空がこんなに近いから

ペルー
2004年4月21日(水)〜5月1日(土)

last up date/2004.10.22


2004年4月25日(土)までの日記はこちらから


2004年4月26日(月)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
列車ポーターチップ(荷物*2) 2.00 64
列車/軽食 6.00 193
マチュピチュ/トイレチップ 0.50 16
日本までエアメイル@1通 4.80 154
インターネット1時間 5.00 161
クスケーニャ(ビール)@1本 3.00 97
 クスコからマチュピチュへ向かうには、ペルーレイルに乗ってアグアスカリエンテス(マチュピチュ遺跡のある山の下にある町)へ行き、そこから遺跡行きのシャトルバスに乗るのが一般的(一般的というのは、山の下から遺跡まで歩いて行く人もいたり、昔のインカ道を数日かけてトレッキングしていく人達もいるからだ)。
 そのクスコからマチュピチュ行きの列車ってのが本数が少なくてね。天井がガラス張りで若干金額が高めなビスダドームが6:00発。プリメール・バックパッカーが6:15発、セグンド・バックパッカーが6:35発、バックパッカーの2つは同金額。・・・・・・と、1日3本しか出ていないのだ。他にももっと金額の高い豪華列車ハイラムビンガム号がポロイ駅(クスコ郊外)〜プエンテ・ルイナス駅(マチュピチュ近郊)を走っているということなんだけど、あたしたちが使うのはクスコ発のプリメール・バックパッカー。ってことは6:15発。今日の朝も早いです。
 列車はスイッチバックを繰り返し、早朝のクスコの街を見下ろしながら山を上ってのんびり走る。本当にゆっくりなんだよー、この列車。クスコの街が見えなくなるまでにどれくらいかかっただろう。スイッチバックをしなくなっても列車の進みはゆっくりで、車窓がのんびり眺められて気持ちいいんだけどね、時々じれったくなるかも。そのうち列車は山頂に雪を頂く5000m級の山を見ながら走り抜ける。ああ、ペルーって本当にいろんな気候がある国なんだなぁ。
 そんなこんなで約4時間かけてアグアスカリエンテスに到着。ここは1ヶ月ほど前に発生した土砂崩れの影響で、列車は本来のホームより手前で止まり、そこからは自力で歩いていくことになるのだ、と事前に旅行会社の人から情報をもらっていたのですが…。この状態ってどこがホームなんだか分かんないじゃん。ってか、ホームらしき所にはレストランや土産物屋が軒を連ね、列車から降りる人はいわゆるホームではなく直接地面に降りるのであった。これじゃあ「ホームの手前数百メートルで列車が止まるので…」とか言われてももともとホームの意味なしてないんだから一緒じゃん。それに、到着にあわせてホテルの人が沢山集まってきていて、宿泊ホテルが決まっていれば(たぶんここで決めても)彼らが荷物をまとめて運んでくれるから私たちはラクラクだったのでした。
 大きな荷物はホテル従業員に渡して先に持っていってもらい、私たちはチェックインも後回しでそのまま身軽にレッツゴー遺跡! なのだ。
 遺跡に向かうシャトルバスが列車の到着にあわせて何台も列をなして止まっていて、そこに順番に乗り込んでサクっとマチュピチュの遺跡まで運んでもらうのだ。しかしこの山道ってばすげーっ。バスがギリギリで2台行き会えるかってくらいの道幅を時々遺跡から降りてくるバスと行き会いながら、もちろんガードレールなんかない砂利道を左右にジグザグしながら上っていくんだけどさ、これ絶対、バス転落したことあるでしょ、って道なんだよーっ。これを20分くらいかけて上っていくんだよね。もうね、以前はここにグッバイボーイが駆け下りていたなんて信じらんない。もちろん彼らはジグザグの道をそのまま走っていた訳ではなく、樹に隠れていてあまり気づかないけど1直線で上に登れる階段状の道を駆け下りていたらしい(その道を徒歩で上り下りする観光客もいる)。その徒歩用の道をバスがジグザグ道を下るよりも早く駆け下りて、ジグザグが1つ終わるごとに現れては「グッバーイ!」と手を降り、山道を降りきった所でバスに乗っている人たちからチップをもらっていたのだ。でも、2003年に政府から禁止令が出たとかで、私たちがいった時にはもうやっていなくてちょっと残念…(?)。学校にも行かずにグッバイボーイのチップ稼ぎに精を出しちゃうからだってね。
 頂上についてさっそく中に入って、まずはいかにも観光写真っていう景色が見える「見張り小屋」に上る。そうそうこれ!マチュピチュって言ったらこの絵だよ。という景色を実際に自分の目で見ていることに感動し、遺跡内を一通りぐるりと回って今日は終了(詳細は写真のページでご覧ください)。明日は朝一番で来てワイナピチュに登るもんね!と心に決めて遅めの昼食に向かうのでありました。
