まふぃ〜・むしけら

シリア&ヨルダン
2000年10月6日(金)〜19日(木)

last up date/2003.10.26


出発前

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
シリア・アラブ共和国ビザ代金(マルチ) - 5,000
BA:マイレージ無料往復航空券
(成田⇔ロンドン)
- -
BA:往復航空券
(ロンドン⇔ダマスカス)
- 73,610
 はいじさん(旅仲間)が留学しているうちにシリアへ!
 9月に桂さんが旅立ち、その後けいさんも出発。そしていよいよ、小田蘭もシリアへ向けて出発するのだ。
 メールという便利なコミュニケーションツールを駆使し(?)、現地にいるはいじさんと連絡を取りつつ、小田蘭のシリア到着日には先に現地入りしているけいさんと一緒に空港まで迎えにきてもらう話がまとまった。寝袋を担いだ小田蘭を・・・(笑)。
 実ははいじさんがこの時住んでいたのはダマスカスの旧市街。狭い入り口を入ると中庭があり、その中庭を囲むように部屋が位置している昔ながらの作りの住居でした。昔ながらの住居……ってことは、つまりは古いのよね。夏の間はまだ良かったけれど(それでもめちゃくちゃ暑いシリアの夏をエアコンもない部屋で過ごすのは尋常ではなかったそうだ)、季節が秋を向かえてこれから冬になる時期になると隙間風で凍えてしまう危険性があったとかなんとか。それで急遽はいじさんは実家に救援を求めたのだ。「寝袋が欲しい!」と。そうしてちょうどその頃出発の準備をしていた小田蘭が運び屋となり、寝袋を空路シリアへと持ち込んだのでした。宅配便で小田蘭宅に届いた寝袋と一緒に入っていた狭山茶は美味しく戴きました。ありがとうはいじさんのお母さん(笑)。

 さてそんなこんなでシリアのビザを取り、そこまで行ったら隣りの国にはペトラの遺跡!とヨルダンのビザも取った。
 そうして出発数日前。これが最終のメール確認かな? とはいじさんとやりとりをしていたら大きな勘違い判明。な〜んと、はいじさんと小田蘭との間でダマスカス到着日の認識が1日ズレていたのです! 小田蘭の到着は10月7日。しかし、はいじさんは10月6日に到着するものだと認識していたらしいです。10月6日は日本を出発する日だよ〜。時差ってめんどい…。あやうく空港で一人寂しく待ちぼうけになるところでした。なんとか到着日の認識を一致させることができて良かった〜。
 さぁ、出発!



2000年10月6日(金)

明細(一部抜粋) £ 円貨
ヒースロー空港/インターネット接続10分単位 £1.00 224
 日本からシリアまでは直行便なんてなくて、必ずどこかで乗り継ぎしないといけないのです。安さを求めるならなんと言ってもロシアの航空会社「アエロフロート」でモスクワ経由なんだろうけど、私は時間優先で選んだから「ブリティッシュ・エアライン」のロンドン経由に決定。限られた休暇の中でのシリア&ヨルダン訪問なもんだから、乗り継ぎ地で1泊とかしたくなかったの。ロンドン経由のBAなら、乗り継ぎ地のヒースロー空港での待ち時間が数時間でシリアまで到着できる。往路はロンドンで4時間半の待ちだけど、成田→ロンドン便が多少遅れて到着してもこれなら十分間に合うしね。
 BAは成田での離発着が第一ターミナルでした。そういえば第一が新しくなってからここ使うのって初めてだわ。確か最初の香港に行った時以来…? うわ、そんなか。なんかもう改装前の第一なんて覚えてないよー。
 とりあえず表示に沿ってBAのチェックインカウンターに並び、はいじさんへの救援物資「寝袋」を荷物室に預け、自分の荷物は手荷物で機内へ持ち込むべく手続きをする。これで寝袋は係員の手でシリアまで運び入れてくれるのね。あとはダマスカスのバゲッジ・クレイムで受け取ればオッケーだ。



2000年10月7日(土)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
入場料/アゼム・パレス 300.00 795
サボテンの実 1個 10.00 27
ベール代/ウマイヤド・モスク 50.00 133
スーク/アイスクリーム 1個 25.00 66
昼食/チキン(半羽)、他 90.00 239
 A.M.3:30、飛行機がアレッポに着陸する。
 こんな時間に到着しちゃうなんてすごいなぁ。世界には24時間動いている空港って多いのね。まだ真っ暗だよ。
 あ、そういえば。機内食食べた後眠っててエントリー・カード貰わなかったなぁ。アレッポで降りる人もいるんだし、その前にきっとシリア入国の書類配ってるよね。客室乗務員に言って貰わなきゃ。
「あのー…、シリアのエントリー・カードを貰えますか?」「イミグレーションで貰ってください」・・・って、え? そうなの? 今まで国際線の飛行機に乗ってると、いつも機内で配ってたけどなぁ。あれ〜?
 アレッポを出発して、この飛行機の目的地で小田蘭の目的地でもあるダマスカスへ向かう間に夜が明ける。地平線に横いっぱい、大地のきわからオレンジ色に夜が明けていく。しばらくその光景に目と心を奪われていると、あっというまにダマスカスに到着した。

 一国の首都にある国際空港とはとても思えないようなこぢんまりとしたイミグレーション。到着した人たち皆ここに置いてある入国書類を勝手に取って記入してるなぁ。そういうトコもあるのね。
 さーって、イミグレーション抜けて税関も問題なし。はいじさんとけいさんはいるかなー? でもちょっと到着早かったみたい。はいじさんが迎えに来るって言ってた時間より早めに着いちゃったから、しばらく待つこと1時間。早朝だってこともあるんだろうけど、やっぱりなんか閑散とした雰囲気の拭えない空港だなー。
「いたー! 蘭さん! 久し振り〜〜〜〜!」
「わ〜〜〜〜♪ はいじさん、久し振り〜〜〜! けいさんもお出迎えありがとー」
 無事に会えました。よかった(笑)。
 はいじさんの案内でエアポートバスに乗って、まずははいじさんの下宿に荷物を置かせてもらいに行く。うーん、空港の周辺って、まさに荒野。
「ねー、ホントにこの辺なんにもないでしょ。一国の首都の国際空港だってのにね。でもシリアに唯一エレベーターがある場所ってのがあの空港なんだから、こういうトコなのよー。でもそんなトコも好きなんだけどね」
 建物がだんだん多くなってきて、旧市街に入ったあたりでバスを降りてタクシーに乗り換え。おおおお! はいじさんカッコイイ! アラビア語でタクシーの値段交渉してるっ。頼もしいっ。
 旧市街のキリスト教地区がはいじさんの下宿がある所。ある程度近くまでタクシーに乗って、車が入れない狭い路地の入り口からは歩いていく。本当、人が1人2人すれ違えるかどうか、ってくらいの道幅しかないの。石造りの壁が高く道の両脇にそそり立っている感じ。その石壁の途中に扉があって、それが家への入り口となるのね。うわー、これってもう何千年も昔から変わらない風景なんだよね、迷路のような旧市街の壁に囲まれた道を歩いているうちに時間まで遡っていきそう。すごい、うっとり!
 はいじさんは今日これから学校で、お昼には終わるから一緒に昼食を食べようと待ち合わせを決めて、私達は市内散策に出るのだー。
 まず、アゼム・パレス。それからサラディン廟ウマイヤド・モスク。スーク(市場)を歩いて美味しそうなアイスを食べたり、タオルを買ったり(高級ホテルに泊まるわけじゃないからタオルなんてない所が多いのよ)。
 13時にウマイヤド・モスクの入口広場(スーク・ハミディーエの始まるあたり)ではいじさんと待ち合わせ、店先でぐるぐる鶏を炙っているお店に入って食べる食べる(笑)。美味しいものを食べてる時って、言葉少なになっちゃうよね。
 その後ははいじさんの案内で知合いがやっているというパレスチナ刺繍のお店を見て、中庭のあるカフェでお茶。こっちの古い家の作りって、道の両脇にある壁に入口があるだけで、中庭がどんなに広くても綺麗でも外からだとさっぱり分からないんだよね。だからこそ中に入ってみると驚きがあるんだけどさ。楽しいよー♪
 夜は英語学校にも通っているはいじさん。夕方に一度荷物を取りに戻って、小田蘭とけいさんはこれから本日の宿探しに向かいます。一応「歩き方」でアタリをつけていた宿へ行ってみようと、はいじさんにその近くまでタクシーの値段交渉をしてもらい、けいさんと2人で乗り込んで、本日はいじさんとはここでお別れ。はいじさ〜ん、また明日のお昼にね。
 さて。目的のホテルは安宿ながらさすが旅人に人気なだけあって既に満室。シングル1つとドミトリーに1人分なら空きがあるって言われたけど、2人で泊まれる所を探して他をあたってみようと周辺の安宿めぐりへ出発。うーん、隣りの宿も4人部屋しかあいてないって? 他に探してみた所は、ロビーの脇で従業員だか宿泊客だか分からない兄ちゃんが転がってるし、その脇の部屋だって言うし、その部屋は暗いし、全体的な雰囲気がよろしくなかったのでパス。
 結局ちょいランクを上げて、マルジェ広場の脇にある「歩き方」でいう所の中級ホテルに部屋を確保することができました。
 荷物持っての部屋探しと早朝に到着してからずっと動きっぱなしだったのもあってか、部屋に入ってシャワーを浴びたら、荷物を散らかしたままあっというまに爆睡してしまいました。一応夜ご飯を食べに行こうと思って目覚ましは19:00にセットしていたんだけど、そんなの気づかないうちに止めちゃってたみたい。
 ごめん、けいさん。夜ごはん食べに行けなかった・・・。



