空がこんなに近いから

ペルー
2004年4月21日(水)〜5月1日(土)

last up date/2004.09.21


出発前

 出発の準備もバッチリ。なじみの旅行社で航空券を取り、ネットで見つけた現地旅行社でホテルや現地発着ツアーを予約し、後は出発を待つばかりという頃、現地時間4月10日未明にマチュピチュ付近で土砂崩れが発生したとのニュースが飛び込んで来た。
 えっ?! 土砂崩れって、土砂崩れって…。
 なにしろ遠い国のことである。しかも発生時間が未明の為に、地元の人が数名死亡したが観光客に死者はなし。日本人観光客もいたようだけど、日本人に被害がなければそれ以上の詳しい情報は日本語ニュースには載ってこない。
 現地旅行社に状況を問い合わせると、4月12日から列車は運行を開始したが、アグアスカリエンテス駅(マチュピチュの最寄り駅。ここからバスに乗って山を登りマチュピチュの遺跡へ行く)の手前で土砂崩れがおきた為に数百m手前で列車が止まり、そこからマチュピチュ行きのバス乗り場まで歩くことになるという。観光には支障なく、ツアー客も通常通りスケジュールをこなしているそうだ。
 行けるというのは分かったけど、土砂崩れって………。どうやらクスコ付近では12月〜3月頃が雨期となり、今年は少し長引いているようだった。そして、この雨期の間には土砂崩れが起こることも度々あるようで、3月24日の夜にも土砂崩れがあって3日後に列車が復旧したとか・・・。どちらも人的被害が少なかったから、日本ではそれほど報道されてなかったようだ。
 そういや私、トルコに行く1ヶ月前にはかの地で地震がおこったし、トルコからの帰国直前に日本で東海村の原発事故があったり、台湾から帰って来て数日後に地震があったり、屋久島では大雨の為に帰りの飛行機が飛ばなかったり、SARSの発生時期にはモルディブからの帰りにシンガポールに寄ったり……。自分自身はそれを上手くすり抜けている所がなんとも言えないけど(汗)。
 でもまぁ、と…とりあえず手配はほぼ完了しているし、行けるんなら行くよ、私は。

<ペルー行きの荷物>
 通常の荷物に加え、
 マチュピチュ対策として「蚊避けスプレー」「日焼け止め」「サングラス」「帽子」、忘れてえらい目にあった「痒み止め」。ワイナピチュに登るなら「イボ付き軍手」があったら便利。
 服装は「長袖のパーカー(薄手で水を弾くタイプ)」「袖が着脱できる上着」「長袖Tシャツ」「半袖Tシャツ」「長ズボン」。この時期ペルーは秋になる頃だというので、服装は上から羽織れる長袖は必要だろうな、念の為に長袖のTシャツもあった方がいいだろう、と考えて準備した。とは言えペルーは地域によって激しく気候が違う国なので、行く場所に合わせて服装も変えていかないといけないのですね。
 実際に私が行った頃(2004年4月21日〜5月1日)は、リマでは朝晩は涼しくても昼間の陽射しは強い。マチュピチュも朝晩は涼しいけど、昼間は晴れると眩しいし遺跡の中を歩いていると汗をかく。でもクスコは標高が高いだけあって、朝晩は長袖を重ね着しないと寒いし天気が悪いと昼間も寒い。重ねて着られる物を何枚か持って行った方がいいですよ。



2004年4月21日(水)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ポーター・チップ(荷物2個) US$1.00 112
 出発の飛行機は午後、というか夕方近く。飛行機の座席を指定したい(通路側切望!)自分達としては、ちょいと早めに空港へ到着していたい。それなら更に早めに成田に行って、空港でお昼ご飯を食べようか。そう言ってみーちゃんと京成の車内で待ち合わせをした。
 そんな私達のデジカメ写真は、成田空港で食べたごはんから始まるのでした(笑)。
 無事に2人して全ルート通路側の席をキープでき、まずヒューストンまで約10時間のフライト。3時間程の乗り継ぎ時間があって、そこからリマまで約6時間。ほぼ1日分移動に費やされてしまうんだから、南米ってやっぱ遠いよねー。
 到着したのは現地時間で4/21の夜中。イミグレを抜けて税関を………って、ペルーもメキシコと同じ税関方式だっ!! どーして、どーして? 中南米ってみんなこうなの? ほんとーにこんなんでいいのかっ、のボタン式。
1)税関申告書を記入する
2)税関職員に用紙を渡す
3)信号機みたいな機械についているボタンを押す
4)ランプが点灯して、青なら通過、赤なら荷物を開けさせられる

