欧米系の男性が一緒に写真を撮っていて、近くを通った時に女性の方が
「ハポネサ?」と声をかけてきた。「シ」と答えたら、やっぱこの人も日本人だー。40才前後くらいかな? 二週間の休みでベラクルスの方回ってきて、このあとテキサスに友達がいるからそこにも行くとのことだ。1人旅だけど、どこで一緒になったかは聞かなかったけど欧米系男性に案内してもらってるんだって。その人にも女二人だけで歩いてるのが珍しいって言われたよ。うーむ・・・。そういうもの?
 この女性と話をしている時にちょうどさっきの高校生集団がまた通りかかって声をかけられていくのでありました。握手をしつつ、
「アディオス」とか「ボニート」とか。さすが、ラテンの国メキシコ。人懐っこくて口上手くていいですねー、中高生でも言う言う(笑)。
 この日本女性は太陽のピラミッドには登らないというのでここで別れて、私達は太陽のピラミッドに登った所で偶然親達と合流。そのまま一緒に月のピラミッドへ。そしてそこでは小学生(9歳)の子達がわらわら登ってた。そんでやっぱり珍しいのか、
「マエストロー(先生)! マエストロー(先生)!」と言いながら引率の先生の所に行ったり、私たちの所にきたり、ピラミッド降りる時もジャガーの宮殿に行ってから土産物屋にいる時もわいわい入れ替わり立ち代り寄ってくる。テオティワカンって、日本でいうと京都みたいなもんかも。日本人だって修学旅行で京都に行って、観光で来てる外国人と喜んで写真撮ったりするもんね(中学ん時の卒業アルバムにそういう人の写真が載ってるよ)。
 お昼の後はシウダデラ市場でお土産品を見て回り、生鮮市場みたいな所にも行き、タワーレコードを物色してから、最後にホテルの近くの酒屋さんでお土産用にとミニボトルを買う。もう明日には帰国だもんね。
 夜はメキシコ民族舞踊が見られるレストランでショーを見ながら食事をして、明日も早いから早いトコ寝なくちゃ。




1998年10月23日(金)〜24日(土)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
メキシコシティ空港使用料 173.00 2,119
空港内スターバックス/パンとコーヒー 7.22 88
↑メキシコ・ペソ
 うー。今日は寒いよ〜。空港へ向かう時の運転手なんかマフラーしてたよ。まぁ、そこまでではないにしても、半袖の上に長袖シャツ+Gジャンという格好ではちと寒い。こんなに寒いのが最終日でよかったよ。
 空港についてチェックインをしてからみんなで朝食。そして、食べ終えた私と幼馴染はゲートに向かう。幼馴染のお母さんは専業主婦なので、もうしばらくこっちで両親と一緒にいるとのことなのだ。
 お互い飛行機の座席は通路側を希望したので席が離れてしまい、バンクーバーで一旦降りた時に待ち合わせることにして別々の席へ。私は真ん中の4列席の左端で、中2席空いて右端50歳代くらいのおじちゃん。通路を挟んだ向こう3列にはラテンアメリカンな40歳代くらいの女性が3人。でもこの列から後ろには全く人がいないの。ガラッガラ! ラッキー♪ と食事の後で後ろに移って長々と一列四席使って横になってたら、客室乗務員に起こされたちゃったよ。バンクーバーから200人近く乗ってきて満席になるらしく、機内清掃はするけど、クリーニングはしないから、自分の席だけを使ってくれって。ええー、せっかくこんなに空いててラッキーだと思ったのに。しかたないなぁ・・・。後で分かったことだけど、バンクーバーから高校生の団体が乗り込んできたのよ。修学旅行っぽい。もしかして行きにバンクーバーの空港で見かけた学校かなぁ。
 さて、この機内でね、私がスカイタイム(JAL特製(?)キウィと何かをベースにしたさっぱり清涼飲料)を頼んでいたら、通路を挟んだ向こうにいるラテンアメリカンの女性達が
『それは何?』と聞いてきた。「スカイタイム。サブロソ(美味しいよ)」と答えたのが発端だったんだろうな〜。『スペイン語できるの?』って言われちゃったからさぁ大変。いや! できません! 分かるのは挨拶と小さい単位の数字と「サブロソ」みたいないくつかの単語だけなんだってば。なのに食事中に度々『これは何?』と聞いてくる。えーと、えーと・・・。日本酒なんか頼んで飲んでるし、乗務員が配膳している最中にその人通り越して私に質問してくるもんだから、乗務員も私に向かって「日本酒お強いですね、って言っておいてください」とか言うしーー。他にもいろいろ話しかけてきて分かったことは、ベネズエラからの3人組で10日の日程で日本に行くということ。何しに行くんだろう・・・。乗務員もそれは気になったらしく、配膳したりトレイを下げたりしている時にお互い「何しに行くんですかね?」という会話になったのであった。
「こちらの方達はどちらに行かれるんでしょうね?」「さぁ・・・。私もまだそこまでは聞いてないんですけど」『どちらまで行かれるんですか?』(←乗務員が英語で3人組に)「タカヤマ」
 って、タカヤマ? タカヤマって何?
 そうしたら、3人組の前の席に座っていた日本語とスペイン語ができる多分日本人(だけどなんとなく中南米の雰囲気がある40才後半くらいの女性)が飛騨高山に行くって答えてくれた。
「あ、飛騨ですか。滋賀って聞こえちゃった」「でも、飛騨? 何かあるんでしょうか?」「タイサイ、マヒカリ」と言いながら3人組の通路側にいた人がごそごそとスケジュール表を出してくれた。「真光! 大祭!」「あ、宗教の…」どうやら前の席の人に連れられて日本に行くらしい。そうだったのかー。あぁ、びっくり。