2000年10月8日(日)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
日本へエアメイル1通 11.00 29
入場料/
 ダマスカス国立博物館
300.00 795
ジュース屋/レモンジュース 15.00 40
セルビス/
 ダマスカス→セドナイヤ
13.00 34
夕食(一人あたり) 50.00 133
 気がつけばA.M.7:00。
 一度も目覚めずにここまで眠れるとは、相当眠かったんだろうなぁ。けいさんも私が眠ってしまった後割とすぐに眠ったそうで、お互いひとまずここで移動の疲れをリセットって感じかしらん。
 けいさんがなんとなく風邪ぎみかも・・・と言っていて、体調がまだイマイチだからもう暫く寝てることになり、小田蘭は一人で街歩きに出かける。
 この頃は実家住まいだったし、パレスチナ問題が起こっているシリアに旅行、ってこともあって親から
「どこかで一度くらい連絡しなさい」と言われていたから、家に電話しようとするんだけどうまくいかないんだよねー。電話局に行って「電話したい」っていうと「外でかけろ」って言われるし、でも外の公衆電話は何度やっても繋がらないし。
 なんかシリアの電話ってダメだったわ〜。この後も何度チャレンジしてもダメだったしさ。けいさん曰く
「シリアの電話事情良くなったよ。前は電話するのに電話局行って半日待ってやっと電話できるって状況だったもん」って言ってたけどね。それに比べたら良くなってるんだろうけど、私はシリアで電話できなかったもん。公衆電話ではみんな電話してるんだけどね。見つけた公衆電話には殆どおやじ達が電話してて、それが終わるのを待って電話かけてみても繋がらなかったりして。「なんでだーーー!」
 もう電話はいいや、と諦めて次へ向かおう。
 ヒジャーズ駅を見てから郵便局へ。ロンドン乗り継ぎの時に書いていたエアメイルを出すのだ。そして次は博物館。午前中かけて見学したら、待ち合わせの前に
リコンファーム(*1)をしなくっちゃ。個人旅行はこれが面倒なんだよねー。しなくていい航空会社も増えてきているけど、この時のBAは確か必要だったと思うのだ。電話で英語でやりとりなんてやりたくないしできないから、オフィスに直接出向いてチケット渡してやってもらうのですよ。それが一番簡単だもん。でもそれもオフィスがないと出来ないことだから、大体大都市にいる時にオフィスを探して済ませておかないと。今回は博物館から歩いていける範囲にBAのオフィスがあってラッキー。
 はいじさんの学校が終わる頃に博物館前で待ち合わせして、ここでけいさんとも合流してお昼ごはん♪
 お昼を注文して待ってる時に、はいじさんが大銭(大きい金額の紙幣のことね(笑))を使いやすい金額の小額紙幣やコインに両替する為に近くの銀行に行ってくれたんだけど、戻ってきたはいじさんが取り出したものは・・・・・・。帰ってくるの遅いなぁと思っていたら、銀行の中でたらい回しにされたあげくに10S£(シリアポンド。こう表記させてもらいます)を100枚と5S£を100枚にされたって。かばんの中からどっさりと小銭が出てきた時にはアナタ。100S£札とか50S£札とかも混ぜてよー。そりゃ確かに小銭にはなったけどね。はいじさん、お世話かけました。
 のんびり昼食が終わったら、
セルビス(*2)を拾ってセドナイヤへ行く。
 丘の上の教会からの眺望はとっても気持ちのいいものでした。はー、絶景かな絶景かな。小さな教会ではタイミングよく結婚式があるというので、しばらく待って花嫁が到着して中に入るまでの様子を教会の上から見学させてもらいました。花嫁さんキレー! 子供たちかわい〜♪ おやじ達ってばお茶目・・・・・・(笑)。
 すっかり日が暮れた頃にセルビスで戻ってきて、はいじさんがいつも利用しているネットカフェでしばし通信。自分の掲示板やネット友達の掲示板にカキコミをした後、夜ごはんを食べて本日終了!

(*1)リコンファーム
予約の再確認。チケットを取って最初に乗る飛行機の次の便から必要(つまり、日本出発時の便については必要なし)。飛行機に乗る72時間前までに利用航空会社に予約便の再確認をする。これをしておかないと予約を取り消されても文句は言えないし、オーバーブッキングになる可能性が高い。最近はリコンファームの必要がない航空会社も増えているので、出発前に要確認。
(*2)セルビス
公共の車。ワゴン車のことが多く、バスの小型版という感じで一定のルートを走っている。バスより小回りが利き、タクシーより安い。しかしルートが分からなければ乗れないので、通りすがりの旅行者が利用するのはちょっと難しいかも。



