ハロウィンと死者の日

アメリカ&メキシコ
2003年10月26日(日)〜11月5日(水)

last up date/2005.01.04

2003年10月29日(水)以前の旅行記はこちらから


2003年10月30日(木)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
宿泊代金/ツイン1泊分 585.00 5,792
トイレチップ/ショッピングセンター 4.00 40
トイレチップ/バスターミナル 2.00 20
バス代/ADO/
   プエブラ→オアハカ
208.00 2,059
バス代/ADO/
  オアハカ→メキシコシティ
312.00 3,089
バスターミナル/パン3個 18.00 178
タクシー代/
  バスターミナル→ホテル
45.00 446
夕食/バーガー+コーラ 20.00 198
 メキシコに到着してすぐ思ったことは、「メキシコ暑っ!」だった。シカゴでは寒くて震えていたのにこの差はいったい・・・。シカゴで過ごしていた服装でジャケットを手に持っただけだったのだから、そりゃあ暑いだろう。でもね、数年前に来た10月中旬のメキシコシティは朝晩がなんだかもっと寒かった記憶があるのに。あの時は上着を着ている人が多くて、時にはマフラーをしている人もいたりして。だから今回は半袖を1枚しか持ち込んでいなかったというのに、真夜中のメキシコシティがこの気温では半袖が1枚しかないのはちょっと苦しいかもしれない。今回の旅で向かうオアハカはメキシコシティよりも通常の気温が高い。事実、シカゴで買ったハロウィン用の黒い半袖Tシャツを旅行中にさっそく着たくらいだ。
 昨日はメキシコシティへ到着してすぐに車でプエブラに向かった。小田蘭の父親がこちらにいるから出来たことでもあるのだけれど、23時頃に国際線出口で出迎えてくれた父親が車を手配してくれていて、そのまま一緒にプエブラへ。蘭父は私達が昼過ぎにオアハカ行きのバスに乗った後、翌日シティで用事を済ませてから地元へ戻って行くという予定だ。
 真夜中にプエブラのホテルに入り、そのままバタンと眠った翌日(つまり今日)、朝も早よから周辺の散歩に出かける小田蘭と桂さんがいた。うふふふ。やっぱり朝の散歩は必須よね〜。
 そろそろホテルに戻らないと父親との朝食待ち合わせに間に合わない、と思って帰ろうと歩いているのだけれどなんだか迷ってしまい、目についたコンビニで地図を出して道を聞く。昨夜プエブラに向かう車の中で父親と運転手との会話から学習した「デレッチョ(真直ぐ)」「デレッチャ(右)」、方向聞いている時にこの2つ以外の単語が出てきたら「左(イスキエルダと言う)」、という3つの単語とジェスチャーでなんとかホテルに帰り着く。朝食を食べたらさっそくプエブラ観光だ。
 プエブラに来た目的はサント・ドミンゴ教会を見ること。ここのロサリオ礼拝堂のウルトラバロック建築がすごいということだったので、是非見てみたかったのだ。いやもう、すごいの一言だね。教会というか、シャーマニズムを感じるような。この小さな一部分の中に世界が凝縮されたような。
 プエブラにいられる時間はあまりなかったので、砂糖菓子の家とかマーケットなんかをウロウロしてタラベラ焼のお店を覗いたりしつつ、お昼になったらバスターミナルへ移動してパンを買い込み、オアハカへ向かって出発。バス移動中に買い込んだパンで昼食としつつ、夕方にはオアハカに到着だ。
