はじまりの地

メキシコ
1997年7月10日(木)〜7月19日(土)

last up date/2006.04.01

このページの壁紙とラインは、メキシコで買ってきたタイルの模様を元に、けいさんが素材化したものです。


この時のお小遣い帳は不備が多くて記録が残っていないので、残念ながら空白が多いです。
出発前
■出発時頼まれ物リスト■
   ポッキー各種【日本のお菓子は喜ばれるらしい】
   日本的な小物(小箱とか風鈴とか扇子とか)
   日本の流行ポップスカセット
   お香セット【日本の香りは好まれるのだろうか・・・】
   湿布薬(母希望)【ケガでもしたの?】
   カルシウム剤(母希望)【骨粗鬆症?】
   折り紙(大中小各300枚程)【折り紙教室でも開くんかいな・・・】
   2,000円〜3,000円くらいのシャーボ×5本【メキシコで手に入るものはあっても、やはり日本製が使いやすいらしい】
   日本紹介の英文の本(絵・写真の多いもの)×3冊
   和紙の折り紙ピアス×10個
   ゴルフボール女性用1ダース【なんで女性用?】
   画鋲【画鋲も日本製がいいの?】
   ふりかけ各種【日本の味が恋しいのかしらん】
   押絵1,000円くらいのもの×5枚、500円くらいのもの×5枚
   お茶漬けふりかけ【日本の味やねぇ】
   父親用誕生日プレゼント【一応来月だからね】


 上記のものは、小田蘭の出発前に父親から連絡がきた「持ってきて欲しいものリスト」。【】内は小田蘭のコメントです。
 まぁね、赴任して数ヶ月、まだまだ周りの人達や自分の生活用にも揃えたいものはあるだろう。それにしても! 私は運び屋かってくらいの荷物じゃないのさ。実際ポッキーなんかは一緒に行く友達にお願いしたりしたけども。更に出発当日の朝になって同居の祖母から「ニンニク瓶詰(大小×4個)【重いっつーの】」まで託されて、私の小さなソフトスーツケースははちきれんばかりになりましたよ。お土産で。でも大きなハードタイプのスーツケースではなく、あくまで小型のソフトスーツケースで行く。自分的に大きなスーツケースをコロコロ転がしていくのが好きじゃないんだもん。まぁ、父親や母親が持って行っていて、家に大きなスーツケースがないというのもあるんだけどね(笑)。

 ということで、メキシコです。
 遺跡関係は好きだったし、メキシコの有名遺跡所には前々から興味があった。チェチェンイツァーとかパレンケの翡翠の仮面とかね。でも、こんなひょんなことから行くことになるとは思いもしなかったよ。
 父親がメキシコに赴任するなんてさ。
 父親が赴任して早数ヶ月。会社の昼休みに同期と社食でゴハンして、残りの時間をのんびり雑談している時に今年の夏休みの予定をどうするかという話がでた。そこで私が
「夏休みはメキシコに行こうと思ってるんだ。いま父親が向こうにいるしね」ということを言ったら、興味を示した同期が一人。「じゃあ一緒に行く?」と同行者ゲット。その彼女が学生時代の友人の集まりでその話をしたところ、「いいなー。ねぇ、よかったら私も行ってみたい」と更に2人追加。会社の同期1人と、小田蘭的にはよく知らないその同期の友人2人というメンツで、夏のメキシコ行きが決まった。
 おおまかなスケジュールを組んで、4人分の航空券と宿泊は父親に頼んでメキシコで手配してもらった。父親からは上記「持ってきて欲しいものリスト」が届き、顔も知らない同期の友人達との初顔合わせも済ませた。待ち合わせは実家が近い同期とは途中駅で、他の2人とは空港で、少し早めに7月中旬の夏休みが始まった。