 メキシコだけかと思ったらペルーでもそうだったなんて。もしかしてこの方式って意外とポピュラーなの?
 前の人がやり方わからないのかワタついていたら、係員が
『日本人?』と聞いて来て、『そうだ』と言ったら私達はボタンも押さずにそのまま通過。って、ますますそんなんでいいんかーっ!?
 そんな税関を通り抜けると、すぐに客引きの大攻勢。いや、すごいすごい。予め旅行会社から
「真夜中にリマに到着すると客引きや出迎えの人達が出口に殺到しているので、到着日だけでも送迎を付けておいた方がいいと思いますよ」というようなアドバイスをもらっていたけど、ここまですごいとは。有無を言わせず話し掛けて来て、『いらない』っつってるのに一緒に歩きながらまだ話し掛けてくる。さっさと送迎の人見つけなきゃ〜。
 人込みの中からなんとか私の名前の書かれたプレートを見つけて、空港の建物の外へ連れ出してもらう。この人から旅行中の各種クーポンを貰い、真夜中のリマをホテルまで連れて行ってもらうのだ。
 日付けが変わる直前にホテルへと到着。明日はさっそくナスカ観光へ向かうので、こんなに遅く到着したのに翌朝もめっちゃ早く出発するのだ。チェックインの時に
『明日の朝は早く出発する』ってことと、『タクシーを呼んでおいてほしい』ことをお願いしなくちゃ。なんたって明日の朝は、自力で6時半までにバスターミナルへ到着していないといけない。このホテルからそのバスターミナルまでは車で15分程ってことなので、ということはホテル出発は6時すぎ? そんな早い時間って、朝食付き宿泊プランでもレストランやってなくて食べられないだろうなぁ…。そう思って機内で出された食べ物の中から、小分けになっていてお持ち帰りできそうなパンとかスナックとかをバッグに確保してきたのだよ。
『私達は明日の朝早く出発する。タクシーを6時に呼んでください』
『OK。モーニングコールはいる?』
『いえ、モーニングコールはいらないです』
『じゃあ朝食は何時?』
『えっ、朝食? えーっと、5時半って大丈夫?』
『オッケー。5時半だね』
 そんな早い時間に朝食出してくれるんだ。驚き〜。でも助かった。
 さぁっ。タクシーも頼んだし、明日に備えてさくっと寝るぞ!