 お。さすが死者の日が近いだけあるなぁ、オアハカのバスターミナルにオフレンダが飾ってある。そうなんだよね〜、こういうのが見たかったのよ。まだ日があるうちにホテルに入れたので、荷物を置いたら街の中心まで出かけてみることにしよう。このホテルは中心からはちょいと離れていて、ホテルと街の中心までは無料のシャトルバスで結ばれているのだ。時間にして10〜15分くらい? ガタゴトと揺られて到着すると、あちこちのお店でいろんなオフレンダが飾ってある! バスの中から見える限りでも、ホテル近くにある民家の庭先にもオフレンダ。セントロでは仮装したパレードにも行き会う。わくわく。これは明日っからの街歩きが楽しみだわ。



2003年10月31日(金)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
枕チップ1人分 10.00 99
ツアー代/ミッドナイトツアー 250.00 2,475
絵葉書1枚3.50ペソ
      →10枚で30ペソ
30.00 297
バス代/
  モンテ・アルバン往復
24.00 238
入場料/モンテ・アルバン 37.00 366
昼食/1人分 25.00 248
市場/ガイコツ砂糖菓子セット(100→75) 75.00 743
市場/ミニ首ふり亀10個(桂さんと2人で20個100→80) 40.00 396
 オアハカ近郊には遺跡がある。となれば遺跡好きとしてはもちろん行くでしょ。ということで、本日は昼間にモンテ・アルバン。夜は死者の日の墓地を巡るミッドナイトツアーに参加する。そして合間に市場と教会もいくつか見て、という予定を組んでさっそく出発。
 モンテ・アルバンへ向かうバスがリベラ・デル・アンヘルというホテルから出ているので、地図を頼りに向かってみる…向かって……。あ〜、私達ってばダメだ(笑)。目的地に向かうまでにあっちへふらり、こっちへふらり。お土産屋や市場にハマリそうになり、教会に足を踏み入れ、ダメダメこの辺は遺跡から帰ってきてから!と、自分たちを戒めながら当初考えていた予定より少し遅れてモンテ・アルバンへ向かう。まぁ、カッチリ予定が決まったツアーじゃないからこそこういうことが出来て楽しいんだけどね。
 いやしかし、モンテ・アルバンがこんなに高い位置にあるとは思わなかったわ。そりゃもちろんマチュピチュなんかとは比べられないんだろうけど、思いのほか高い所にあってビックリ。
 ということで、戻ってきてごはんを食べたら市場へ遊びに行きましょう。うわ、死者の日用の顔付パンがいっぱい! これがオアハカ名物のケソ(チーズ)かぁ。チョコラテの元なんてお土産にいいよね。やっぱ市場歩きは楽しい♪
 そして夕方、ホテルに向かうバスが発着する場所へ向かって歩いていると、歩行者天国になっている通りに仮装パレードがやってきた。わ〜っと見に行って、一緒になって移動しながら写真を撮ったり動画を撮ったり。一団にいた花火を上げている人の近くでもっとよく見ようと、近付いてカメラを構えたらわざわざ火を付けてくれた。こういうサービス精神旺盛なトコが好きだわ〜。でもでも! 場所が悪かったのか角度が悪かったのか、打ち上げられた花火が道路脇の建物の軒に当たって私達がいたすぐ近くに落下したのだ。うわっ! 人に直撃しなくて良かった〜。爆発音すごかったよ。
 で。バスに乗ってホテルに戻ってきたら、入口入ったすぐの正面にオフレンダが出来てる♪ いつのまにっ! わくわくして写真を撮っていたら、私達が到着した時からなにかとお世話になっているベルマンのおじちゃんが
『近くの家の玄関にも飾ってあるから見に行くかい?』と連れて行ってくれたのだ。やった♪ 今日も街中でいろんなオフレンダを見てきたけど、どれも飲食店やお土産屋なんかの店先に飾ってあるものばかりだったもんね。普通のご家庭のオフレンダ! うわー。すごーい! 『写真いいかなぁ?』と一応おじちゃんに聞いてみたら、おじちゃんが呼び鈴鳴らしてその家の人に声かけてくれて、そんで撮らせてもらうことに。おじちゃん、ありがとう!