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   [01]出発の話




1997年7月10日(木)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
 JALの呼び寄せチケットなるものを4人分父親に手配してもらったので、メキシコまでの利用便は当然JAL。日本からメキシコへ向かう飛行機はノンストップの直行便がなく、北米で乗り継いで行くのが一番の近道になる。唯一の直行便と呼ばれるものは、JAL便のバンクーバー経由メキシコシティ行きだ。バンクーバーで1時間程のトランジットの後、同じ機体でメキシコシティへ入る。バンクーバーで降りる人ももちろんいるし、メキシコ・シティまで行く人は荷物の乗せ換えの心配をせずにそのまま同じ飛行機で行けるのが安心だ。
 さて、まずはJとの待ち合わせ。この頃実家住まいだった小田蘭とJは、共に中継点の大宮駅にて待ち合わせをし、大宮から空港へ向かうバスに乗り込むことにした。平日の真昼間だ、道が混むこともないだろう、と成田で他の2人との待ち合わせを離陸の約2時間前ということで16時に設定し、更にその2時間前に大宮を出発するバスに乗り込んだ。
 大宮駅の改札を出た所でJと合流してバス乗り場に向かうと、思いがけずに乗車待ちの人数が多くて驚いた。バスには乗れたものの、他の人達に比べて荷物の少ない私達のバッグはバスの下の荷物預けに入れさせてもらえなかったくらいだ。まぁ、小田蘭は小型のソフトスーツケース、Jも修学旅行で使ったような大き目の黒バッグだったから座席の前に置いておけるけどさ(窮屈だけど)。だけど、これが後々功を奏すことになるとは思いもよらず。この時は2人でぶーぶー文句を言いながら乗り込んだのだった。
 小田蘭は乗って爆睡。ふと目が覚めるとバスが動いていなかった。時計を見ると15時を回ったくらいで、そろそろ千葉県に入った頃かと隣に座るJに聞いてみる。だがしかし・・・。
「ええっ?まだ都内?」「渋滞なんだって」「うっそ。大丈夫かな、Nちゃん達との待ち合わせまであと1時間もないよ」「連絡つけられないのに困ったよね」
 そう、1997年というのは友人関係で携帯電話を持っている人は殆どいなかった。バスの社内に公衆電話はついているものの、電話をしようにも受け手に電話がない。 ドキドキしながら都内の渋滞を抜けて千葉県に入ったと思ったら、今度は事故渋滞! カンベンして〜〜〜〜。は・や・く、は・や・く! いくら私達が焦っても渋滞が解消するわけはなく、成田での待ち合わせ時間を1時間過ぎた頃にようやく空港施設内へ。バスが空港施設内に入る時は、パスポートや身分証明をチェックする為に係員がバス内に乗り込んでくる。今の私達にはその時間ももどかしい! 時間がないんだよ、早く降ろして〜〜〜〜!
 荷物が荷物室に入っていなかったのがせめてもの救い。到着した途端に荷物をつかんでバスを降り、ダッシュで待ち合わせ場所へ。待っていたNちゃんとKちゃんに
「ごめ〜ん!」と声を掛けて、大急ぎでチェックイン。2人が事前に確認してくれていたところ、チェックイン時間は17:10までだったとか。まさにギリギリ。だって全員分の航空券、私が持ってるんだよ。本当に間に合ってよかった! 航空券を送ってくれた時に、向こうの人が出国カードだの入国書類だの一連の必要書類の自筆署名以外の欄を記入しておいてくれたおかげで助かったわ。出国カウンターも空いてたし、ラッキーでした。離陸時間は17:50予定。17:10までがチェックイン可能時間だってところをギリギリ滑り込み、搭乗もギリギリ、でも滑走路が混んでいるとかで、離陸まで1時間近く機内で待たされたんだけどね。まぁ、間に合ってよかったよ。