2004年4月22日(木)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/ピローチップ2人分 US$1 112
タクシー/
  ホテル→バスターミナル
US$10 1,120
バス代/リマ→イカ
      (ロイヤルクラス)
35.00 1,126
雑貨屋/水720ml 1.00 32
入場料/ミラドール 1.00 32
絵葉書1枚 1.00 32
ホテル/プラネタリウム US$10 1,120
 朝5時起きで、5時半から朝ごはん。これって準備に時間がかからない私達ならでは?
 荷物を持って部屋を出て、朝ごはんを食べたらそのままチェックアウトをするのだ。こんな時間だから外はまだ暗いし、ロビーも食事をする所(レストランって感じではない。ロビーの脇に一段高くなった所にテーブルと椅子がいくつかあって、その奥が小さなキッチン)もまだ暗い(笑)。私達が行ったら明るくしてくれて、TVも付けてくれた。しかもTVはNHK衛星…。ここで日本語TVが見れるとは。リマって在住日本人多いみたいだしね。
 さくっと食べたら呼んでくれていたタクシーに乗り込んで、バスターミナルまで。乗る時に行き先を言って金額を確認したら、
『ディエス』っていうからてっきり10ソル(≒321円)なのかと思いきや…US$10(≒1120円)でした。ちょっと高いよーっ! 15分乗っただけでこの金額ってさ。と、みーちゃんと2人でぶーぶー言ってたんだけど、後日判明。どうやらホテルでタクシーを呼ぶと一律US$10になるみたいなのだった。別の日に空港まで行くんでホテルからタクシーを頼んだら、やっぱりUS$10。空港までは40〜50分かかるし、これはまぁ納得できる金額ではあるのだけど。それとバスターミナルまで15分が同じUS$10ってのはちょっと高すぎでしょ。ということで、ひとつ勉強になりました。
 ペルーのバスターミナルはバス会社毎・クラス毎に分かれているのがちょっと面倒くさいんだよね。私達が乗るのはオルメーニョというバス会社のロイヤルクラス。ロイヤルクラスってのは1等車みたいな感じかな。座席スペースは飛行機エコノミーよりゆったりだし、リクライニングも大きく倒れてフットレストもある。トレイもあるし飲み物も食べ物もだしてくれる。車内TVだって何個もあるぞ。でもこのTVがクセモノでね。主にアメリカのB級映画を流してくれるんだけど、イヤホンなんてないからイヤでも耳に入ってくるのだ。このバス事情はメキシコも同じだったんだけど、特に見ようと思わなくても音があるから気になってつい見ちゃって……ってことになってしまうのだよ。ちょっといいバスに乗って寝て行こうと考えてロイヤルクラスを選択するなら、耳栓は必須だね。
 そんなバスに揺られてパンアメリカン・ハイウェイを南下、車窓は右手に海を見ながら砂漠地帯を走り抜けて4時間弱かかって到着したのは、イカのリゾートホテルだった。まだ終点じゃないらしいんだけど、ここで殆どの人が降りていくので確認してみたら私達もここで降りるんじゃん(汗)。気付かなかったらもうちょい先まで行っちゃうトコだったよ…。ふと目が覚めたらなんかバスが建物の前で止まってるの。隣を見るとみーちゃんもまだ睡眠中で、私もここでは小休憩なのかと思ったんだよね。でも何人も荷物持って降りて行くし、念の為にみーちゃんを起こして出口まで言ってバスチケットを見せたら
『ここよ』って……。この後はイカの街のバスターミナルに行くみたいで数人はそのまま乗って行ったんだけど、降りれてよかった!(笑)
 降りると出迎えの人が何人もいる。その人達はガイドで、ここからナスカの地上絵観光っていうのが多いみたい。かく言う私達も、リマから往復のバス代込み1泊2日でナスカ地上絵と周辺観光ツアーに申し込んでいるのだ。私達のガイドは20代前半くらいの女性だった。宿泊はこのホテルなので、チェックインして部屋に荷物を置いたらさっそく出発! ナスカはここから更に車で2時間近くかかるのだった。
 しかし………暑い! リマとは陽射しが全然違うね。いや、リマを出て来たのは早朝だからってのもあるけど、服は半袖、サングラス必須、って感じだよ、これは。
 私達はセスナで空からの地上絵観光はしないと言ってツアーをアレンジしてもらったので、ここからは普通の乗用車に乗り換えて、まず「マリア・ライヘ博物館」へ。インカ時代の水路で小田蘭がサングラスを落としたりもしつつ(無事救出!)、子供が遊びながら番をしていた(笑)ゲートを通って丘の上からナスカラインを眺め(行きに子供にチケットを渡し、帰りに大人から返してもらってた)、昔の工法で土器を作っているお店に連れて行かれて見学をし(ツアーのお約束?)、途中で雑貨屋に寄って水を買う。そして帰りがけにパンアメリカン・ハイウェイの途中に立つミラドールから地上絵の一部を見学して、本日の観光は終了となるのだった。
 明るい時間にホテルに戻ってきたからには……。やっぱホテル内探検!でしょ。うわーっ、ホテルの敷地広〜い。緑いっぱいの敷地の中から外の砂漠が見えたりしておもしろい光景だなぁ。庭に白いリャマが放し飼い状態になってるし! 他にも檻の中にオウムウサギやカメがいる! プールやジム施設もあるし、プラネタリムまであるよ! すごいなぁ〜。
 一通りホテル内探検を済ませて、プラネタリウムのプログラムの時間に合わせて出かけてみよう。6:45〜が英語でナスカ・ラインについて、もうちょっと遅い時間からはスペイン語でやるみたい。そりゃあ多少でも分かる英語の方でしょ(笑)。ってか、行ってみたら私達しかいないし! 2人の貸切り状態で45分のプログラムを見ていたんだけどね、いや〜、クスコ(というニューエイジのグループがあるのです。ドイツのシンセサイザーグループ らしい)の音楽が眠りを誘うわ。うっかり寝てたら蚊に刺されたっ。かゆーい! でも痒み止め忘れた…。
 プラネタリウムの放映が終わると外で望遠鏡を覗かせてくれるらしかったんだけど、残念ながら曇っていて星空が見えず、そのまま夜ごはんを食べに行くことにした私達であった。
 やっぱね、朝早かったし、暑い陽射しの中を動いていたし、本日は早々にお布団へドボン。”本日は”というより、私達は旅行に出るとホント夜が早いんだよね(笑)。