2000年10月9日(月)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
ホテル代(10/7-8の2泊、2人分) US$33.00 3,680
ザクロジュース 35.00 81
セルビス/
  →ガラージュ・ハラスター
5.00 12
バス/ダマスカス→パルミラ 110.00 256
夕食(2人分) 325.00 756
 外で朝ごはんを食べた後、切手を買いに郵便局まで行く。そしたらそこで学生のデモ行進にあっちゃったよ(汗)。そんなに大人数じゃなかったけれど、これってもししかして、今のイスラエル・パレスチナ関係のデモなのかなー。ああびっくりした。
 今日は移動日。これからパルミラの遺跡があるタドモールという街までいくのだ。
 ホテルに戻ってきたらチェックアウトして、セルビスを捕まえてタドモール行きのバスが出ている「ガラージュ・ハラスター」まで移動する。「ガラージュ」ってのがバスターミナルって意味で、「ハラスター」ってのはバスターミナルの名前というか地名というか。
 でもね、このガラージュ・ハラスターへ行くまでが、なかなか大変だったのよ。
 昨日はいじさんに
「緑地に白で文字書いてあるプレートがガラージュ・ハラスターへ行くセルビスだから」って聞いてはいたんだけど、やっぱり乗るときには確認しないと不安でしょ。だから乗り込む前に「ガラージュ・ハラスター?」って聞くんだけど、そんな悠長に聞いてたらセルビスなんて乗れないの! セルビスがやってきたら皆すごい勢いで乗り込んでいくんだもん。やってくるセルビスもいっぱいいっぱいに人乗ってるのに、その人の乗り降りが凄まじいったらないわ。TVで見る戦後の電車に乗り込むみたいな感じって言えば分かるかなー。言葉のハンデと大きなリュックが邪魔して、ホント乗り込むのに一苦労。セルビス乗り場を1つ2つ移動して変えてみて、やっと乗り込むことができました。
 そしたら今度はガラージュでの客引きがすごいったら。
 セルビスを降りた途端にわらわらと、
「どこに行くんだ」「●●はこっちだ」ええーい、うっとうしい! 「私らはパルミラに行きたいんだ」と行って最初に声掛けてきた兄ちゃんについて、そのバス会社の受付まで行くと、今度はお姉ちゃんから「出発は11:30よ」と言われてしまう。待つこと1時間。時間になってもバス来ないじゃん、とけいさんとぶちぶち言っていたら、今度はまた別なおっちゃんに案内されてやっとバスに乗り込む。「出発は11:30」? それってバスがターミナルに入ってくる時間だったの? 結局バスが発車したのは12:00でした(笑)。
 途中砂漠の真ん中で30分休憩があったりして、本当にこのバスは3時間でパルミラに到着するのか不安になったりしたわよ。無事に15:30には到着したけどね。ホントは日本みたいに電車やバスの運行時間が正確な国の方が珍しいんだよね。
 到着したらまずはホテル探し。
 パルミラの遺跡の中(と言ってもちょい脇だけど)に唯一建っている「ゼノビア・ホテル」に泊まってみたかったんだけど、行ってみたら満室だって言われちゃった。残念。次にアタリをつけていた「パレス・ホテル」へ向かう。ここは部屋あいていたけど、あんまり眺めがよくなかったんだよね。ホテルの周り工事中だったし、部屋見せてもらったらバスルームとかちょい狭かったし。けいさんが
「もっと眺めのいい部屋はないの?」と言ったら上階のまだ部屋を作ってる工事最中の所に連れて行かれて「ここからなら遺跡が見えるぞ」って・・・。ガイドブックに「ナイス・ビュー」だって書いてあったのになぁ。それじゃあんまりでしょ、と、けいさんがディスカウント交渉して、1泊2人で24ドルを20ドルにしてもらって宿泊決定。
 チェックインの作業が済んだら荷物を置いてさっそく遺跡に行くのだー! パルミラの遺跡は入場料がないのがいいね。一部「ベル神殿」だけは入場料必要なんだけど、そのほかの場所はいつでもどこでも入り放題。夕日もじっくり好きな場所で見られるし、月夜まで鑑賞して帰ってきちゃったよーん♪



2000年10月10日(火)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
入場料/パルミラ博物館 300.00 795
昼食(1人分) 10.00 27
ミネラルウォーター(1.5リットル) 25.00 66
夕食(シュワルマ1つ) 10.00 27
 ううう・・・。アザーンが聞こえる。なんかすっごい大音量だよー、眠いよー。
 アザーンで1回目が覚めたけど、その後寝なおして本格起床は7時。朝ごはん食べたらさっそく遺跡に向かうんだもん♪
 まず、記念門から入って列柱の間をどんどん歩いていく。この日はめっちゃいい天気だったんだよね。
 遺跡ってトコはさ、だいたい日陰がなかったりするのよ。もちろんジャングルの中の遺跡も多いけど、それでも建築物の近くには日陰になるようなものはあんまりない。中に入っていける遺跡ならその中は当然日陰だけど、メキシコのピラミッドだとかインドネシアのボロブドゥールだとか(ごめん、まだこの旅行記作ってない(汗))、建築物の上側を歩く(登る)ものが多い。
 このパルミラの遺跡は砂漠の中の遺跡だから木陰なんか期待できないし、崩れかけてるものが多いから屋根もない。列柱の間とか、建物の影にわずかに日陰が出来るのみ。ほぼ完全な形で残っている円形劇場はあるけど、ここには屋根なんてないもんね。
 でも私はがんがん行っちゃうよ(笑)。けいさんが少ない日陰で休んでいる間も1人でディオクレアヌス城砦(パルミラ遺跡の端っこ)までどんどん歩いて行っちゃうもんね。
 そうして戻ってきたら、今度はアラブ城へ! 中に入れるらしいんだけど、2〜3度来ているけいさんが毎回チャレンジしても開いていたためしがないというこのアラブ城。今回も
「行く」って言ってくれたから一緒に登る。最初はいいんだけどね、途中からがもう・・・山道というか、崖道みたいな道なき道をえいえい登る。そうして辿り着いてみれば・・・・・・今回も開いてないでやんの(汗)。おっかしいなぁ、ガイドブックでは無休って書いてあるのになぁ。あっ! 今見たら時間が違うじゃないの! 「13:00〜日没頃」だって、そりゃあ午前中には開いてないよね。はぁっ。
 仕方ないので上からのパルミラ全景を堪能して、風に吹かれてしばしの休憩。んー、またあの崖道を降りていくのは大変だなぁ・・・と、思っていたら日本人発見!
「あの〜・・・・・・」
 アラブ城の入口前の日陰で休んでいたのは、日本人男性2人組でした。車を借りてアレッポ(シリア北部の町)から移動しているんだって。
 別にそんなつもりで声掛けた訳じゃなかったんだけど(だって車で来てるなんて知らなかったし)、でも下まで乗せてってくれるというので、ありがたくご一緒させてもらいました♪ ありがとう、兄ちゃん達!
 某ガイドブックでは「火曜は休み」と書いてあったパルミラ博物館が開いていたのでそこに入り、バスで乗り付けていた日本人団体観光客の後ろで時々こそっと日本語説明など盗み聞きしながら見学してしまいましたよ(笑)。団体旅行って日本語で説明聞けて便利だとは思うんだけど、でもやっぱ私達は時間制限なしに自分の好きにふらふらしたいのよー。
 さて、そろそろお昼の時間。
 明日は移動日にしてるから、まずはバスチケットオフィスで移動の時間とルートを確認してからごはんを求めに行くのだ。
 私達は明日、タルトゥースという港町に行こうと決めた。
 オフィスの中に入って
「明日タルトゥースに行きたいんだけど・・・」というと、ここから直接タルトゥースまで行くバスはないとのこと。「ホムスまで行って乗り換えるしかないわね」と言われて、「じゃあホムス行きは何時にあるのか?」と聞いたら「14:30しかない」だって。それじゃあちょっと遅いんだよねぇ。
 けいさんと2人でどうしようかと相談していると、
「バスじゃなくてセルビスだったら、広場前のセルビス乗り場からもホムス行きは出てるわよ」とありがたいアドバイスをいただいた。じゃあ、さっそくそこに行って確認だ〜! でもやっぱり直接タルトゥースに行くのはないのね。バスオフィスのお姉ちゃん達に「ホムス」とか「タルトゥース」とか、アラビア語でメモ書きしてもらって広場へGO!
 広場のチケットブースに行って聞くと、
「ホムス行き? 朝から1時間おきに出てるよ」って。「じゃあ、また明日来まーす♪」と、道中でごはんを買ってホテルに戻って昼ごはん。
 ゆっくり休んだら、また夕日を見に遺跡へ行く。
 やっぱね、ここの夕日は最高だって! 色合いがすっごくいいの。そんでもってこの遺跡のロケーションがもう、毎日でも夕日を見るために通いたくなっちゃうよ。
 昨日と同じく、暗くなるまで遺跡で過ごしました。