 バンクーバーまで約8時間。ここでメキシコ行きの人達も一旦飛行機を降りて、乗務員交代と機内清掃の後に再び同じ機体に乗り込むのだ。
 バンクーバーの空港ってキレイですごく開放感がある。私はここのトランジットエリアしかしらないけどさ、天井が高くてガラス張りでフロアには木も植わっているし、どこかが空いているのかスズメみたいな小さな鳥が数羽飛び交っているのよ。すごく気持ちいい空間なの。1時間たっぷりリフレッシュして、メキシコ・シティまでまた約5時間のフライト。若干の遅れでシティに到着すると、飛行機を降りたところまで父親が迎えに来てくれていた。実は同じ飛行機のビジネスに会社関係の人が乗っていて、本来はそっちを出迎えにきたみたいなんだけどね。なんだかよく分からないけど、空港内に入らせてもらえるパスを貰っていたみたいだ。それにしても、ここで一緒になった会社関係の人にもJALの客室乗務員にも同じことを言われたんだけど、
「スリと強盗には気をつけて」って。やっぱりそんなに危ないのか、メキシコって。ちょっとドキドキ(汗)。
 私達が乗ってきたJAL便以外にも飛行機が到着したのか、入国のカウンターは結構な人が並んでいた。飛行機を出てから1時間くらい経過して、やっと税関までたどり着く。メキシコに到着する前からFAXで父親からここの税関の特殊性を教えてもらっていたというのに、そんなことはすーっかり忘れてやっちゃいましたよ。
「税関は荷物を荷物台に置いて、そこにあるボタンを押して、赤なら荷物チェック、青ならそのまま進んでよし、進むときは信号機みたいな機械の左側から進みなさい」
 間違っちゃったよ!
 ランプは青だったんだけど、右側から進んじゃった(汗)。
 信号機みたいな機械を右側から通り過ぎる時に係員が何か言っていたんだけど、スペイン語なんかこの時はひとっことも分からないから
「え? なんでダメなの? 青だからいいんでしょ?」ってな雰囲気で押し通して進んじゃったよ・・・。結局係員はあきらめ、親やら友達には笑われ、着いた早々やっちゃったー。
 税関を出た所で母親とも合流して、私達4人と小田蘭両親2人の計6人が一度に乗れるバンに乗り込み、ホテルに着いたらとりあえずチェックイン。その後、今回のメキシコ旅行でガイド役を頼まれてくれた、両親が住んでいる近くにいる大学生&高校生姉妹と一緒に、ホテルのレストランで顔合わせ&簡単な食事。そして父親から頼まれた荷物をまとめて渡して、ざっと今回の旅行の予定を確認してから部屋へ解散となりました。


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   [02]飛行機の話1(1997)
   [03]飛行機の話2(1997)
   [04]立体パズル