 ミッドナイトツアーの為に部屋で少し仮眠をとり、20:30にロビー集合。ガイドが車でピックアップしてくれて、途中で車を乗換えて、墓地を3つ回って25時前にホテルに戻ってくるというものでありました。ツアーの写真はこちらから
 もうね、すっごく綺麗だった! 幻想的な雰囲気だったわ〜。あぁ、参加して良かった。



2003年11月1日(金)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
切手代/日本までエアメイル 11.50 114
バス代/オアハカ→ミトラ片道 12.00 119
入場料/ミトラ 29.00 287
昼食/1人分 36.00 356
ネットカフェ/30分 5.00 50
アイス(シングル) 9.00 89
 オアハカ近郊の遺跡として、モンテ・アルバンと並んで名前が上がるのがミトラの遺跡。今日はミトラに向かうのだ。モンテ・アルバンみたいに専用のバスがある訳ではないので、ミトラへ行くには「(1)ツアーに参加する」「(2)ローカルバスに乗る」「(3)タクシーに乗る」といった方法になるだろう。私達は(2)のバスに乗って行くことにした。ミトラ行きのバスが出ているのは2等バスターミナルだというので、最初はホテルの送迎バスでセントロまで行き、そこから2等バスターミナルまで歩いて行こうかと考えていた。念の為に顔見知りになったホテルのベルマンに確認してみると、2等バスターミナルを出発したミトラ行きのバスが走るルートがホテルの送迎バスのルート近くにあるらしい。ミトラ行きローカルバスのバス停と送迎バスを降りるポイントを教えてもらい、送迎バスの運転手に『ここで降ろして欲しい』と伝え、地図を見ながら、人に聞きつつ、バス停に辿り着いてバスを待つ
 バスはフロント上部に行き先が表示されている。スペイン語はアルファベット表記だから理解できて助かるんだけど、ミトラ行きって書いてないのにバスに乗ってる呼び込みの兄ちゃん達が
『これだこれ! 乗りな』って全然ミトラ行きじゃないのに声かけてくるのはやめて〜。危うく乗って行く所だったじゃないのさ。行き先にミトラって書かれていないし、バス停で一緒にバス待ちしていて少し話をしたおじちゃんが『違うよ』って言ってくれたから助かったけどさ。何本か別方向行きのバスを見送った後、ミトラ行きのバスに無事乗車。
 めっちゃローカル! ってか、このバスってばクッションが…(汗)。オアハカの街中を過ぎたら道が悪いのとバスのクッションが悪いのと運転が荒いのもあるのかで、しゃべると舌噛むよ〜、って感じに跳ねる跳ねる。バス代を回収に来る人にお金を渡そうとするんだけど、ガクガク揺れ過ぎてお金落ちちゃう〜〜〜。でもそのガタガタが終われば、道中はバスの中も車窓もローカルでおもしろかった。今日はミトラ見学の後、オアハカに戻って教会めぐりもしたいからあんまり時間だないんだけど、ここらの村あたりでも降りて市場とか行ってみたいなー。こういう所にはローカル色の強い教会もあるということだし。いつかまた(笑)。
 ミトラはモンテ・アルバンに比べるとこぢんまりしていて、なんだかのんびりした感じが好みな遺跡だった。「遺跡!」という迫力の点ではモンテ・アルバンなんだけど、小田蘭的にはミトラの方が長居したい感じがするかな。ミトラの写真はこちらから。
 でも限られた日数と時間の中ではそれも難しく、点在する遺跡群を辿りながらバスを降りた辺りに向かう。バス停とか知らなかったけどさ、とりあえず降りた辺りに行けば何か分かるだろうと。そうしたら、ちょうどバスを降りた大きめな道路まで戻ってきた時に止まっているバス発見。もしかしたらそうかも〜、と近寄ってみると、あるある。バスのフロント上部に「OAXACA」の文字が見えた。一応念の為に
『オアハカに行く?』と運転手に確認してから乗り込んで、今度は終点のバスターミナルまで乗ってみる。というか、途中でヘタに降りたら分からなくなりそうだったんだもん。とりあえずバスターミナルで降りて、後の移動と場所確認してゆっくり考えましょ。ちょうど到着する頃にはにわか雨がバシャっと降ってきたし、雨宿りをしながら午後のルートを考える。
 お昼を食べて、お土産屋を回ったりしながらサント・ドミンゴ教会はもちろん、ほかにも教会をいくつか回ったらあっという間に夕方だ。パレードに行き会ってからホテルに戻り、入口でいつものベルマンと顔を合わせると、