 そうそう。帰りに出入口の所で前を歩いている人が出入口に設置されている小屋に入っていった。窓から見ているとパスポートを出して何やらスタンプを押してもらっている。なんだろう、と思ってそこに入っていく人の後をついていくと、マチュピチュに来た証明スタンプのようなものがっ。え?でもこういうのパスポートに押しちゃっていいものなの? と思いつつも、私たちもパスポートを取り出し、ペルー入国のスタンプの隣にポンっと押してもらったのでした。うふふふー。やったね。
 さて、遅めの昼食をのんびり食べた後、やっと宿へチェックインするべく、ほてほてと歩く。この街って本当に小さいから、ぐるっと回ってもそうたいした時間がかからないんだよね。部屋に入って、なんと用意のいいことに水着を持ってきていたみーちゃんは温泉に向かい(いつもジムに行く時の用意をそのまま旅行に持つにつっこんできたそうだ)、私はふらふらと街中を散策してお土産屋を見てまわったり、ネットカフェに入ってメールチェックや掲示板を確認したりしてから戻ると、みーちゃんはすっかりシャワーまで浴びてのんびりしておりました。
 なんでも「温泉」というより温水プールのようだったとか。お湯というよりは温めの水に近い温度で、子供たちが水泳の練習をしてたりしたそうだ。その水温からあまり浸かっていると風邪引きそうと判断して、みーちゃんはそうそうに引き上げてきたらしい。温泉の近くまで行くと水着を貸し出してくれる所もあるから、これから行く人は水着を持っていなくてもチャレンジすること可能だよ。よかったらぜひお試しあれ。
 昼ご飯がほぼ夕方な時間だったので、日が暮れても全然おなかのすかない私たち。そこらの雑貨屋でビールを買って、部屋に帰ってそれが夜ご飯代わりとなったのでありました。



2004年4月27日(火)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
バス/マチュピチュ往復 US$9.00 1,010
入場料/マチュピチュ US$20.00 2,244
昼食(2人分)TAX込み 69.00 2,220
  ホテルの朝食を食べに行ったのは5:30。さすがにマチュピチュ遺跡の下にある町だけあって、早朝から観光に出かける人も多いだろうから朝食時間も早くから設定してくれているのかな。私たちが朝食用レストランに入った時にはお客はいなかったのに、食べている間にポロポロと人が増えてきた。これから皆もマチュピチュなのかしらん。
 朝食を食べてチェックアウトして荷物を預かってもらい(列車の時間を確認されて、その時間に私たちが乗り込む車両まで荷物を運んでくれることになった)、6:00にチェックアウトして、マチュピチュ行きのバス停に向かうと既に結構な人が待っていた。本当は6:30が始発なんだけど、人が集まりすぎたからか少し早めに出発が始まった。時刻表を見ると始発の次は7:30と書いてあるのだけど、実際は人がどんどん集まってきてバスも次々出発していく。時刻表なんてあってなきがごとし。人がいてバスがあればどんどん出て行く模様。
 そして2番目くらいに出発したバスに乗り込めた私たちは、遺跡に到着後入り口脇にある有料トイレに入ってから遺跡へ入場………って、有料トイレ開いてないじゃん。困るよ〜。遺跡の中にはトイレがないので、必要な人は遺跡に入る前にこの有料トイレで用を足していくしかないのだけど、開いてないんじゃトイレ行けないじゃんか。かと言ってトイレに行かずに中に入るのは、これから1〜2時間かけて山登りをしようという私たちにはとっても危険。どうしよう〜。と、遺跡の入口近くには1軒の高級ホテル。いいかな、いいよね? と、みーちゃんと顔を見合わせてホテルに入ってトイレを拝借。あぁ、綺麗なトイレでお金がいらないなんて…。開いてない有料トイレが悪いんだもん。ホテルのドアマンやフロントの人にとりあえず会釈をして、すっきりしてホテルを出てきたらやはり同じように有料トイレに入ろうとして入れなかった人がいる。
『このホテルでトイレ使えるかしら?』てなことを英語で言われたので、みーちゃんと2人してうんうんと頷いて『入口を入ったらすぐトイレありますよ』とばかりに指し示す。な〜んだ、昨日だって有料トイレ行かずともホテルのトイレ使えたんじゃん。というのは過ぎたことだからどうでもいいけど。
 (ちなみに、有料トイレが開いているのは8:00〜16:00だそうだ)
 トイレも行ったし、遺跡入口で入場料を払って中に入る。
 朝7時のマチュピチュ遺跡は、靄っていてなーんにも見えません!