2000年10月11日(水)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
ホテル代(2泊、2人分) US$40.00 4,876
入場料/ベル神殿 300.00 795
入場料/民俗学博物館 150.00 398
セルビス/パルミラ→ホムス 50.00 133
バスターミナル/パイ 10.00 27
バス/ホムス→ラタキア 42.50 113
セルビス/ラタキア→町の中心 4.00 11
夕食(2人分チップ込み) 300.00 795
 朝ごはんの後はチェックアウトして、荷物を預けてベル神殿へ! ここだけは入場時間が決まっていて、昨日は夕方入ろうとしたら残り時間少なくってさぁ。諦めて今日の出発前に行くことにしたのであった。
 ホテルの食堂で朝ごはんを食べてる時に、窓から遺跡方向を眺めてたら近道を見つけてしまったので、今日はそっちから回りこんでみることにした。この食堂からだと、角度と高さの関係で遺跡自体はそんなに見えないんだよね。でも近道見つけられたからいっか(笑)。
 そこを通ればうるさい客引きのナツメヤシ売りにも会わず、ラクダ引きの人にも会わずに遺跡に辿り着けるから、昨日も分かってればよかったなぁ。
 ベル神殿。そしてその後、民俗学博物館。
 再び近道を通って戻ってきたら、荷物を受け取ってガラージュだぁっ!
 広場に着いたらすぐにホムス行きが出るってことで、そのまま荷物を持ってセルビスに乗り込む。セルビスっていうよりは、セルビスとバスの中間でミニバスって感じかなぁ。小学生くらいの男の子が車掌のように仕切ってくれる。
 砂漠の中のまっすぐ舗装された1本道をミニバスが走る。今日は風が強いから、道の両脇に広がる砂漠から吹き寄せてくる砂が、アスファルトの上を“さーっ”って流れているのがよく分かる。砂煙もすごいし、こういうの見てると、本当に砂漠の中のオアシス都市だったんだなぁ、パルミラって。って思うよ。
 ホムスに到着したら、今度はタルトゥース行きのバスを探す。例によって集まってくる人たちに
「タルトゥース!」って言うと、兄ちゃんがチケットブースへ案内してくれ、そこでも「タルトゥース!」って言ってチケット購入。乗り込んだらすぐに出発しちゃいそうで、慌てて昼ごはん用にパイを買いにいってきましたさ(笑)。だって目的地に到着する前にお腹すきそうだったんだもん。
 でね、乗り込んだバスの運転席がすごかったんだ。けいさんが写真撮ってたから私はそれを焼き増ししてもらったんだけど、このデコレーション! トラック野郎と同じ感覚かしらん。ハンドルまでビーズでぎっしり
 そんなバスに揺られて1時間もした頃かな。けいさんと今夜の宿のアタリをつけていた時に、窓の外に目をやると所々で道路標示に「タルトゥース」ってアルファベットが見えてきた。
 うむうむ、そろそろなのね〜。おお〜! これがシリアの海! ん? あれ? 「タルトゥース」って文字見なくなっちゃったなぁ。もうタルトゥース方面に曲がったのかな。 
 って!!
 ちょっと待てーーーー!
「蘭さん・・・・・・」
「うん、けいさん。私へんな文字見ちゃった。さっきの看板、「ウェルカム・トゥ・ラタキア」って見えた」
「やっぱり? 私もそう思ったんだけど」
「って、なんでラタキアになってんの?!」
 そりゃーもう、もう大慌てさぁ(汗)。
 でも今更こんなところでバス降りれないし、ってか、降りてもこの夕方の時間じゃタルトゥースに行くバス捕まえられるか分かんないし! タルトゥースって言ってチケット買って乗る時も確認したのに、なんでいきなりラタキアなんて向かってるのか分かんないけど!
 いやでも実際向かってるものはしょうがない。タルトゥースで宿予約してる訳でもないから、とりあえず今日はラタキアで。ガイドブックでラタキアのページめくりながら宿のアタリをつけて、ラタキアのガラージュから町の中心まではちょっと距離あるから更にセルビスに乗り換えて・・・・・・。
 って、どっからセルビスに乗るのよ(汗)。いや、それ以前にどのセルビスに乗ったら町の中心に行けるのさ。・・・と、ウロウロしてたら親切なおじちゃんが助けてくれました。ありがとぉぉ。
「どこに行くんだい?」「シェクダーヘル広場に行きたい」「セルビスかい?」「うん」と言って、ぎゅう詰めのセルビスを何台も見送って、なんとか乗れるやつを止めてくれて、運転手に行き先まで告げてくれて。乗ったら今度はお金回収の2人組の男の子が降りる所を教えてくれて。
 あうぅぅ〜。ありがたいわ、ホント。
 なんとかバスの中でアタリをつけていた宿に泊まれてよかったけどさ。思いもかけずにラタキアだよ。どうするよ。



2000年10月12日(木)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
朝食(パン2種) 25.00 66
朝食(リンゴジュース) 30.00 80
セルビス/ラタキア→ウガリット 5.00 13
入場料/ウガリット 300.00 795
ホテル代(1泊、2人分)US$払い US$21.00 2,342
ホテル代(1泊、2人分)SYP払い 50.00 133
バス/ラタキア→タルトゥース 30.00 80
昼食(2人分) 450.00 1,193
船/アルワード島往復 20.00 53
入場料/アルワード島の城壁 150.00 398
 思いもかけずにラタキアに来てしまったので、「それならウガリットに行こう」と出発。ここウガリットで発見された文字(ウガリット文字)は、アルファベットの元になったと言われているのです。
 ホテル近くのセルビス乗り場で
「ラス・シャムラ」(ウガリットの遺跡のある場所)と言って、更にガイドブックのウガリットの写真を見せて、教えてくれた車に乗り込み10分程。乗ったセルビスの終点がその場所だったみたい。でもそれらしきものは見えないんだよね。降りる時にドライバーが「あっちだよ」と左手方向を指差してくれたので、そっちに歩いていくと・・・・・・あったあった。
 う〜ん・・・。でもこれ、入場料払って入るんだけどさ、殆ど崩れてて案内板がなかったら何が何やら分かんないわ。それでもひと歩きしてると、奥まで行った少し小高い丘になっている場所からは海が見える。これは地中海ね♪
 ウガリットを一回りして戻ってきたらタルトゥースへ行こうかぁ!
 ラタキアはこれだけ(笑)。いやまぁ、本当にラタキアには来る予定じゃなかったしさ。
 ここからタルトゥースに行くにはどうしたらいいんだろう。ホテルを出発する時にフロントにいたおじちゃんに聞くと、ガラージュ・ブルマンからバスに乗るってことなんだけど、
「そこまでのセルビスはないからタクシーだ」とのこと。今度こそ本当にタルトゥースに行くぞ!
 やっぱりチケットブースで
「タルトゥース!」って言ってチケット買って、バス待ちの間にふらふらしてたらアラビックコーヒー売りのおじちゃん発見。へー・・・と見てたらけいさんと2人、小さいカップで1杯ずつもらっちゃったよ。このコーヒーにはカルダモンが入っているらしく、コーヒーというよりは、ちょっと暖めた香辛料飲んでる感じというか、なんかヘンな味。
 このコーヒー売りのおやじさんは25年前にブラジルにいたとかでスペイン語が話せるって言ってたけど、ブラジルってポルトガル語じゃなかったっけ?
 お昼過ぎに(今度は)無事にタルトゥースに到着!
 港近くのホテルにチェックインしてから腹ごしらえ。そしたら船に乗って島へ行こうか〜♪
 この船がまた漁船のような船で。一応ちゃんとアルワード島へ人を乗せて往復している船なんだけどね。乗ると人の重さでか船が左に傾いてるし、座る所なんてのもロクにないから屋根の上とかにも座ったりするのよ。私達は乗り込んだの遅かったから座る場所が屋根の上にも残ってなくて、船尾の柱に捕まって揺られながらの20〜30分。これ、ちょっと大波が来てグラリと揺れたら海にドボンしそう〜。
 アルワード島は海の周辺をちょっと中に入ったらもう家ギッシリ! 迷路だよ、迷路。ダマスカスの旧市街も迷路だったけど、そこより家と家の間の道がめっちゃ狭くて迷う迷う。やっとなんとか城壁に辿り着いたら入場時間が残り1時間を切ってるじゃない。
「16:00には門閉めちゃうから、15:50までに戻って来い」って言われても、もう40分しかない! 城壁の上に登って海を眺め、モザイク画がある部屋にも入れるっていうから係員の案内で行ってみる。めっちゃ暗いってば。その中を登っていけるんだけど、暗くて全然見えないの。持ってた細身のライト(懐中電灯)が大活躍♪
 ぐるりと見てたらもう時間だってことで、戻る時に係りの兄ちゃんに「先にどうぞ」って言われてその通り先に行かせてもらったらさぁ・・・。
 あれ、胸触られた? ん? ちょっとあたっただけかなぁ。
 やんわり手を払いのけたら今度はお尻撫でられたっ! 確信犯だーーー!! ぜぇぜぇ・・・。
 まったく、こっちの兄ちゃん&おやじ達ってのは! いい人ももちろん多いんだけどさ、こういう異教徒の女に手を出してくるのがいるからイメージ悪くなるんだよぅ。はー・・・。それに日本人はキツク拒絶しないから、そういう人達のいいカモになるんだよ。気をつけようね、みんな!
 帰りの船では屋根の上に座りながら地中海を進む船の上から夕日を眺め、ホテルに戻ってからはベランダに出てぼーっと海に沈む夕日とオレンジ色の景色を眺め。このホテルは海から道路1つ隔てた場所に建ってるから、海に沈む夕日ってのがバッチリ見れるんだよね。他の階でもベランダに出て眺めている人多かったもん。
 そのまましばらくぼーっと眺めていたら、下の道路にバンが横付けされて、中から出てきたのは日本人カップルだ。
 