2004年4月23日(金)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/ピローチップ2人分 US$1 112
ピスコ 1本 10.00 322
ピスコサワー 1本 7.00 225
マクドナルド セット 13.99 450
 今日はゆっくり朝ごはん♪ ガイドとの集合時間が10時ってことなので、8時になってからレストランへ行ってのんびり食べる。あ〜、旅行中のこういう朝食時間って至福だよね。コーヒーはまずいけど(笑)。(ごはんページ参照)
 本日の観光予定はイカの周辺ね。あれ? 今日はガイドもドライバーも昨日と違う人だ。しかも英語ガイドを頼んでいるはずなのに、今日の人は多少の日本語が話せるよ。こういうツアーって、連日同じ人がくるんじゃないのかなー。日本語と英語を織りまぜながらの説明は分かりやすかったから私達的には良かったんだけどね。
 しかし…。実はペルーってすごく変化に富んだ国だったのね。砂漠まであるなんて! マチュピチュやチチカカ湖のイメージが強くて、高地ばっかりだと思っていたけど全然違う! しかも砂漠も高地もまだまだペルーの一側面。ペルーの国土の半分はアマゾンのジャングルが占めているなんて知らなかったよ!
 ここでは砂漠を堪能。砂漠の砂ってすごいね。あんなに細かくてさらさらしているなんて。砂丘を登っていると、いつの間にやら靴下の中に砂が入り込んでいるんだもん。この時私が履いていた靴下は、薄手とは言え膝下まである長さだったのに、その布の隙間から入り込んでしまうとは。なんか足の指の間がざりざりする、と思ったら砂が入り込んでんの。ホテルの部屋で靴下を脱いで、バスルームで足を洗わないとさっぱりしないんだもん。ガイドは「砂漠のお土産」って言ってたけど、あんまり嬉しくないお土産だなぁ(笑)。
 オアシスは年々湖の水が少なくなったりして、何年か前は泳げたのに今では危ないから泳いじゃいけないとか。以前は賑わっていたんだろうに、今やすっかり寂れた感じ。これはこれで鄙びたいい雰囲気ではあるけどね。この湖の脇にあるホテルが、以前はリマからくるオルメーニョのバスの到着する所でもあったらしい(現在は今回私達が泊まったホテルがその役割を担っている)。
 そして、博物館ワイナリー。ワイナリーでめっちゃ可愛いワンコがいたのよーっ!
 ……で、ホテル到着。
 出発前にチェックアウトしちゃったから、バスの時間までだいぶあるのにロビーで待つのか〜…、と言ったらガイド氏がフロントに交渉してくれて、バスの時間まで部屋を使えるようにしてくれたのが有り難かったわ。おかげで「砂漠のお土産」を洗い落とすこともできたし。部屋に戻ったら既にしっかりベッドメイクも部屋掃除もしてあって、お掃除の人ごめんね、と思いつつ洗面所で足を洗い、ベッドにも転がってしまったので、朝も置いておいたけど一応再びピローチップを置いて、っと。
 バスの時間に合わせてロビーへ移動。15分ばかり遅れて来たバスに乗り込み、後はひらすら睡眠睡眠(笑)。やっぱ移動時間は睡眠時間でしょ。たっぷり寝てるだろ(昨日の夜から10時間くらい)、というツッコミはナシの方向でお願いします(笑)。
 そしてふと気が付くと周りの景色は一変、街中な雰囲気に早変わり〜。
「あ〜…。リマに来たんだ。もうちょいかな〜」と、ぼーっとした頭で窓の景色を眺めていたのだけれども。これがなかなか動かないのよ。渋滞か? と思いもしたんだけど、隣の斜線の車は動いてる。んん〜? と、隣にいるみーちゃんに聞いてみると、このバスが停車してから数メートル先にある信号が3回は変わっているという話だ。何事だろう。
 そう思っていると、食べ物とかドリンクとか運んでくれた人がやってきてスペイン語でなにやら言いだした。
 スペイン語〜〜〜っ?! 英語ならまだなんとか聞き取れるけど、スペイン語は単語がいくつか分かるくらいなんだよ。スペイン語で説明されても分からないよーーーっ。
 有り難くもイカのホテルから一緒に乗っていたおじさん達が英語で説明してくれたから助かったけど、どうやらこのバスはトラブルで動かなくなってしまったらしい。しばらく待ってくれと言っているようだ。