 
「これさぁ、あの辺にきっとインティ・ワタナとかあるんだろうけど、ホンット何にも見えないね」「こんな状態じゃあ山に登るのも危ないかなぁ」「もうちょっと待ってみる?」
 という訳で、靄が晴れだすまで少し遺跡内をウロウロしてみる。…んだけど、本当に真っ白なんだよー。30分くらいしてやっと微かに靄が晴れて来たので、よしっ、今から山の入口に行けばちょうどいいかも。とザクザク歩いて遺跡の奥へ向かっていく。山への入口聖なる岩の後ろ側にあり、入場時間は7:00〜14:00まで。入山する時には入口でノートに入山時間と名前と年齢を書き、戻ってきた時には帰着時間を記入する。で、16:00過ぎても戻ってこない人がいた場合には捜索隊が出るのだとか。って、気軽に考えていたけどそんな大変なのっ? 1時間半くらいで行って帰ってこれるっていう話じゃなかったっけ?
 なんとな〜く体力に不安を覚えつつ、とりあえず時間と名前を書き込み、いざいざ山登り。さすがに早朝なので先に入っている人たちもそれほど多くないみたい。20人いるかいないかってトコロだったかな。とりあえず頂上まで行って、途中まで下りて来た所で分かれ道になってた月の神殿へも行ってみる。これがまぁ……、侮ってました、私たち。特に月の神殿へ行くまでの道がもう、道なき獣道が多少緩和されたくらいのもので。詳しくは写真館のこの写真からどうぞ。とにかくまぁ、メキシコの数々のピラミッドを登り、エアーズロックにも登り、屋久島12時間登山もしてきたけど、この月の神殿への往復はそれ以上に苦しかったかも。あ、それは年のせいとかいうのは置いといて(多少はあるかもだけど)、みーちゃんも
「ここ数ヶ月ジムで泳いでなかったら、絶対途中でやめてたかも」って言ってたね。私は特に何もしていなかったんだけど、これでちょっとジムに通おうかなーと思ったりしたよ。やっぱ、遺跡巡りも旅も体力必要だもんね。
 頂上まで行って帰って1時間半〜2時間と言われていた山登りは、私たちは月の神殿へも行ってきたので行って帰って約4時間半。登山口で帰って来た時の時間を書き込む時に、ページを2〜3枚戻らないといけなかったもんね。ってことは、あの後すごく沢山の人が入山したんだなー。この登山口では、途中で私たちが頂上から降りてきた時に上に向かっていた日本人達とも再び会って、
「あれ?なんだかすごく遅くないですか?」って言われたもんね。「あ、私たちあの後月の神殿まで行ってきたので、思った以上に時間かかったんですよー」と言ったらやっぱり驚かれた。それもそのはず、ガイドブックには「月の神殿は現在閉鎖中」と書いてあったのだ。でも閉鎖中なんて道のどこにも書いてなかったし、「月の神殿」っていう案内板も分かれ道にしっかり立ってたし、頂上で一緒になった人が「そう書いてあったけど今は行けるみたいですよ」とか言っていたし、行ってみたらなんとかたどり着けたからね〜。すごい大変だったけど。
 そういえば、ワイナピチュでもマチュピチュ遺跡内でも、この日は日本人が割りと多かった。しかもワイナピチュの頂上で会った人と降りている途中で会った人がすごい似ていてビックリだったのだ。頂上で、
「じゃあ私たちもこれから月の神殿に向かいまーす」と分かれたはずが、頂上から降りる道と登る道との合流地点で、あれ?また会った? と声をかけたら別人なんだもん! 降りてくる時に途中では会わなかったよねー、と「あれ? どこから降りてきたんです?」と声をかけたら「僕これから登るんだけど」って言われて驚いたのなんの。みーちゃんも同じように思ってたっていうから、そうとう雰囲気似てたんだよね。その彼とは山を下りた後の遺跡の中でも偶然会って、他の人とも一緒になってしばらく話に花が咲いたりしましたが。彼は月の神殿に行こうとして、あまりの道のすごさに途中で引き返してきちゃったんだとか。そうだよねー、本当に道間違えたかと思うくらいのすごい道のりだったからね。私たちも先に歩いていた人がいなければ途中で引き返していたかも。
 こんな山登りしたら結構ヘロヘロになってしまい、遺跡は昨日一通り見ていたからそのままシャトルバスに乗ってアグアスカリエンテスまで。おなかもすいたし、列車の時間までごはん食べながらのんびりしよう、とね。
 帰りの列車は行きがあんなに込んでいたのに比べると割りとすいていた。座席番号がみーちゃんと少し離れていたんだけど、途中から人がどんどん降りていって、あちこち動き放題だったよ。乗った時に座席番号通りに座って私が一緒になったのは、香港からの女性達。年齢は私よりちょい上くらいかなー。お菓子をだして食べながらしゃべり続けていて、私までそのおこぼれに預かってしまったのは結構よくあることだよね。…ね?