「こんにちはー」「あ、こんにちは」「いくらですか? ここ」「2人で1泊800シリアポンドでしたよ」とか会話を交わして、夕食メンツをゲット♪(笑)
 私達がお昼を食べたお店に行って、ごはんを食べながら雑談をする。
 この大学生カップルはザグレブから入ってギリシャ→エジプト→ヨルダン→シリアと移動して、明日にはレバノンへ行ってアジアカップの日本戦を見るらしい。
 この時期ってちょうどサッカーのアジアカップをやっている最中で、その開催地がレバノンだったからこの時期にこの辺りにいる日本人旅行者が結構大勢集合してたみたいなんだよね。TVでもアジアカップの放映してたし。さすがに日本戦は放映されてなかったけど。
 ごはんを食べて少し街中を歩いて、アイスを食べてからホテルに戻るとロビーのTVでまさにサッカーの試合放映してるじゃない。レバノン vs シリア。20:00キックオフなんだ、結構遅い時間からやるんだなぁ。



2000年10月13日(金)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
ホテル代(1泊、2人分) 800.00 2,120
朝食(2人分チップ込み) 220.00 583
セルビス/時計塔→ガラージュ 3.00 8
タクシー/
   バスオフィス→ガラージュ
20.00 53
バス/タルトゥース→ダマスカス 55.00 146
ネットカフェ/ネット接続(1時間) 300.00 795
夕食(2人分チップ込み) 270.00 716
 朝起きて、散歩をしながらイミグレオフィスに行ってみる。
 昨日のカップルの話(レバノンへ行ってアジアカップを見る)を聞いていたら、けいさんも観戦したくなったからもう一度レバノンに戻ろうかな〜って気持ちになったみたいでね。けいさんはシリアのシングルビザを取っていたもんだから、一度シリアを出国しちゃうと再びビザを取らないとシリアに入れないの。私と一緒にヨルダンに行った後に陸路でレバノンに戻ろうと思ったら、もう一度シリアに入国しないといけない。でも今けいさんが持っているシングルビザだとそれができない。
 で、夕べガイドブックを見ていたら近くにイミグレーション・オフィスがあるのを見つけたから、ビザの変更(シングルビザ→マルチビザ)が出来るか、または一度シリアを出た後で使えるように新たなシングルビザが取れるか、どうにかできないかを確認しにイミグレオフィスをたずねてみよう、ということになったのですよ。
 でもね、行ってみたら閉まってた。よくよく考えてみれば今日は金曜日。イスラムの国は金曜日が安息日なんだから、もしかしてそれで公共機関閉まってるのかも。通りを歩いていてもすごく静かだったしね。
 しかたがないので朝ごはんを食べて出発。
 途中でセルビスを拾って
「ガラージュ!」へ。昨日ラタキアからバスが到着した辺りで下ろしてくれたんだけど、バスターミナルどこ? 停留所はあるけど、バスターミナルらしきものがないよ。
 周りの人に
「ガラージュ・ブルマン。ダマスカス!」と聞くと、今いる道を歩いて突き当たりを左に行くんだと教えてくれた。
 で、行ってみればブルマン・バス・オフィスで(笑)、中に入って聞いてみると、ダマスカス行きは12時にここにバスが来るってことだ。それじゃあちょっと遅いんだよね。ということで、今度はタクシーを拾って、再度バスターミナルへ向かうべくチャレンジだ。ガラージュ・ブルマンは鉄道駅の近くにあったから、
「トレイン・ステーションの近くにあるガラージュに行って」と伝えてなんとか到着。
 ダマスカス行きを教えてもらって乗り込むと、このバスはクーラーなんて入らないちょいとボロ目のミクロバス。人が定員分乗り込んだら出発するみたいで暫くバスの中で座って待ってたんだけど、座席も結構ガタガタだし窓は開いていてもこれは結構ムシ風呂状態だわ。走り出したら開けた窓から風が入ってきて多少気持ちよくなったけどね。
 途中で休憩(15分)を挟んで走る走る。タルトゥース→ダマスカスで約3時間半くらいかなー。
 ダマスカスのガラージュ・ハラスターに到着したら、今度は市内中心までセルビスに乗って移動。見覚えのある通りにさしかかった所で声を掛けて降ろしてもらって、宿泊場所を求めていくつかのホテルを回る。初日に泊まれなかった安宿に再び行ってみるけどやっぱり無理。次にアタリをつけていた所もフル(満室)。じゃあ初日に泊まったトコでいいか、と歩いている途中で見つけたホテルに入ってみたら空きがあったのでチェックイン。やっぱ個人で足で歩いての宿探しは体力が必要なのだわ。
 さて。
 一息ついたら明日の移動の為に、ガラージュ・バラムケを確認しに行ってみよー。
 いやね、歩いていける距離にあるバスターミナルだったから、明日の朝直接行って迷ったりセルビスタクシーの乗り場が分からなくて戸惑って時間かかっちゃうよりも、今日時間があるなら確認しといた方がいいと思ったからさ。
 ってことで、歩いて行ってみる。
 ん? 大学の周辺でなんだか集まって声上げてる人いるなぁ。もしかしてまたデモ?
 大学を通り過ぎたら少し先の左の道からわらわら人がやってくるし、うわぁ! っと慌ててその信号のある通りをガラージュの方へ走っていく。その途中にセルビスタクシーが溜まっている場所を確認した所で、なんだか大学の方が騒がしくなったよ?
 ・・・と思ったらデモ激化?
 さっき人がわらわらやってきた方向から人が沢山こっちに走ってくるし、大学の方向にも人が多くなってるし、棒持った人や顔を布で巻いて隠している人とかいるし−−っ!
 そのうち大学方向で白い煙が上がって、機動隊みたいに盾や棒持った人がやってくるわ、人がわーっと流れてくるわ、機動隊みたいな人に棒で殴られて車に押し込まれる人がいるわ、車を囲んで止めちゃう人達いるわ。
 何事っ!?
 私とけいさんは、ちょうどカルナックバスのターミナル前にいたから、その柵の内側に入れてもらえてそこから通りを見てたんだけど、マジ慌てました。
 こんな所でこんな大掛かりなデモに遭遇するなんてっ!
 1時間くらいそんなのが続いたかな。バス会社の柵の内側から様子を見てるとやっと機動隊も帰って落ち着いてきたなって頃、その柵の外側の道端で成り行きを見守っていたスカーフをかぶったおばさんが、両手首を前で合わせて「捕まったよ」って身振りをしてたのがすごい印象に残ってるわ。バスでここに到着したけど、ちょうどデモが始まっちゃったから柵の中から出られないでいたおじさんと一緒に胸を撫で下ろしたりして、そろそろと柵を出てデモがいた方へと帰る。けいさんと2人で「もう大丈夫?」「大丈夫だよね・・・」といいながら。
 うわっ! 大学の近くの道に白い粉が沢山おちてるし、なんか喉痛い? けいさんも目が痛いとか言ってるし、あれってもしかして催涙弾?
 ひーーーーーっ。
 夕食前にネットカフェ行って掲示板にさっきのデモの様子を書き込んだり、サッカーのアジアカップの試合日時を知ってる人教えてー、って書き込んでみたり。
 なんか今日は盛りだくさんな日だった・・・。
 でもそれだけでは終わらず。
  ホテルでシャワーを浴びようとしたら、お湯がぬるいの。星が3つも付いているホテルなのになんだっ!けいさんが3回くらいフロントに行って闘ってきて、やっと少し暖かくなる程度だったのがもう・・・。
 も、疲れた。寝るー!
 って感じで早々に就寝しましたさ。