『今日は下のオフレンダが飾ってある家で集まりがあるから行ってみるか?』と誘ってもらった。おもしろい! 普通の家の普通の集まり。行ってもいいなら行ってみたい。ということで、20時にロビーに来たら連れて行ってくれるということになり、ひとまず部屋で休憩をとる私達。なんだか桂さんの調子がよくないみたいなんだけど、大丈夫かなー。2時間程休んでいたけどやっぱり桂さんの体調はあまり回復せず、小田蘭一人でロビーに行って案内してもらうことにする。
 ホテルと周辺の家の人達は同じ“ご近所さん”ということで顔なじみなのか、昨日写真を撮らせてもらったときと同じ感じで、おじちゃんは既に集まっている人達の中に入っていって何事かを話してくれた。多分、
『この子はホテルに泊まっている客なんだけど、死者の日に興味があるみたいだから参加させてやってくれないか』というようなことを言ってくれたんじゃないかな。
 家の前には白いテント屋根(運動会とか体育祭とかで本部を作ったりする時に使うような、ポールを立ててその上に白い水を弾く布で屋根を作ってあるやつ)が設置され、一応そこは車も通れるような道路なんだけど、それは封鎖状態で屋根の下にパイプ椅子が並び、テーブルが並び、テーブルの上には振る舞い用の飲食物が沢山ある。テーブルの脇にはバーベキューのような機材があって、そこでお肉とかトルティージャなんかを焼いていた。
 まずはそこに案内されて飲み物をもらい、食べ物もオアハカ名物モーレ料理やパンをもらい、パイプ椅子に座ってもぐもぐ…。ベルマンのおじちゃんは自分の仕事があるからホテルに戻っていってしまったのだけど、そんな中で英語が出来る人とカタコトでコミュニケーションを図りつつ1時間程いさせてもらったのだった。ちょうどハイチュウさくらんぼ味を持っていたので
『日本のキャンディーだよ』と言って子供達にあげてみたり。
 ここに集まっているのは、この家(オフレンダのある家)の親戚だけではなく隣近所のみなさん達が殆ど? そこに何の関係もない異国の私が突然やってきても何の問題もなく快く入れてくれるって、そういうトコ好きだわー。
『こういう日は日本にもあるの?』とか『死者の日は1日目が子供の日だからオフレンダにはチョコレートとか子供の好きそうなものを飾り、2日目が大人の日でお酒なんかを置くのよ』とか。こうやって皆が集まってわいわいやる所なんかはやっぱり日本のお盆とちょっと似てるよね。
 



2003年11月2日(土)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
宿泊代金/ツイン1泊分 1,092.00 10,811
市場/
 チョコドリンクの素(ミニ)
5.00 50
市場/昼食 40.00 396
民族衣装上下セット 1,500.00 14,850
タクシー代/
 ホテル→バスターミナル
40.00 396
 今日はメキシコシティへ移動の日。
 午前中にいくつか教会をまわり、お昼を食べたらホテルに戻って荷物を受け取り、バスターミナルへ向かうことにした。
 チェックアウトをした時にフロントで荷物を預かってもらい、15時にタクシーを呼んでおいてもらうようにお願いして、オアハカ最終日の街歩きに出発。こっちにきてから何度となく歩いているソカロへ向かい、カテドラルに入る。サンフェリペ・ネリ教会を見てからラソレダー教会へ。ラソレダー教会は外壁のレリーフが素晴らしいと思うぞ。今日は天気のいい日で、青空と教会のコントラストが綺麗なのだった。教会と建物が繋がっている博物館の横の広場では、高校生か大学生かがラジカセで音楽をかけてダンスの練習をしていたりして。いいなぁ、この雰囲気。中に入ると地元の熱心な信者の方達が何人も祈りを捧げている。観光客の姿もちらほら見えたけれども、サント・ドミンゴ教会よりシンプルで静謐な感じを受けた。入口上の2階部分ではパイプオルガンの練習中。曲は時々止まりながら、くり返しながら、鍵盤を引く人の横には指導する人が立っていた。私達は椅子に座り、しばらく時を忘れたかのようにパイプオルガンの音色に聴き入っていた。
 どのくらいそこで過ごしていただろう。ラソレダー教会の道路を挟んだ横にももう一つ教会があるのを見ていた私達は、今度はそちらに移動する。残念ながらこちらの教会は扉が閉まっていたのだけど、教会の隣にある建物の扉が開いていて、中から出てくる人がいたのでそちらに入ってみることにした。中庭には死者の日の砂絵の数々。中庭をぐるりと囲む廊下には子供達が書いた絵。ここは小学校なのかもしれない。階段を登って2階にあがり、上から砂絵を見下ろしてみる。2階の回廊にはギターを引きながら歌う青年。あぁ、なんて、なんて! なんていい雰囲気なんだ!