 クスコに到着したのはもう日が暮れてから。手前の駅でほとんどの乗客が降りていったので、同じ車両に残っているのはみーちゃんとおだらんの他は日本人女性2人くらい? 暗くなって街の灯りがついてからのクスコというのは本当に綺麗だ。その灯りがオレンジ系ばかりなのがまたいい! 私たちはスイッチバックで進む列車のクスコ側に陣取って、夜景のクスコを写真に収めようとするんだけど……。夜景モードになるとシャッタースピードが遅くなって、それに列車の揺れが加わるともうとんでもない写真が出来上がってしまうのよ。グネグネと光の線がうごめくなんだか訳が分からない。街中で立ち止まって夜景を撮るのとはえらい違いだわ。なので、あの光景は私たちの記憶の中だけにある。
 あぁ! メキシコといいペルーといい、こっちの夜景はなんて素敵なんだろう。建物と灯りの種類が違うよね。日本は蛍光灯が多いから、明るいだけで面白みも暖かみもない、なんだか白々しい夜景になっているような気がするのだ。
 そんな夜景の中をホテルに戻り、疲れきった私たちはバタンキュ〜。明日はクスコを出発する日だというのに、本当に夜に弱い私たちなのでありました。



2004年4月28日(水)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/ピローチップ2人分 2.00 64
駅前の雑貨屋/水720ml 1.50 48
カテドラル入場時おばさんに 1.00 32
空港/国内線空港利用料(US$4.00) 12.10 389
シャトルバス(空港→ホテル) 15.00 483
薬局/塗り薬 20.50 659
スーパー/CD3枚 141.70 4,558
昼(夜)食(2人分)チップ込み 58.51 1,882
  内訳の一部:セビッチェ 22.58 726
   :鶏1/2+ポテト+サラダ 14.52 467
スーパー/ピスコ小瓶 14.35 462
       ピスコサワーの素 5.20 167
       インカコーラ500ml 1.70 55
 今日も今日とて、みーちゃんを置いて朝散歩。サンタ・クララ門を出て、アグアスカリエンテスへ向かった時に乗った列車の駅(サン・ペドロ駅)へと行ってみる。おぉ〜、朝っぱらから駅になんだか列があるよ。列車に乗る人たちの列かしらん。周辺には屋台もいろいろ準備中だし、やっぱこういう場所の朝の風景はおもしろいよね。おっと、水がそろそろ切れそうだったんだ。みーちゃんの分も一緒に買っていっとこう。そしてふらふら広場や教会を周り、カテドラルに入ろうとしたら入口で『中に入るんだったらこれを付けなきゃダメ』とか言われてバッチのような物を買わされる。そんなちゃんとした入口でお金徴収するならともかく、こんなふらりと入口に陣取っているおばちゃんにそんなのってないでしょ。と思いつつも、しつこいのでいいかげん面倒くさくなってお金払っちゃったのよね。まぁ、しかたないか。
 現地発着ツアーなので帰りの足も心配しなくてオッケー。迎えに来てくれる時間に合わせて朝食を済ませて、車でブーンと空港まで。ラクチンラクチン♪