 そんなことをスペイン語で言っていたらしく、それを聞いた人達がゾロゾロとバスを降りていった。地元の人達も多く乗っていたみたいで、勝手知ったる人達はさっさとタクシーを拾ったり歩いてみたり、自分の目的地へ自力で向かうようなのだった。でも私達は地の利がないからね。ここがどの辺りなのかさっぱり分からない。バスターミナルまで近いのかどうかさえ分からない。バスターミナルの近くには大きなビルがあって、インターバンク(銀行)の看板がビルの上から横にでっぱっていたんだけど、ここからはそれも見えないしね。
 仕方がないので数人の人達とバスの中でぼーっと待つ。到着時間に合わせてツアーアレンジ会社の人(昨日バスに乗る時手続してくれた人)が待っててくれてるんだけどな。有り難いことに、バスターミナルから私達が泊まるホテルまでサービスで送ってくれることになってるのよ。バスが遅れてる状況は伝わってるだろうけど、早く到着してくれるにこしたことはない。どうすんだろ。
 バスが止まって20分程した頃かな。最初に説明してくれた助手の兄ちゃんがやってきて言うことには、タクシーを呼ぶからそれに乗ってターミナルまで行ってもらうということになったらしい。そんでタクシーを待っていたら、その前にバス会社のトラックが到着した。トラブった部品を交換したのか直したのか、やっと回復。動いたよーっ。よかった。30分程度の遅れでバスターミナル到着。なんだ、そんなに遠い場所で止まってたんじゃないんだ。15分くらいで着いちゃった(笑)。
 出迎えてくれたおじちゃんと
『おー、やっと着いたか』とかなんとか雰囲気で会話しつつ、彼の運転する車に乗り換えてホテルへ送ってもらう。
 今日のホテルも初日に泊まったホテルと同じ。
 チェックインの為にフロントへ行くと、私達にFAXが届いているという。ミッキーツアーの担当さんからで、明日のクスコ行きの飛行機の時間が変更になったという連絡だった。時間変更というか、便変更かな。でも本当、今回は旅行会社のこういうきめ細かい対応が助かったのよ。チケットを頼んだりすると、受け渡しが終わったらそのままってこととかあるからさ。変更になってもそれは確認しなかった方の責任だってね。まぁ実際そうではあるんだけど、こうやって旅行中でもその都度連絡をくれる対応が本当に心強かったし、安心して旅行ができて嬉しかったのだ。
 夜ご飯はリマの新市街・ミラフローレスまで行ってみようということで、出掛けにフロントで聞いてみるとミラフローレスまでは歩いて15分〜20分くらいらしい。某”歩き方”にこのホテルの紹介はないし、住所や通りの名前から探してみても地図上に見当たらない。で、フロントの人に”歩き方”からコピーした地図を見せて
、『このホテルはこの地図でいうとどの辺り?』と聞いてみた。『う〜ん…、この辺りかな』と地図の端の方に書き込んでくれたのを見て、しゅっぱ〜つ。
 う…う〜ん………?
 ホテル前の比較的大きな通りを示された方向に歩いていくんだけど、その道と左右に交差する道の名前がさっぱり地図に書かれてないぞ。通りと道が交差する所にはそれぞれ通りの名前が書いてあるんだけど、10分近く歩いても地図上に書かれている名前のついた道が出てこないよ。ホテル前の通りの名前は合ってるし、方向もこれでいいはずなんだけどなぁ。
 更に5〜6分。。。。。あった! やっと出て来たよ、地図に乗ってる道の名前! でもここまで15分かぁ。それじゃあフロントの兄ちゃんが印つけてくれた所よりもっと奥だな、あのホテル。・・・ってことは、この詳細地図からはだいぶはみ出た位置にあるってことじゃんか(笑)。まぁ、私達にしてみたら充分歩ける範囲内だから問題はないけどね。それに歩いていて大形スーパーも見つけちゃったし。これはあとでいかなくちゃ。
 それにしてもこの通り、車通りが多いわ〜。バスはガンガン走っているし、タクシーや、タクシーなんだろうけど外側からはそうとは分からない乗用車とか(ホテルから呼ぶタクシーはタクシーらしくない)、歩いていると声かけながら走り去っていくもんね。しかしさぁ、歩いている方向からこっちに向かって走ってくるバスに
『●●行きだよ、乗らないか乗らないか』ってな雰囲気で声かけられても、私達は逆方向に歩いてるんだっつーの(笑)。こぢんまりしていいホテルなんだけど、通り沿いの部屋だと夜中でもトラックなのか車が行き来しているのが聞こえたてちょっと難点かも。
 さぁ! 明日はいよいよクスコへ移動!