 いつまでもここにいたいと思ってしまう居心地の良さに名残りを惜しみつつ、昼食を食べに市場へ向かう。その後もいくつかの教会に入りつつ、最後に寄ったお土産屋で衝撃の出会いが!(笑)。
 
オアハカの民族衣装買っちゃったよ!
 もうね〜、一目惚れ。ヤラレタ! それなりの金額はするんだけど、これだけの刺繍が前後にしっかり入っていて、裏地もしっかりついていて、裾はレース。色といい形といい、めっちゃ気に入って試着もしちゃたし、そしたらもうダメ。買っちゃったんだな〜、これが。つい。すっごいかさ張るのに!(笑)。父親に日本からの頼まれ荷物を渡していたから荷物の中は結構スカスカだったしね。それにかさ張るとは言っても布だし、型くずれするようなものじゃなかったから、ぎゅうぎゅう押し込んでなんとか持ち帰ってきたですよ。帰国後に撮った衣装の写真はこちら
 そんなこんなでホテル行きバスの時間ギリギリで大物を買ってしまった私達(というか、買ったのは小田蘭だけ)。慌ててバスに乗り込んでホテルで荷物を受け取って、今朝お願いしていたタクシーをロビーで待つこと十数分。
 
タクシー来ないよっ?!
 メキシコシティまでバスで何時間かかると思ってんのよ。予約してあるバスに乗れなかったらどうしてくれる! 小田蘭がホテルの入口でタクシーが来るかどうか見張っている一方、桂さんがフロントに
『タクシーが来ない!』と言いに行く。『ちゃんと連絡はしたんだけど、おかしいわねぇ。じゃあもう一度呼ぶわね』ということになり、私達の焦りが伝わったのかフロントスタッフも心配して入口まで出てきてくれる。やっと到着したタクシーに急いで乗り込んで『1等バスターミナルまで!』
 いやはや、なんとか無事にたどり着けました。バスに乗る前に空港並みのセキュリティチェックを受けさせられて、乗り込んで少しすると出発。あ〜、良かった。これで後は眠っていてもメキシコシティへ運んでくれる。ホッとして、映画を1本見終わった後はぐっすり………。んー? 外は真っ暗、でもバス動いてないなぁ。って、渋滞かいっ!? うーわーっ。父親が出迎えてくれることになってるのに。まぁ、そんな時間ピッタリに運行するとは思ってなかったけどさ、到着が真夜中になっちゃったじゃん。でも幸いなことに、父親の乗っていたバスも遅れていて私達の到着とそう大差なかったらしい。不幸中の幸い?