 この時にガイド氏と話していて知ったんだけど、どうやら今朝私が散歩していた駅の周辺というのは治安があまりよくないらしい…。
「朝は駅の方まで散歩してきた」というと「そこはちょっと危ない」と言われ、でもこっちの人みたいだから大丈夫って……あれ〜? まぁね、日本人はまだ欧米系の人達よりはこっちの人達に人種的に近いものがあるから、ってことで。あ、よく見たら某歩き方にもあの辺りは治安が心配とか書いてあったわ。関係する部分は一通り目を通したはずなのに、全く頭に残ってなかったみたい。←それじゃ意味無し。
 リマへ戻って、今度は自力でホテルへ向かう。まぁ昼間だし、空港にいるちゃんとしたタクシーを使えばいいか〜、と思っていたらバゲッジクレイムの所にシャトルバスのカウンターを発見。行けるかも。
 ルートと金額を確認して、カウンターで宿泊ホテルを言ってみるとオッケーとの返事だ。だったらタクシーよりこれでしょ、やっぱり。みーちゃんの分と二人分の金額を支払い、チケットを受け取る。
『出発までそこで待ってってね』と言われ、バゲッジクレイムの脇のベンチでぼーっと待つ日本人の女が2人。殆どの人が荷物を取ったらそのまま外に出て行くもんだから、すぐにガラーンとした感じになっちゃった。シャトルバスを利用するのは、私達ともう1人くらいのようだ。そのまま待っていると、先程カウンターでチケットを切ってくれたお姉ちゃんが出て来て誘導してくれる。あ〜、外に出てそのまままっすぐ横に進んで行くとすぐ国際線だ。国際線のフロアーまでは行かずに、止まっているバスに乗り込むように指示される。シャトルバスなんて言うとすごく立派なものを想像するかもしれないけど、そんなんでは全然なく、いい感じに使い古された中古の車。マチュピチュ遺跡に行く時に乗るシャトルバスは日本の観光バスみたいで、立派さ加減では余裕でマチュピチュ往復シャトルバスの方が上だね。でも古かろうが新しかろうが、ちゃんとホテルまで連れて行ってくれれば何の問題もないのさ。
 それにしても、こっちの車は追い越しも車線変更もクラクションも当たり前。少しでも隙間があると車線変更して前へ進もうとするし、POLICIA(警察)の車でもふらふら車線変更してたもんね。少しでも前の車が自分の車の速度より遅いと抜こうとするし、クラクションは前に車があるとガンガン鳴らす。このクラクションがまた、族のクラクションみたいな音を鳴らす車が沢山走っているのだ。車検切れかなんかの改造車がこっちに大量に流れてきてんのかなーと思うほどだ。
 シャトルバスの乗客は私達の他に2〜3人てトコで、外の景色を眺めていたら40〜50分の道のりなんてあっという間。チェックインをして(あ、また違う部屋だ。結局このホテルには飛び飛びで3泊して全部違う部屋だった)、荷物を置いたらさっそく外へ行くことにする。
 賑やかな方に向かう途中にある大型スーパーでお土産になりそうなものを物色して、ポストオフィスで残りのエアメイルを出して民芸お土産屋があつまるマーケットを見て、街中まで出てふらふらして、早めのごはんを食べて帰ってこようという算段だ。食べるお店ももう決めてあるの。鶏さん〜♪
 ということで、さっそく近くの大型マーケットへ。あっ、ファーマシーがある。行ってくる〜!