1997年7月11日(金)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
朝食/8人分チップ込み 258.50 3,865
入場料/テオティワカン 16.00 239
昼食/8人分チップ込み 733.50 10,966
唐辛子型ペンダント7つ 50.00 748
 朝は両親とガイド役J&Dと私達、という8人の大人数でホテルのレストランにて朝食
 ここで昨日の夜の疑問を投げかけてみた。
「なぁ、ホテルのシャワーなんじゃけど、表示が普通と違わん?」
 (小田蘭は出身が岡山なので、両親と話すときはバリバリ岡山弁でございます。周りに友人達がいても気にせず岡山弁)
 昨日の夜のことだった。皆と別れて各自の部屋に戻ったら、さっそくお風呂に入って睡眠だっ、と私が先にシャワーを使わせてもらった(部屋割りは、小田蘭&J、Kちゃん&Nちゃん)。蛇口についているアルファベットは「F」「C」。何も知らない私は、今までの経験から「C」は水だと思っていたのですよ。普通ホテルの部屋で蛇口についている標記って、水が「C」で青色、お湯が「H」で赤色じゃない? 今回もてっきりそうだと思っていたのね。水は「C」でいいよね、でもお湯がなんで「F」なんだろう。メキシコはスペイン語圏だし、ホットの標記がスペイン語だと「F」になるのかな、普通と蛇口の位置が逆だけど(「C」が左で、「F」が右に位置してた)、メキシコでは蛇口の位置が違うのかな、と思ったのさ。ところがどっこい、「F」と書いてある蛇口をひねっていくら待ってもお湯が出てこない。冷たい水のまんま。もしやこれは壊れているのかとさえ思って、このままお湯が出なかったらホテルの人を呼ぶしかないのか? でも呼んでもどう言ったらいいんだよ。うーーーーん。。。。。。 と、お風呂の準備は万端で真っ裸のまま悩んで悩んで、押してだめなら引いてみな、右(F)でダメなら左(C)ならどうだ、・・・と「C」と書いてある左の蛇口をひねってみたら、お湯が出るじゃない! なんだこれは。蛇口の位置は合ってるけど文字が逆じゃんよ。どういうこと? でもとりあえずお湯は出る。いきなり「やっぱ間違ってました〜」とか言ってお湯が水になったりしたらとんでもないから、今のうちにさっさとシャワーあびちゃおう。と思って「C」の文字をひねると出るお湯を使ってシャワーしていたわけですよ。
 で、本日だ。一応そういうことを両親に聞いてみようと話を振ってみたら、やっぱりKちゃん&Nちゃん達の部屋でも同じだったらしく、やっぱり同じように「F」の文字がついた蛇口をひねってお湯を待っていたらしい。
「あぁ、それな。Fがお湯であっとるよ」
「は? そうなん?」
 母親にあっさり言われちゃったよ。
 スペイン語では、冷たい=フリオ=frio、熱い=カリエンテ=caliente、となるのだそうだ。
 はぁ〜・・・。知らなかったよ。こんなスペイン語の罠。今となってはいい笑い話なんだけどね(笑)。

 そんな超簡単スペイン語講座で単語を2つ覚えた朝食が終わり、まずは銀行でメキシコ通貨のペソの両替をしてからテオティワカンへ。昨日と同じバンに8人で乗り込んで行きますよー。行きがけに独立記念塔を見学してからね。
 メキシコシティは高地(2000m超)だから暑いんだけど、朝晩は長袖が必要なくらい涼しくなるし、湿気がなくて気持ちいい! 高地とはいえ、私なんかは別段空気が薄いとか思わなかったなー。息苦しくもなかったし。
 遺跡近くのお土産屋に寄って・・・ってもマージンが入るわけではなく(笑)、単純にメキシコにはどういうお土産モノがあるか見せてくれる意味で寄ってくれたんだよね。そこには大きなマゲイ(龍舌蘭)もあって一緒に写真を撮ってみた。だってすごいよ、私達の背丈くらいある大きさだよ。ふえ〜。これからテキーラが作られるんだ〜(正確には違います。龍舌蘭から作られる蒸留酒を「メスカル」といい、その中でもテキーラ町原産のアガベ・アスール・テキラーナという品種を使ったものをテキーラというのです)。
 テオティワカンは太陽のピラミッドの正面に位置する入口から入り、当然太陽のピラミッドを登る。空気が薄い感じもなかったから高地だって意識もなく、普通に登り降りしてました。その後は月のピラミッドにも昇って、そこらを歩いているお土産売りのおっちゃんから唐辛子型のペンダントを7つ50ペソで購入。お土産にしよ〜っと。そんなことをやっていたら、先に月のピラミッドを降りたはずのJとKちゃんが見当たらなくて、皆で周辺を探すけど見つからず。太陽のピラミッドの辺りまで戻っていたところをやっと見つけたのでありました。確かに最初は太陽のピラミッドの辺りで車を降りたけどさ、ドライバーは月のピラミッドの脇の駐車場まで車を移動させていてくれたんだよー。いなくなって心配したじゃんか。いやはや、このJ&Kちゃんのコンビは、この旅行中これからもなにかと心配コンビなのでありました。