 死者の日の最終日で田舎に帰っていた人達が同じように移動してシティに戻ってきたからなのか、バスターミナルは真夜中でも大混雑。特にタクシー待ちの列のすごいこと。それを横目に予め父親が頼んでいた運転手の案内で車に向かう私達。こういう時ってラッキーって思うよね。
 途中、アンヘル(独立記念塔)の近くで警察の検問(? 運転手がチェック受けてた)を受けて、日付けが変わる頃にホテルに到着。このまま眠ってバタンキュー。
 



2003年11月3日(日)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
入場料/テオティワカン 37.00 396
マリアッチ/昼食時に歌1曲 40.00 396
道端のナッツ売り/1カップ 5.00 50
スーパー/ビール4本 37.00 366
メスカル虫入りミニボトル 26.00 257
タワーレコード/CD2枚 196.00 1,940
 昨日の到着が遅かったというのに、朝も早よから私達は朝食前の朝散歩♪
 このホテルは独立記念塔(通称:アンヘル)の近くにあって、昨日の夜は部屋の窓からライトアップされた塔を見ることができたのだ(アンヘルが見える部屋にして、とお願いしていた為もある)。そこで今朝は実際にアンヘルへ。
 アンヘルの説明は写真館を見ていただくとして、このアンヘルは大きな道路のド真ん中にあるのですよ。あっちへ行く道4斜線、中央分離帯を挟んでこっちへ来る道4斜線。そんな道のド真ん中がロータリーになっていて、そこにど〜んと聳え立つ塔。メキシコってこんな感じで道の途中にロータリーがいくつもあるのだ。そしてそのロータリーはそれぞれになにがしかの建造物が建っている。コロンブス記念塔とか、クアウテモック記念像とか、そんなロータリーの建造物の一つが独立記念塔。ここは天辺に金色の天使の像が建ち、台座部分には独立の時に活躍した人達の遺骨が安置されている。
 私達はまず道路を横断歩道に沿ってアンヘルの台座へと近付いてみた。まだ7時前だからそれほど車の数は多くないのだけど、これが7時を過ぎるともう、すごい車の量なのですよ。階段を登って台座の前に立ち、そこからまっすぐ走る道路へ目をむけてみる。7時をすぎたらまーさーに、怒濤のように車が押し寄せてくる様がよく分かる。昨今はあまりのシティの道路事情の悪さ故に、シティへの車の乗り入れに規制がかかっているというハナシだ。公共交通機関(バスとか)は除き、ナンバープレートの末尾番号によってシティへ入れる曜日が決められているのだそうだ。いつぞや東京都でもそんな乗入れ規制の話が出たことがあったと思うのだけど、メキシコシティは実際そうやらないと渋滞しまくってどうにもこうにも大変らしい。ま、ここで道路を眺めているとそれも分かる。うん。規制されてんのにこの車の量だもん。規制がなかったらどうなることか。
 アンヘルまで朝の散歩にでかけ、ホテルで朝食を取った後にはテオティワカン! ほほほ♪ 小田蘭にとっては4回目。メキシコは来る度に一緒に旅している友達が違うもんなぁ。だから毎回必ずテオティワカン。すっかりガイドができるわよん(笑)。しかし、テオティワカンは来る度に日本人観光客が増えている。数年前なんて、遺跡内で日本人に出会ったらお互い「え?日本人?!」って驚いたくらいだし、死者の道を歩いていたら家族連れのメキシコ人観光客に声かけられて子供と一緒に写真撮ったこともあるし、学生の集団に囲まれたこともあったというのに。今回はまぁ、遺跡にいる全体的な人数は比較的少ないのに日本人比率が多い。日本人ツアー客は何組もいるし、個人旅行者もいるし、ガイドを連れた人達もいるし、数年前に比べてメキシコもだいぶ日本人の間でメジャーになったのね。
 そうそう。月の神殿を登っていたらどこかで見かけた人達が…、と思ったらモンテ・アルバンでバスが一緒だったお姉ちゃん達(黒人と白人の2人組)でした。そこで会った日本人女性2人組も数時間後に街中で出会ったし、旅人のルートは似ているらしい(笑)。
 遺跡の近くでお昼ご飯を食べた後は、実は今まであまり行ったことのなかったシティ観光へ。これまでの小田蘭のメキシコ旅行と言えば、遺跡とか遺跡とか遺跡とかカンクンでまったりとか。…てなもんで、メキシコシティに滞在していたことってそれほどなかったんだよね。入国と帰国の時に1〜2泊とかで、必ずテオティワカンには行くからほぼ半日はそこで使い、後は人類学博物館とかソカロとかくらい。あ、一度ソチミルコと自治大学には行ったか。