2000年10月14日(土)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
新聞 25.00 66
セルビスタクシー
 /ダマスカス→アンマン
400.00 1,060
↓ヨルダン JD
ボられたバス代(2人分) 2.15 335
バスターミナル/トイレチップ 0.05 8
ネットカフェ/ネット接続(30分) 1.50 234
夕食(2人分)
 内訳:マクルーバ<2.50>
    ムタッバル<0.50>
    ミネラルウォーター<0.50>
3.50 546
 朝食は部屋に運んでくれた。 んだけど!
 もしかしてそれが目当てで運んでくれたのかっ、オヤジ!!
 食事の入ったトレイをけいさんが受け取った時に、オヤジがお尻触っていったって。んもー。ムスリムのオヤジはっ(もちろんそういう人ばっかりじゃないけどね)。
 2人で文句言いながら朝食を済ませたら、両替をしようと外へ出る。両替商へ行ってみると閉まっていて、その隣りにあった旅行屋のような店の人が両替をしてくれたよ(笑)。こういうのって、中近東あたりじゃ珍しくもないみたいだけどね。
 で。両替も無事に終わったし、泊まったホテルと内務省が近かったので、けいさんのシリアビザを再チャレンジしてみようと行ってみることにした。
 出来るかなー。出来るといいな。建物に入って
「ビザを取りたい」って話をして、案内された部屋で話をしてみるも、シングルビザからマルチビザの変更はできないって。またシリアに入国するなら、次に私達が行くヨルダンでもう一度ビザを取ってくれってことを言われたのね。残念。

 ではっ。
 シリアでやることはやったし、ヨルダンへ向かいましょう!
 昨日デモに遭遇しながらも確認してきたガラージュへ(笑)。途中の雑貨屋のような所で新聞をチェックして、昨日の騒動らしき写真が載っているものを買ってみる。シリアに戻ってきたら、はいじさんに見てもらおうっと。
 ガラージュでアンマンに行きたいと伝えて案内されたのは黄色い乗用車。これは車体に「アンマン−ダマスカス」って書いてあって、2つの都市を行き来しているセルビス・タクシーなのです。定員が集まったらその都度出発するから時刻表なんてものはない。待つことしばらく。国籍もごちゃまぜな乗客を乗せて出発だ!
 私にとって始めての経験。陸路での国境越え。
 シリアの出国時には、フリーゾーン(両国の国境緩衝地帯)に入る時にパスポートチェックをして。イミグレで出国手続き。
 それが終わったら今度はヨルダン入国。
 ヨルダンへの入国は結構チェックが厳しくて、っていうか、こういうテロの危険がある国への陸路入国だからかな。人が入れる穴が開いている上に車を止めて、下から車をチェック。日本の高速道路の入口みたいな所で車のトランクの中を全部出してチェック。私達乗客の荷物もね。そしてもちろん車の中も確認。それからイミグレ。
 ここには銀行もあるから、ヨルダン・ディナールを持っていない私達は少し両替しておいた方がいいよね。ってことで、トイレ休憩やら両替やら。全員戻ってきたらフリーゾーンを出る時にパスポートチェック。ヨルダンの入国にもエントリーカードが必要なので、それは車内で事前に配られてたので記入済で、パスポートと一緒にそれも提出。でもでも運ちゃん、運転しながらハンドルの上で書かないでよ。結構なスピードでてるんだからさぁ・・・。
 ダマスカスを出発して約3時間。ヨルダンの首都・アンマンにあるムジャンマ・アブダリ(ムジャンマはヨルダンでのバスターミナルの意。シリアでのガラージュと同じ)に到着。ここでこれまでのセルビス・タクシー料金を払いました。後払いなのね。シリア・ポンドでもヨルダン・ディーナールでもOKなようです。

 さぁ、今度はペトラへ向かうぞ!
 ペトラ方面のバスが出ているムジャンマ・ワヘダットへ向かう為に路線バスに乗る。でも国境で両替したお金はバスに乗れるほど細かい小銭がなくって、困っていたらバスで前に座っていたおばちゃんが小銭に両替してくれました。ありがたい! それでもバス代には大きかったので、降りる時にお釣りを受け取りなね、ってことを言われたんだけど、でも降りる時に貰ったお釣りはぼられてた・・・(汗)。両替してすぐってさ、見慣れない単位やお金だから訳分からなくなるんだよね。すぐ認識できないの。バス降りてけいさんと確認してたら、「なんか違うっ」って。まぁ、しかたないか。最初は授業料だと思わなきゃ。・・・・・・でもバス代にしては高いぞーーー!
 到着したら周りの人達に教えてもらってペトラ行きのバスへ。
 ・・・・・・でもね、バスのオヤジとセルビスタクシーの兄ちゃんが客の取り合いかなんかで大声で言い合うんだもん。分かんない言葉だから怖いよー。
 私達に言ってきたことは、バスは出発に時間がかかる、セルビスタクシーなら私達だけ乗せて行けるから早い、とか。そんなことを兄ちゃんは言っていたんだけど。バスよりどうしても金額高くなるからバスにしよう、と私達は断ったんだよね。で、さっきここにくるまでのバスに一緒に乗っていた西洋人カップルが並んでいる列の後ろに並んで待ってたけど、確かにバス遅いのよ。なかなか来ないの。
 1時間以上待ったかな。でもバスは来ないし、風は強くなってくるし、寒いし。ホテルも決まってないから早くペトラに着いて宿決めたいんだけどなぁ・・・。
 やっとバスが来たと思ったら、待っている人が列も何も関係なく入口に殺到して乗れないかと思ったよ。でも乗れなかったら今日中にペトラに行くことはできない! 頑張って乗り込んだぞ!
 しかしねー。バスの進みは遅いし、雨は降ってくるし、日が落ちてやっとペトラ遺跡の入口ワディ・ムーサに到着!
 ふーっ。
 途中のアタリをつけていたホテルがある付近でバスを下ろしてもらって、なんとか目的の宿にチェックイン。その頃には雨もやんでいて助かったわ。
 荷物を置いたらごはんを食べに・・・、その前にネットカフェを見つけたから入ってみる。日本語使えなかったし見れなかったけど、昨日掲示板に「教えてー」って書いておいたアジアカップの日程を答えてくれた人がいて、日本語で書かれた文章は分からなかったけど、数字でなんとか日本戦の日程が分かってけいさんと喜ぶ♪ けいさんはペトラを見たら私と一緒に一旦アンマンに戻って、そこの日本大使館で推薦状もらってシリアとレバノンのビザを取って、行けたら10/20の日本 vs カタール戦を見に行ってみようかな、ってことになりました。
 アジアカップの日程も分かったし、ごはんごはん〜♪
 適当にレストランに入って、中近東料理をけいさんと堪能する。
 今日も移動で疲れたもんね。早いトコ眠って、明日のペトラ遺跡に備えなくっちゃ。