 バンクーバーで一旦降りた時に、飛行機の出口で係員から「トラブルによる部品交換の為に4時間程ここで待ってほしい」旨アナウンスがあった。なんでも交換の部品をロサンゼルスから運んでくるらしい。うっひゃー。ってことは、そんなトラブル抱えながらメキシコから五時間飛んできたのか。こわー。こんなこと初めてだわ。それほど大きな空港ではないから四時間ここで待つのはは長いよ〜。
 4時間かからず、2時間半くらいで機内に入ることができたのだけど、時間になって搭乗口に向かうとわらわらといるわいるわ、沢山の緑系の制服集団が。バンクーバーから乗ってくる200名って、これね。最初にメキシコから引き続いての乗客が乗り込んで、続いてバンクーバーから新たに乗り込む人達が入ってきたんだけど、高校生の団体ってうるさかったら嫌だなー。私の列のすぐ後ろは先生や添乗員達の席だったからまだ助かったけど。想像していたよりはうるさくなかったけど、でもやっぱり機内が暗くなっても動いているし話してるし、トイレも大混雑。う〜ん。。。すごい飛行機にあたっちゃったなー。

 結局成田到着は予定時間より2時間遅れ。到着前のアナウンスでは、JALでバンコクや香港に乗り継ぐ人達はもう飛行機が出ちゃったから、明日の午前便に振替えてくれるとのことだった。うーん、でもこれってJAL機以外で乗り継ぐ人はどうするの? 今までこんなトラブルには遭ったことないから全然知らないよ。いつか私もこういうことに遭遇したらどうしよ〜〜〜。名古屋と福岡に乗り継ぐ人は飛行機が待っていてくれているらしく、成田到着後一番最初に降ろしてもらっていたんだけど、私達が税関も通り過ぎてここからバスか電車かどうやって帰ろうかと相談している時にその脇をすごい勢いで走って行く空港職員とお客さん・・・。きっと名古屋か福岡への乗り継ぎの人なんだろうなー。大変だ。
 結局私はここで幼馴染と別れて、バスと電車を乗り継いで帰宅。家についたのは23時を過ぎていたよ。明日が休みでよかった〜!