2004年4月24日(土)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
ホテル/ピローチップ2人分 US$1 112
タクシー/
  ホテル→バスターミナル
US$10 1,120
空港/
  国内線利用料(US$5.04)
17.64 567
 昨届いた旅行会社からのFAXで、当初の予定より出発が1時間遅くなることが分かった。と、いうことは、ホテルを出る時間も少しゆっくりめ。ラッキー♪ ゆっくり朝ごはんが食べられるぞ。
 ナスカへ行った時と同じく荷物を持って朝食を済ませ、そのままタクシーに乗って空港へ。国際線と国内線が隣り合って並んでいて、一国の首都の空港と言えども全体的にそれほど大きくないから分かりやすい。チェックインして出国手続のゲートを通る前に、その脇のカウンターで出国税を支払ってシールを貼ってもらう。ゲートの所に職員がいて確認されるのだけど、私達はどこで出国税を払うのかが分からずにそのまま行こうとして止められてしまった(汗)。慌てて戻って支払う私達ってば……。
 クスコ行きの飛行機は有視界飛行に限られているとかで、午前中しか飛行機が離発着しないんだそうだ。う〜ん…。なんとなく分かるなぁ。クスコに近付くにつれて高い山々のすぐ上を飛んでいるのが分かるのよ。窓から下を見ていると、雲と山と空が絶妙なバランスで視界に入ってくるの。山肌にクネクネと曲がりくねって見える細い線はもしかして道路?ってなことを考えちゃうくらい。たぶん本当にあれは道路だったんだろうな。何日か後に私達もそんな道を走ったもん。
 クスコの空港は小さくて、バゲッジクレイムも2つ。でも回ってるのは1つ(笑)。その脇では民俗衣装を着た人達がフォルクローレを演奏していた。え? ここって飛行機を利用する人しか入れないような所じゃないの? そりゃ旅行会社やホテルのブースはあるけどさ。ってことはこのフォルクローレのグループは空港施設公認?
 そして、この空気にハマリすぎる程ピッタリくる演奏を聞きながら荷物が出てくるのを待っている時に(何故かみーちゃんの荷物だけ飛行機に乗る直前に預けさせられてしまったのだ)、なんだかじわじわと空気が薄いんだって実感してきた。なんとなく息苦しく感じるのは気のせい?気のせい? いやでも実際に富士山頂と同じくらいの標高なんだから、息苦しいのも気のせいじゃないよね? などと逡巡しつつ荷物を待つ小田蘭なのだった。
 そして空港建物の外にでると…………。
 世界が違う!!
 なんだろう、この空気は。確かに空気が薄い感じはする。標高が高いんだからそれはそうだろう。でも、いくら「富士山と同じ高さ」と頭で認識していても、山の頂上と都市では景色だって違うじゃない。当たり前なんだけど。でね、何気ない空港の前の広場なんだけど、この景色を見たら「うん、3000mの高地なんだ」って、スッと感覚で納得した。