2000年10月15日(日)

明細(一部抜粋) JD 円貨
入場料/ペトラ 20.00 3,120
ペトラ遺跡内でチャイ 2.00 312
夕食(2人分)
 内訳:マンサフ<2.50>
    タブーレ<0.50>
3.00 468
 さぁさぁ!
 今日はペトラよっ! 遺跡めぐりだよ〜〜〜〜!!
 ペトラの遺跡は朝早く、それこそ6時くらいから開いているらしいので、早起きして8時にはホテルを出発♪
 入口までは歩いて15分程の距離のホテルでした。坂の途中にあるんだよね〜。ってか、ペトラの遺跡が坂の下の方にあるの。
 入口の脇に子猫がいる〜〜♪ 細っこい仔が布の上に、よろよろ立ち上がる様がめっちゃらぶり〜♪ はぁ〜〜〜。しばらくこの仔と遊んでから、いよいよペトラ!
 切り立った崖が両脇に聳え立つ細長いシークを呼ばれる道を延々歩いていくと・・・・・・。
 そうっ! これが見たかったのよ、私はっ!
 岩壁をくりぬいて作られた宝物殿「エル・ハズネ」。これがね、シークの細い道の崖の隙間から歩いていくにつれて徐々に姿を現す様がもう!
 来て良かった〜〜〜〜!!
 ここは岩の色が信じられないくらい綺麗なの。ピンク色っていうか、ローズっていうか。これが岩の色なんだ。世界にはまだまだ知らない綺麗なものが沢山あるのだなぁ。
 と、感動しつつも先へ(笑)。
 この先は写真館をご覧ください。
 いや、だってこの遺跡広いんだってば。普通に観光客が行くであろう一番奥にある「エド・ディル」まで行って折り返して戻ってくるだけでもうまるっと1日いっぱいいっぱい。
 ま。私達の場合は、途中の博物館で係員のおいちゃんと話してて彼の家だっていう博物館の裏手にまでいかせてもらったり、エド・ディルで本当はいけなかったのに登っていったりしていたからってのもあるんだけどさ(笑)。
 帰る頃には途中で雷が鳴って雨が降りだし、ローマ劇場の手前でけっこうな降りになってきたから雨宿りがてらチャイ屋でお茶してもいたしね。
日本でも公共施設の中にある自販機とか喫茶店とかって金額高いけどさ、ここのお茶って高〜。お茶1杯で2JDって・・・。夕食の半分以上の金額っていったい何よ? ねぇ。
 30分ばかりのんびりして、そこにいた猫にちょっかいだしたりしていたら晴れ間が見えてきた。よしっ、今のうちだー。
 おおおっ。虹が出てるっ! 遺跡にかかる虹って神秘的。残念ながら写真では虹がほっとんど映っていなかったのでご覧いただくことはできないんですが、遺跡で見る虹っていいもんだよ。アンコール遺跡でもスコールの後で虹見たけど、あれは感動だったなぁ。
 おっと、話しがズレた(汗)。
 そうそう。今回はこの後更に不思議な光景に出会ったのよ。
 なんと、エル・ハズネの前でシークから押し寄せてくる水! なんか「さーっ」って音がするなぁ、と思ったら、シークの奥から水が押し寄せてきたの。もう何が起こったのかとビックリさ。そしてあっという間にシークの出口が大きな水溜りになってしまったのであった。そのまま入っていたらずぶぬれだよ。馬車が通ると水しぶきがすごいし、欧米人で男性が女性を肩車して渡っていった人もいたけど、ふくらはぎくらいまでは水きてたもんね。そんな状態だからシークの先に進めなくて、折り返して奥から戻ってきた観光客がエル・ハズネの前でシークに入れなくてたまってきちゃったよ。どうすんだろ、この人達。ってか、私達も。
 とか思って見ていたら、近くにあったお土産屋さんからペプシの瓶が入っていたプラスチックの箱を持ち込んで、それをシークの壁際の水溜りの中に置いていって、飛び石のようにそれを伝って先に進むことになりましたとさ。
 いや〜。こんなんめったに経験できないよ。川のようになってるシークとかさ、そこを瓶の入れ物カゴを伝って渡るとかさ。
 ペトラ。大満足でした!



2000年10月16日(月)

明細(一部抜粋) JD 円貨
ホテル代(2泊、2人分) US$60.00-JD0.50 6,474
バス 3.00 468
セルビス 0.30 47
セルビスタクシー
 /ダマスカス→アンマン
US$10.00-JD1.00 936
ヨルダン出国税 4.00 624
↓シリア SYP
夕食(2人分) 330.00 875
 早朝アザーンが4時頃聞こえてくるんだけど、なんだかここのってダブって聞こえてくるんだよねー。輪唱みたくすこし遅れてさ(笑)。
 朝食の席ではパルミラで一緒だったらしいカップルが声を掛けてきた。日本人女性と西洋人男性。女の子の方が声掛けてきたんだけど、どうやらパルミラにいた時に私達を見かけていたらしいのね。昨日はけいさんがエド・ディルで私の後に登ってきた兄ちゃんのことをハマで見たって言ってたし。この辺りを旅している人達って、結構同じようなルート通ってるんだなぁ。で、その朝食時に声かけてきたカップルが帰っていった後、今度は私達のテーブルの後ろにも同じような組み合わせのカップルが座って、やっぱり日本人の女の子が声かけてきた。
「ペトラの遺跡までタクシーでどのくらいですか?」って。「歩いて行けますよ。15〜20分くらいで」。なんかこういう組み合わせカップル多くない? 逆(日本人男性&西洋人女性)のカップルは見ないけどね。
 チェックアウトの後は同じく宿を出る中国系カップルと一緒にロビーで待ってたら、ホテルの人がすぐ前でバスを止めてくれて乗り込むことになりました。このバスは途中のホテルで呼ばれたら止まって人を乗せてってくれるみたい。私達を乗せた後もペトラ遺跡の方までぐるりと回って、中心の広場でしばらく待って席が埋まった頃にアンマンへ向けて出発したもん。
 けいさんとはアンマンでお別れして、私はダマスカス行きのセルビス・タクシーに乗るためにムジャンマ・アブダリへ。けいさんはダウンタウンへ。到着したバスを降りたところで聞いてそれぞれの行き先のセルビス乗り場へ案内してもらって、各方面へ出発。
 ムジャンマ・アブダリに到着した時、支払う金額がよく分からなくてオロオロしていたら、一緒に乗っていた黒人系のおっちゃんが親切に教えてくれて、更にバスターミナルが降りた場所からは見えなかったから
「あっちだよ」と教えてもらい、「ハバナイストリップ、ヨルダン!」って言ってもらっちゃったよ。なんかこういうの、嬉しいなぁ。これがあるから個人旅行ってやめられないんだよね。
 教えてもらった方向に歩いていくと、バスターミナルに入った時にやっぱり声がかかる。「どこ行くんだい?」「ダマスカス!」。と言うと案内されて事務所みたいな建物へ。ここでお金を払って、チャイを貰って待っていると人数が集まって出発となるのだ。
 ダマスカスから乗ったのとは別の、少し大型の車でした。
 ヨルダン→シリアは、ヨルダンに入る時みたく荷物を出して見たりはしないんだね。
 出国税・・・・・・4JDか。えーっと、ほっ、ぎりぎりあるよー。良かった、さっき車代をドル払いにしてお釣りをヨルダン・ディナールで貰っておいて。
 出国のカウンターで大学生くらいの日本人兄ちゃんに会ったんだけど、この人もこれからレバノンにサッカー観にいくみたい。エジプトからアカバへ入って、ヨルダンを北へ移動してきたみたい。アカバすごいのんびりしてて良かったって。いーなー。私は日程の都合でペトラだけのピンポイントなヨルダンだったからね。それにしてもこの兄ちゃんもサッカーか。この辺り旅している日本人大集合じゃない。さすがアジアカップ。