 続いての観光はソカロ。宮殿とテンプルマヨールとカテドラルに入ってきた。宮殿の建物の中には壁画がどどーん!とあって、時間があるならここは是非見てみたらいいかも。壁一面の壁画は迫力です。
 で、それから昼食。昼食ったって、もう16時過ぎてるんだよ。お腹すいたーーーーっ! でもメキシコでは普通にこの時間がお昼ごはん。さすがに16時からだと少し遅い方にはなるみたいだけど、通常でも14時くらいからが昼食時間だっていうんだもん。しかも1日のうちでは昼食が一番のメインになるから、それこそ2時間くらいかけてたっぷり食べる。私達もお店に入ったのが16:30くらいで、食べ終わってお店を出たのは18:00頃だったもんね。お昼っていうか・・・日本人の感覚だと早めの夕食だよ。
 こんなにお昼(?)ごはんをたっぷりゆっくり食べたのに、ホテルに戻って一息ついたら20時頃にホテルを出て散歩しながら21時予約のショーを見ながら食事ができるお店へ行く。もう入んないってば。まぁ、アラカルトで適当に。つまみ程度でメインはショーを見ることだ。メキシコ各地の民族舞踊やマリアッチ。ショーの最中にはお客もステージに上がらされ、私達のグループからは小田蘭の父親とKちゃんが引っ張り出されて踊ってた(笑)。ショーのラストは23:30頃で、風船が上から降ってきて周りのみんなでそれを割る、と。
 いや、おもしろかったけどね。さすがに到着の翌日に朝から遺跡登って観光してじゃあ、ちょいと疲れるわ〜。


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   [05]バスルームにおけるCとFの使い方




1997年7月12日(土)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
昼食/6人分チップ込み 261.00 3,902
入場料/大学美術館 8.00 120
ソチミルコ/船代(1台) 100.00 1,495
ソチミルコ/マリアッチ2曲 70.00 1,047
入場料/国立人類学博物館 20.00 299
博物館カメラ持込 10.00 150
ポーターチップ 10.00 150
 今朝の朝食はホテル内にあるもう一つのレストランで。
 朝食の後はチェックアウトして、私達の荷物は預かってもらい、両親は2人でアカプルコにバカンスへ出かけていった。私達4人+メキシコ人姉妹J&Dの本日のコースは、自治大学とソチミルコと国立人類学博物館。そして飛行機でビジャエルモッサへ移動。

 まずは大学。メキシコは壁画の国だ。大学内の建物の外側一面に壁画が描かれている。図書館の壁なんて壮観だよ。これが図書館? 中身もすごい書籍が揃っているんだろうけど、これはハコ(建物)もすごいよ。緑の芝生のひろ〜〜〜い敷地なので、すごくのんびりできる場所だった。大学っていっても公園代わりにのんびりしにきてもいいかなぁ、って感じだよ。
 この大学のミュージアムではちょうど彫刻展をやっているとのことで、せっかくだから入ってみる。・・・って、見てたらあっという間に時間がぎちゃって、慌ててソチミルコに移動〜。今日は飛行機移動もあって後ろが決まっているからね、気をつけないと。