 はい。ではここで、小田蘭のカンタン高山病対策講座(笑)。
※行動はゆっくり
   (走ったりしない)
※アルコールは控える
   (酔いがまわりやすい)
※お腹いっぱい食べない
   (消化活動が活発になると酸素を運んでくれる血液が胃に集中し、酸欠状態になりやすい)
※水は沢山とる
   (炭酸以外の清涼飲料)
※固形物よりキャンディーやキャラメルで血糖値をあげる
   (固形物は消化活動を活発化させる)
※到着日はとにかくあまり動かない
   (高山病は高地到着1〜2日後になることが多く、初日に動き回ると発症率が高くなる)
※頭痛・吐き気・腹部膨満感・等々、症状が酷い時は無理せず低地へ移動する
   (最悪のケースもありえる)


 こんなところ(↑)かしらん。私なんかはとにかく歩き回ってしまうタイプなんだけど、そういうのが高山病を呼ぶ要因らしい。とにかくゆったりとした行動。歩く速度もゆっくり。宿についたらまずベッドにゴロリ。できればそのまま初日は寝てしまえばいいらしいのだけど、ガイド付きの現地ツアーを予約しているのでそうもいかない。空港からホテルまで連れていってもらったら、約2時間の休憩の後さっそく観光に行くことになっているのだ。
 だからこの2時間は何もせず部屋でのんびりしていた方がいい。そうは思っていてもホテルが綺麗だったんだもん。部屋に入ってみーちゃんがベッドに転がっている側で、
「ねーねー、ちょっとホテルの中歩いてくるー」と言って出て行く私がいたよ(だからそれがヤバイんだって(笑))。だって本当は泊まるのはこのホテルではなかったのだ。同じ経営のホテルの「1」と「2」があって、私達は安い方の「1」に泊まることにしていたんだけど、ちょうどこの時期改築工事をしていて「1」と同じ金額で「2」に泊まれるようになったのよ。ラッキー♪ そんなこともあって、ここがすごく可愛い綺麗なホテルだったもんだから思わずはしゃいでしまったのね。部屋を出て、階段を降りて……で、すぐ部屋に戻る(笑)。到着日は静かにしてないと高山病になっちゃうかも!と思い直したんだよ。ホテル探検はここに泊まる最後の日でもいいや。
 ということで、2人してガイドさんとの待ち合わせまでベッドに横になって静かにすごしましたとさ。
 それにしてもクスコは標高が高いこともあって気温が低かった。リマやナスカは半袖じゃないと暑かったのに、クスコにきたらそんな格好とってもムリっ。まぁ、この日はあんまり天気が良くなかったというのもあるんだけど、半袖Tシャツの上に長袖を着て、更にその上から長袖のパーカーを着る。それでもちょっと寒いくらい。気温の変化が激しいわ〜。
 しっかり着込んでガイド氏と合流して、さっそく観光へ出発。今日は近場をまわるのだ。コリカンチャサクサイワマンプカ・プカラタンボ・マチャイケンコー12角の石、を巡ってふらふらと街歩き。
 そして早めに夕食と睡眠。高山病対策は早く寝るに限る。
 え? ただでさえ私達は早く寝てるだろって? ごもっともでございます。。。。
 ご飯を食べたらみーちゃんはそのままベッドへ。小田蘭はシャワーを浴びて、旅メモ(蘭メモと言われたことがある。小田の旅のメモだから)を書いてから寝ようとしたんだけど、バスルームから出て来たらなんだかフォルクローレが聞こえてくるじゃない。こ…これはもしや! 急いでパジャマの上にいろいろ着込んでカメラを持って部屋の外へ出る。そしたらやっぱり。廊下に面した中庭のレストランで、食事中の団体さんに向かって演奏している3人が見えた。そして、上から眺めると入口近くのあのインカオブジェに火が点っているじゃあないの。思わず下に降りていって写真撮っちゃったよーん♪ その団体客は日本人だったので、私が暖炉を撮りに降りていったのを見て不思議〜な顔をしていた人が何人かいたけどね。「あれ? 日本人? 一人で?」みたいな雰囲気が伝わってきたよ。
 あ〜。でも暖炉に火が点った所も見れたし、日本人団体客のおかげでフォルクローレも堪能できたし、ラッキーでございました。私は5分くらいで部屋に戻っちゃったけど、部屋が中庭に面しているから中にいてもよく音が聞こえてくるんだよ。彼等は1時間近く演奏してたかも。



2004年4月25日(日)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
パン屋/パン1つ 1.00 32
スーパー/水750ml 1.20 39
お土産屋/絵葉書1枚 1.00 32
夕食 27.00 869
 それは突然やってきた。
 草木も眠る丑三つ時。そう言われる頃、それは突然小田蘭に襲い掛かってきた。
 寝返りを打って意識が薄く戻りかけたところをガツンとやられる。
 高山病だ。
 トイレに起きると頭が重い。水を飲んで横になるとさっきよりももっと酷い頭痛が襲ってきた。頭を締め付けられるような、押さえ付けられるような、鈍い痛みが絶え間なく続く。
 ヤバイヤバイヤバイ! 頭が痛いよーっ!
 ベッドの中で転がること1時間ばかり。なんとか寝付いて夜が明ける。
 ところがどうだろう。朝起きてみるとその痛みはどこかに消えていた。多少頭が重い感じはするけれど、数時間前に感じたような痛みはどこかへ行ってしまったではないか。