 今回は私が前々から「メキシコ独特の教会が見たい」と言っていたので、父親が気を利かせてグアダルーペ寺院まで車を向けてくれた。ここはフランスのルルド、ポルトガルのファティマと共にローマに認められたカトリックの3大奇跡の1つなのだ。褐色の肌のマリア様で有名な、メキシコ最大の(…というよりはラテンアメリカ最大の)カトリック教会の聖地。それこそメキシコ中から信者が訪れるそうだ。広い敷地に旧教会、ドーム状の巨大な新教会があり、それらの建物の前には大きな広場が広がる。旧教会は地盤沈下により若干傾いていて、その為に新しいドーム状の教会が作られたのだ。きっと人が集まる日にはこのドーム状の教会も敷地内の広場も、ギッシリと人で埋めつくされるんだろうなぁ。くだんの褐色の肌のマリア様はドーム状の教会の中で見ることができた。その前を動く歩道に乗って通り過ぎながら見れるのだけど、小田蘭にしてみれば「褐色と言われればそうかな〜」という程度だった。しかも像だと思いこんでいたら絵だったし(正しくはマントに描かれたもの。参考:http://www.page.sannet.ne.jp/megmeg/viaje96/viaje99/guadalupe.htm)。「おぉっ! これがそうか!」って感じではなかったかな。しかも私なんか、
「え? これ?」とか不心得者な感想を漏らしてしまったのだった(汗)。だって像だと思っていたんだよ〜。熱心な信者が聞いたら怒りそうだ(汗)。
 グアダルーペ寺院を出ようという時に家族連れの女の姉妹2人に写真をせがまれて一緒に撮り、私も彼女達を撮らせてもらう。続いて三文化広場。そしてお馴染みソカロとカテドラル。なんだか盛り沢山で回っていたら日も暮れて、明日の早朝帰国便に備えて早めに寝なくちゃ。



2003年11月4日(月)〜5日(火)

明細(一部抜粋) 外貨 円貨
宿泊代金/ツイン1泊分 700.50 6,935
 昨日のうちに今朝の空港までのタクシーを手配しておいたので、朝は4:45にはフロントに下りて来てチェックアウトをする、という予定だった。それに合わせてさくっと寝たのにやっぱり4時起きはツライよ〜。
 眠い目を擦りつつフロントに下りると……暗い! ロビーの電気は消えていて、ソファで毛布を被って仮眠をとる従業員(笑)。私達が下りてきたのに気付いて起き出したので、ささっとチェックアウトを済ませてしまう。そうして父親が下りてくるのを待つのだけど、
下りてきやしないじゃん! 飛行機の時間が7時過ぎ。市内から空港まで渋滞がなければタクシーで30分くらい。5時にはここを出ないといけないね、と昨日の夜確認したじゃんよ〜。4:50になるときちんと呼んだタクシーがやってきた。なのに父親は下りてこない。フロントに行って父親の部屋へ電話をしてもらうことにする。父親の部屋は508だと昨日聞いていたので、『508に電話してほしい』と言うんだけど、フロントの人は『あなたのお父さんの部屋は503でしょ?』と503に電話をしてしまう。案の定違う人だったらしく、スペイン語でなんだかんだ話して電話を切った後に『で、何号室?』って…。508だって言うとるやん! こんな早朝に間違い電話で起こされた503の人、すみませんねぇ。そして改めて508の部屋に電話をしてもらって変わってもらう。「もしもし? おとうさん? 起きとる?」「あぁ…。起きてるよ……。…いま行く」絶対寝てたな
 やっと5時を回った頃に下りてきたと思ったら、私達が先にタクシーに荷物を運び入れて待っているというのに、今度はフロントで何かしていてなかなか外に出てこない。どうやら昨日、父親は4:30にモーニングコールを頼んだらしいのだけど朝の電話がなく、私達が心配になって電話したので起きたらしい。やっぱり。それでフロントで揉めていたんだってさ。フロントの人が昨日とは違うから埒があかないっていうけどさ、もう3年以上こっちに住んでいるんだから、そろそろラテンアメリカンのいいかげんさに慣れようよ。これが5つ星とかついている最高級ホテルだったらもっとキッチリしているだろうけどさぁ、というかキッチリしていないとマズイけどさぁ。中級ホテルクラスでそういう仕事に期待しすぎるのはハズレも多いって。