 ダマスカスに到着して、まずはいじさんに電話をするんだけど誰も出ないんだよねー。下宿で電話は家の人に取り次いでもらう形になるから、今誰もいないのかな? じゃあ・・・っと、とりあえずマルジェ広場まで歩きながら電話ボックスを見つける度に電話してみるんだけど、全く出る気配がないよ。電話するためのコイン(10シリアポンド)がそのままストンと落ちることも多いし、番号押しても14コールすると切れちゃうし。今日ははいじさんの下宿に泊めてもらうことになってるんだけど、もしこのまま電話が繋がらなくてはいじさんと連絡とれなくて宿無しになったら大変だから、とりあえず初日に泊まったホテルに行ってみよう。あそこならヨルダン行く前に泊まったホテルと違ってお湯もしっかり出るし。
 だけどね! 案内された部屋、トイレ壊れてるーー! 水タンクの上の蓋割れてるし、床も水浸しだし、慌てて部屋を変えてもらって、荷物を置いて外へ出ると再びはいじさんに電話をかける。
 むー・・・。今度はどの電話ボックスも人が入ってるな。しかもこっちの人ってみんな長電話だし。開いている所はコインがそのまま落ちちゃったりするし。しかたないから誰かが使っている電話が終わるのを待つか、とおっちゃんの後ろに立って待っていると、その人が振り向いて「アラビア語話せる?」って英語で聞いてきた。話せないよ〜〜(汗)。「ノー!」「じゃあ英語は?」「少し」。なんかね、今電話しているお金がまだ残っているから、この後使っていいよっていってるみたいだったのよ。電話番号書いてある紙を出すとその人が電話してくれて、「誰を呼ぶんだい?」って聞いてくれて、ほんとに呼び出してくれちゃったよ。向こうの電話口ではいじさんを呼んでくれている間に受話器を渡してもらい、そのおっちゃんはそのまま去っていかれました。うわっ、なんていいおっちゃんなんだー! んでもってすっごい助かり! ってか、なんでここはこんなに簡単に電話繋がるんだろう。やっぱり人が入っていない電話ボックスは壊れていたのだろうか・・・。
 ま、とにかく無事にはいじさんに電話がつながり、ホテル前で待ち合わせを決めて夜ご飯をご一緒しました。



2000年10月17日(火)

明細(一部抜粋) SYP 円貨
道端/とうもろこ 20.00 53
夕食(2人分チップ込み) 250.00 663
出国税 200.00 530
 チェックアウトをしてお昼にはいじさんとホテルで待ち合わせ。
 んで、はいじさんの下宿にお邪魔して、はいじさんの手料理でお昼ごはんでした♪
 シリアで煮物。おいし〜♪
 腹ごしらえが終わったら一緒に旧市街をふらふらして、はいじさんの知合いのパレスチナ刺繍のお店でお土産買ったり、店先でのんびり水煙草もやらせてもらったよ。リンゴ風味〜♪ 肺まで煙を吸い込まなければいいんだよね。吸うと中に入っている水がぶくぶく言っておもしろいよ。この水がフィルターの役割をしているから普通の煙草よりキツくないんだって。
 途中で店主が上に乗せる炭を買いに行って、柄が縦についている柄杓みたいな物に入れて戻ってきた。入れ物の底には小さな穴が開いていて、その柄を持ってぐるぐる振り回すと遠心力で炭が落ちずに風が通って燃えるというしくみらしい。おもしろい! なんで写真撮ってないんだろう、私ってば! 水煙草の写真も炭を入れていたものの写真もないよー!(泣)
 ここは最初にシリアに到着した時も連れてきてもらったんだけど、はいじさん達の溜まり場っぽくなっているみたいで、留学生仲間の日本人男性もいての〜んびりバックギャモンとかしてたよ。
 こういう狭い旧市街の路地で水煙草をふかしながらバックギャモン! いい雰囲気だよね〜。
 その後、一旦別れてはいじさんは家庭教師にアラビア語を習いに行き、私は適当に旧市街をふらふらして、夜になって待ち合わせてごはん〜♪ ああ、これでアラビア料理も食べ収めかぁ。
 夜の旧市街を歩いてはいじさんちへ戻るんだけど、この旧市街の夜の雰囲気がもう! すっごいいいんだ! 所々にともる灯かり。蛍光灯みたいな味気ない灯かりじゃなく、暖かい雰囲気の。この町はずっと昔からこの雰囲気が続いているんだろうな。
 この日は夜中に最終のバスで空港へ向かい、そのまま夜明かしで早朝の飛行機に乗ることになっている。その前にはいじさんちでシャワーを使わせてもらったんだけど、このシャワーがまたこっちの昔からのタイプでね。シャワー室・・・にしては大きい部屋の中に、大型のだるまストーブをスリムにしたような湯沸しがあって、そこからシャワーと蛇口がついてるの。で、この湯沸しが本当にストーブみたいになってるから部屋全体がすごく暖かくて、いいねぇ、こういうの。シャワー室が部屋から離れたところにあって、外を歩いていかないといけないから雨の時や冬はちょっとツライけど。
 夜もふけた頃に新市街の空港バス乗り場へと移動して、0時過ぎの最終便に乗って空港へ。途中ではいじさんの留学生仲間と会って、一緒にバス乗り場まで来てくれることになった彼女は、そういえば初日にもはいじさんと一緒にタクシーを交渉してくれた人だったな。今日は他の下宿している人の大家さんが綺麗なフスハー(標準アラビア語)を話す人で、そこの家でごはんを食べつつ話しをしていたって。で、別れ際にその人から今日の持ち寄ったごはんがあまったから、とおかかのおにぎりをもらい、はいじさんからもカップケーキを2つもらって、バスが来たからはいじさんとはここでお別れ。本当にお世話になりました。いろんな人に本当に親切にしてもらったよ。今回も! 
 2人に見送られつつ、バスが出発。最終のバスだから人もあまり乗ってないんだよね。途中で降りていった人もいて、空港まで乗っていたのは私ともう一人。こんな夜中にけっこうなボロバスにこの人数って、ちょっと怖いかも(汗)。



2000年10月18日(水)

 空港には到着したけどチェックインの時間まではまだまだある。6:20の離陸だから、2時間前チェックインとして4:20でしょ。ここは24時間空港で、早朝発着の便もわりとあるから、こんな時間でも待合室にはけっこう人いるんだよね。地元の人が多いみたい。椅子に座って本を読んだり、近くにいた地元の家族連れの子供とにこにこ顔合わせたりしながらなんとか4時。チェックインして中に入って、ゲート前でもひたすら待つ。
 もうね、このゲート前で待っている時が一番眠くてツラかったわ。日系エアラインじゃないし、日本でもないんだから、ここで眠っちゃったらチェックイン終わってても絶対置いていかれる! と思いつつコックリコックリしながらもなんとか持ちこたえて無事に飛行機に乗り込めた! もう寝るぞ、寝るー!



2000年10月19日(木)

 ということで、ロンドン乗り継ぎで帰ってきました。
 2週間のシリア&ヨルダン。
 やっぱり中近東の、あの独特の雰囲気は行ってみないと分からないね。行ったらハマる人の気持ちも分かるわ。ああ、ホントまた行きたい!

 で、帰ってきて自分の家に帰っている途中の電車の中で、高校の時の友達にバッタリ遭遇しました(笑)。平日の真昼間になんでっ! まぁ、彼女は結婚してパートで自宅近く小さな医院に看護婦として入っているから、平日の休みも割とあるみたいなんだけど、お互い驚いたよ。向こうもなんで平日の昼間に私を見かけるんだって思ったみたい。