 そんな訳で、真夜中過ぎの1時間が小田蘭にとっては高山病のピークだったみたい。クスコにいた間は、この魔の1時間をやりすごせば後は平気だったもんね。高山病って本当に人それぞれなんだなー。
 ってことで、7時頃に目が覚めたら平気だったので、さっそく一人で朝散歩♪ やっぱこれだよね。朝の空気って好き。でも今日は今にも雨が降りそうな空で気温もすごく低い。吐く息が少し白くなるって、10℃は切ってるよねぇ…。
 まずアルマス広場に向かって、そこから更に12角の石のある方へ歩く。朝の寒い静けさの中こんな場所を歩いているとさ、本当にこのまま次の角を曲がったら違う世界に迷い込んでても不思議じゃないって思えてくるんだよね。あの角を右に曲がったらインカの時代に………。
 ってなことはなく(あたりまえ)、普通にひと回りして帰ってきたよん(笑)。
 のんびり朝食を食べたらロビー集合で、本日は「聖なる谷めぐり」。所々展望のいい所で車を止めて景色を眺望しつつピサックの市場へ行くのだけど、展望場所には観光客用にお土産物を広げている人達がいる訳で。まぁ、子供やリャマなんかの動物もいたりして可愛いんだけど、彼等を写真を撮るならチップが必要だからそこはきちんと気を付けて。こういう場所では撮り逃げはイケマセン。あー、でもタライの展望場所にいたリャマの子供、可愛かったなぁ….チップ渡して写真撮らせてもらえばよかったとちょっと後悔したですよ。
 ピサック市場ではパン屋パンを1つ食べた後、一通りガイド氏と一緒に回ってから解散。パン屋の前での集合時間を決めてふらふら歩く。
 今回クスコでついてくれたガイド氏は数年日本にいたこともあり、写真が趣味なんだとか。私達と一緒にカメラを持って歩いて時々パシャリと撮っていたんだよね。市場でも一緒に歩いて撮っていたから、私もお土産が並んでいる所が撮りやすくて助かったわ〜(笑)。
 さて。ガイド氏と分かれてまず私達が向かったのは、さっき歩いていて気になったセーターを売っているお店。さっそく値段を聞いて交渉開始だ!
『これいくら?』『●ソル』『ふーん…、もっと下がらない?』『じゃあ●ソルね』『う〜ん……。じゃあドルだといくら?』『●ドル』『う〜ん……。●ソルにならない?』『それはムリよ。●ソルでは?』『●ソル。ね?』『●ソル』『●ソル』『ふぅ。いいわ、じゃあ●ソルで』『ありがと〜♪』
 双方歩み寄りの結果、お買い上げとなりました(笑)。いや、ていうか、買うのはみーちゃんなのに主に私が値段交渉しちゃったよ(汗)。その後、私もお土産にするのにいいものを見つけたので交渉して購入。最近やっとこういう交渉が面白くなってきたんだよね〜。前は全然ダメだったんだけどさ。私はこの駆引ってやつが苦手でね。旅行歴10年にしてやっと慣れてきたかな(笑)。
 お昼は昔のお屋敷をレストランにしたっような場所ランチ・ビュッフェ。私達が到着した頃はお客が誰もいなかったのに、1回2回と取りに行くうちにあっという間に席が埋まり、お隣は日本人の団体だ〜。日本からのツアコンも一緒で、メンバーはおじさま&おばさまが殆ど。その中の私達のテ−ブル寄りに座っていた一人が、高山病で頭が痛くて食欲があまりないらしい(もれ聞こえてきた)。それにツアコンのお姉ちゃんが
「日本の普通の頭痛薬でも効きますから…」なんて言っていたのを聞いて、「ねぇ、みーちゃん。高山病って普通の日本の頭痛薬でもいいみたいよ」「そうなんだ」「うん、隣の団体さんのツアコンが言ってた。あのおじさんも高山病っぽいみたい。荷物の中に薬あるから、持ってたらあげるトコなんだけどなー」「あ、私持ってるよ」ってことで、みーちゃんがそのおじさまに頭痛薬を進呈する。ツアコンのお姉ちゃんにも感謝されて、「どちらかのツアコンの方ですか?」って言われちゃったよ(笑)。違います〜。単なる個人旅行者です。日本からのツアコンがお客さん達と離れて、現地ガイド&ドライバーと一緒に食事してる風にでも見られたかな?
 食事の後は移動してオリャンタイタンボの遺跡へと向かう。遺跡の脇にある村を歩いて飲み屋とか案内してくれて…。ってか、ここ絶対観光コースじゃないでしょ。普通の家がチチャ(紫トウモロコシのお酒)を作って余った分を飲ませているんだ、と言って案内してくれたのは、裸電球ひとつで昼なのに薄暗いちょっとジメっとした土壁に藁葺屋根の家。いいんかな、こんなとこ私達が入っちゃって……ってな所だったんだよ〜。その家の人達が普通にいて、その中をお邪魔させてもらうのって、なんかあんまり居心地がよろしくない…(汗)。
 この村の端からオリャンタイタンボを見ると、遺跡の全体像がリャマが荷物を運んでいるように見えるのだ。写真で分かるかなー。
 遺跡見学が終わると、ガイド氏も私達もうとうとしながらクスコまで戻って解散。暗くなったクスコの中心って、すっごく綺麗! アスマル広場なんか特に、灯りが灯ると幻想的なんだよねー。治安が悪いという話もあったので、荷物は肌身はなさず、でもそこまで緊張することもなく、ごはんを食べて帰ってきたよ。「ペルーは治安が…」という話を旅仲間から聞いたりしたし、数年前に発行された本を呼んでいると怖い話が書いてあったりもしたけど、自分ではそんな感じはほとんどなかったな。
 *宿のランクは日本から予約できる中級クラス。
 *中心からあまり外れた場所や、治安の面で心配な地域(リマの旧市街とか)には泊まらない。
 *夜遅くには出歩かない(夕食を食べに出る程度)

 という程度の注意をしていただけだけど、怖い思いをしたことはなかったです。


 2004年4月26日(日)以降、続きはこちら