 そんな訳でホテルを車で出発したのは5:10頃。早朝でガラ空き状態の道路に加えてこのドライバーがとばし屋だったせいもあって、15分足らずで空港に着いちゃった。ラッキー、助かった! UAのチェックインカウンターは結構人が並んでいたけど、1時間弱でなんとかチェックイン終了。ゲートが遠いからそのまま中に入ることにする。父親はこれからバスターミナルへ向かってメキシコ郊外へ戻るのだ。まぁ最後がバタバタだったけど、今回も手配等々ありがとう。
 しかし問題は更に続く…。
 私達はメキシコシティからサンフランシスコへ、サンフランシスコで乗り継いで成田へ向かうことになっていたのだけど、搭乗口で待っていると、何故かアナウンスで
『ロサンゼルス』という単語が聞こえてきた。ロス? 私達が乗る飛行機はシスコ行きだよ? 途中でロスになんか下りる飛行機じゃないよ? なんだか『遅れ』とかいう単語ももれ聞こえてくるし、なんだなんだ? 桂さんが搭乗口の前にあるカウンターへ行って聞くと『大丈夫』だって言われたらしいけど、大丈夫って本当に大丈夫なんだろうか。
 果たして、やはり、大丈夫じゃないじゃん。
 1時間半程飛んだ所で下降が始まり、機内アナウンスではやはり
『ロサンゼルス』という単語が聞こえる。注意して聞いていると降りた所で『ウェルカム トゥ ロサンゼルス』とか言ってるし! その後も注意して聞いていると、シスコに行く人はこのまま乗っていてくれ、とのアナウンス。客室乗務員に『私達はサンフランシスコで乗換えなんだー!』と言ってみるも、『乗り継ぎ便には連絡がいっているし、他にもそういう人はいるから。東京に行くあなた達の便は大丈夫だ』と言っているんだけどさぁ…。UAは前にものんのんさん達が香港で置いて行かれた話も聞いているからイマイチ信用しきれないんだって。
 そんなこんなでサンフランシスコに到着したのは成田行きの飛行機離陸時間の30分前。
 飛行機を降りたとたんに2人で
「急げーっ!」と荷物を持って走って(全部機内持ち込みにしておいて良かった)、入国審査でも係員にチケットを見せてアメリカ国民用の窓口で優先的に通してもらい、税関職員にもチケットを見せると『おぉぅ! 早く行きな』とほぼノーチェックで通過。乗り継ぎでもなんでも初めて来た空港なので勝手が分からず、国内線ターミナルの方に行きそうになって慌ててUターン。インフォメーションのおじちゃんにチケットを見せると『2番に行け』と言われ、2番と書かれたカウンター近くにいた兄ちゃんにチケットを見せると彼は2人分のチケットを持ってどこかに消えてしまった。
「はーやーくーっ」「あの兄ちゃんどこ行ってるんだろう〜」「うわぁ! もう時間まで5分だよ」
 そこで5分くらい待たされて、本来乗るべき成田行きの離陸時間まであと5分って所でやっと兄ちゃん登場。
『君たちの乗る飛行機は飛んでいってしまったから、次の便に振り替えておいたよ。ダイレクトで成田まで行くやつだから、この先のチェックを受けてゲートへ向かってね』
「は?!」

 そりゃーもう、2人で目が点になって一瞬固まっちゃいましたわよ。ちょ、ちょっと待って! 機内で大丈夫って言われてたのに! なんでなんで? いやまぁ、1時間半くらい後の便だからそんなにたいした違いじゃないとはいうものの、大丈夫だって言ってたのにやっぱり全然大丈夫じゃなかったじゃんか! 飛行機降りてからあんなに走ってきたのにーっ!
 ま…まぁ、仕方ないか…。
 …と、ヨロヨロとセキュリティーチェックに向かうとチェック待ちの列の前で係員が
『メキシコからのお客さまいらっしゃいませんか〜?』って、え?! なんだい、そのままのチケットでもいけたんじゃん! 元の飛行機に乗せてくれ〜、と言うものの振り替えられてしまったチケットではどうすることもできず。慌ててカウンターに戻って元々の飛行機に戻してもらおうとしてもあの兄ちゃんは見当たらないし、カウンターの姉ちゃんは『あなた達の飛行機は飛んでいってしまったんだからもうダメよ』とさっぱり取り合ってくれない。結局予定便より1時間半遅い飛行機で帰ってくることになったのだけど、まぁここで1泊とかするハメにならなくて良かったかな。いやでも、1泊することになったらなったでそれも面白かったかも。初めての土地だし〜(笑)。

 そんなこんなで最後に焦った今回の旅なのでした。