 実は、どこで刺されたかは定かではないんだけど、マチュピチュでどうやら蚊に刺されたみたいなのよ。痒いな〜と思って、でも触らないようにしていたんだけど、痒み止め塗り薬を忘れたもんだから痒くて痒くて…。そのうち刺された部分一体が周囲まで赤くなって、膨れて腫れて、熱を持って、痛痒くなってきてしまったのだった。
 薬局を見つけてさっそくそこへ向かい、そこの店員さんにを見せて
『多分蚊だと思う。薬が欲しい』と言ってみた。すると私の足を見たお姉ちゃんは『あら〜!』と驚き中へ入り、持って来てくれたのはどうやら内服薬のようだ。『これを飲んで…』と言うもんだから。『塗り薬がいい』と患部に薬を塗り込むジェスチャーをする。そうして見事塗り薬をゲットして、その場でさっそく塗り込んでからマーケットの中を見て回る。
 CDコーナーで何枚かCDをゲット。バーコードと表示金額とが合っていないのか、私もみーちゃんも会計時にそれぞれがレジで待つこと暫く。何度も電話でやりとりして、更に人を呼んだりしてやっと会計終了。あ〜、アバウトでいいなぁ、ラテンの国って(遠い目)。
 アルコールやジュースのコーナーでお土産になりそうなものを確認して、その後、お土産にもバッチリな屋台が集まる民芸品マーケットをふらふらして交渉しつつ買物をして、ご飯を食べて更にふらついて、帰りがけに大型スーパーで目を付けていたものを買って帰ってきた。さぁ、これでお土産もほぼ終わり。今日は荷作らなきゃ〜。



2004年4月29日(木)〜5月1日(土)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
空港/国際線空港利用料 US$28.24 3,169
↓ヒューストン
空港内/朝食 US$5.50 617
空港内/アイスクリーム US$3.52 395
 昨日買った塗り薬は効いているんだか効いてないんだか…。とりあえずまだ痒みも赤みも膨らみも取れないけど(そんな塗ってすぐに治ったら逆に怖いって)、今日もぬりぬり。
 そしていよいよ今日はペルー最後の日。南米まで来ると、時差の関係で帰りは飛行機に乗っている間に1日消えてなくなってしまうのよね〜。29日の夜中にペルーを出発して、日本到着は月が変わって5月1日の夕方になる。
 今日はリマ近郊の遺跡パチャカマと、今まで時間がなくてゆっくり見れなかった市内観光がセットになった1日観光ツアーに参加することにしているのだ。嬉しいことに今日も私達2人のプライベートツアー♪ ゆっくり朝ご飯を食べてロビーで合流して、まずはパチャカマ遺跡へ!(詳細は写真館を見てね)
 お昼を食べに街中まで戻ってきて、その後、海辺沿いのミラフローレスという太平洋に面した高級住宅地がある地域に行ってみる。
 そこには夕暮〜夜になると恋人たちが集まる、そのものズバリの名前が付いている「恋人達の公園」というのがあって、ちょっと「おいおい〜」な像が立っているのだ。画像はこちらを見てもらうとして、いくらなんでもこれはあからさまじゃない? 広場の全体的な雰囲気はモザイクとか使っていてスペインのグエル公園あたりを連想させるんだけど(スペイン行ったことないけど)、ほんとーにこんな場所で愛を語らって嬉しいのかな。私だったら嫌だなぁ。だって……こんなアモーレな像だよ? こんなんが中心にドドーンとあるんだよ? でもさぁ、昼間にもかかわらず、これがけっこうカップルがいるんだわ。しかも木蔭のカップルってばあの像と同じ格好していちゃついてるし。ちょっと日本人には分からない感覚だね。しかも体型まであの像と似てる…。
 いちゃこらしている地元のカップルが普通にいるのに、彼らが日本語を分からないのをいいことに、ひとしきりみーちゃんとアモーレな像についていちゃもんをつけた後、旧市街に向かう。
 やっぱ旧市街の方が建物的にも街的にも面白いんだよね。でもリマの旧市街は治安がよろしくないみたいなので、新市街に泊まって旧市街には観光に出かけるだけの方がいいらしい。宿泊金額では新市街の方が相対的に高いんだけど、私達の出せるお金で買える安全なら買っておかないと。
 ということで、旧市街に来てアルマス広場をぐるりと回り、カテドラルとかサン・フランシスコ教会とか。騎馬隊がいたから写真も撮ったりしてね。 メキシコにもいたけど、ラテンアメリカってまだまだこういう騎馬隊が活躍しているんだ。
 旧市街をぐるりと回ってホテルに戻り、ホテルの周辺をふらふら散歩してからフロントに預けていた荷物を受け取って、タクシーをお願いした時間になるまでロビーでぼーっと待つ。23:55の飛行機だから、タクシーは早めに20:00にお願いしていた。ロビーで待っている2時間くらいの間は、本を読んだりメモを書いたりしていると、今日はこのホテルの会議室を会場にして何かがあるらしく、18時半くらいからスーツをきた男女が集まってきた。休憩時間なのか時々ロビーに出てきては談笑している人達がいる所で、おもむろに右足のズボンの裾を捲り上げて薬をぬりぬりする小田蘭。この虫刺されはこっちの人が見てもすごいのか、
『あら〜、どうしたの?』って感じで見られてた。そうか、この虫刺されはやはり尋常じゃないのか……。
 そうこうしているうちにタクシーがやってきた。
 あ〜、さようならペルー。またいつか!



後日談

 帰国後、知り合いの皮膚科医に足の状態と塗り薬の画像を添付して症状を書いたメールを送ってみたところ、虫刺されの反応がちょっと大きく出ただけでしょう、ということだったので一安心。