 ソチミルコってのは、簡単に言ってしまえば水上公園? 世界遺産にもなっている、船遊びが出来る場所。湖というか浮島がいたる所にあって水路のようになっていて、その間をお客を乗せた船が行き来するのだ。だいたい1船を借り切って、その船の中でわいわい騒いて飲み食いして、って感じ。お客の船以外にもお土産物を売る船あり、花や食べ物を売る船あり、マリアッチ船もあって頼むと併走して1曲いくらで演奏してくれるのだ。
 ということで、私達も6人で小さめな船を1隻借りて行ってみるかー。この船着場がもうすっごいぎゅうぎゅうでね。船がギチギチに詰まっていて、どうやってこの船を湖まで動かすのよ、ってくらい沢山の船がひしめき合っている。私達は船を借りるには少人数なので小さめな船を選んだのだけど、その船に乗り込むには岸からその船まで間にある別の船を越えてたどり着かないといけない(なんせ岸までその船を動かしてくることが容易じゃないから、自分達がそこまで行かないと)。そして目的の船に乗り込んだら、今度は船頭さん達が数人がかりで長い棒で水底を突いたり、自分の体全体を使ったりして周りの船を押し出し押し出し。船と船の間に少ずつ隙間を作って、私達が乗っている船をその隙間に捻じ込んで湖の広い場所へと誘導する。そしてやっと、広い場所に出たら担当の船頭さんが水底を突く棒で舵を取りつつ進んでいく、と。こういうわけだ。
 湖の水はにごっているし、あまりキレイな水面ではないんだけど、雰囲気はいいかもね。タイの水上マーケットもこんな感じなのかな。
 では、せっかくなのでマリアッチでも呼んでみよう。今までも何隻かマリアッチの船はいたし、演奏してお客の船と併走しているのもあった。でも、いざ自分達が呼ぼうとしてみると、何故かなかなかいないもんなんだよねー。あっ、あそこにいるよ。あっちあっち。うっわ、船頭さんが呼んでくれたらすごいスピードでこっちに来るよ、あのマリアッチ船。「あの客を他に取られてなるものかー」って感じかしらん(笑)。
 話のネタに1回くらいいかがですか? ソチミルコ。

 自治大学でのんびりしすぎたからか、国立人類学博物館では見学時間が2時間弱しかとれなくてちと残念。1階部分しか見れなかったよ−(2階は民族に関する資料とか、そんなフロア)。JとKちゃんは微妙に疲れているし、小田蘭とNちゃんで辞書を片手に見て歩く。博物館では入口で荷物を預けさせられてしまっい、その中に某ガイドブックも入っていたから数ページあった博物館の解説が見れなくて失敗したよ。カメラはしっかり持ち込み料を払って手にしてたんだけど、ガイドブックはちょっと失敗したね。
 博物館を出ると、向かいの広場でボラドーレスをやっていた。見る見る! こんな所で見られるなんて! 見ていかなくっちゃ損だよね。と、天辺からぐるぐる回って降りてくるまで数分じっくり見ちゃいました。

 夜の飛行機でビジャエルモッサに向かうのだけど、その前に腹ごしらえもしなくっちゃ。というわけで昼食に向かう。昼食って言ってももう15時過ぎてるもんね。日本人お腹すいたー!(笑)
 当初お昼を食べようとJ&D姉妹が考えてくれていたお店は人でいっぱいで、急遽別なお店を探すことになる。どうしよっかねぇ。でも私達何も分からないしね。う〜〜ん・・・と思っていたら、いきなりドライバー氏がそこら辺にいる人に声をかけた。
「オラ! アミーゴ!」
 えええぇっ?!!!!
 な、なんか普通に話しているけど、この人達知り合い? いや、そんなはずないよね。だって普通にその辺歩いているおじちゃんに声かけてたようにしか見えなかったよ? でも「アミーゴ」? うわーーーっ、本当に呼びかけで使う言葉なんだね、「アミーゴ」って。びっくりした。日本人カルチャーショック(笑)。
 カルチャーショックといえば、車で移動してる時に信号なんかで車が止まると、車と車の隙間を縫って物売りが寄ってくるんだよね。新聞とかお菓子とか。そのなかにカラフルなおせんべみたいなものがあって、J&D姉妹に
『あれは何?』って聞いたらJが買ってくれて食べてみることができました。メキシコのお菓子だって。なんというか、ポンポン菓子を伸ばした様な味のする薄っぺたい色のついた生地で水飴を挟んで半分にした様なものだった。美味しいかと言われればそう美味しいもんじゃなかったけど・・・。あと、勝手にフロントグラス掃除していく人! んもー、こっち(ドライバー氏)がいらないってジェスチャーをしているのに、ペットボトルみたいなものに入れた液体洗剤を降りかけて勝手に拭いてお金を請求するんじゃない!

 メキシコシティからビジャエルモッサへはメヒカーナ(メキシカーナとも言う)という航空会社で移動。約1時間。
 うっわ、すっごく蒸し暑い!! シティは乾燥していたけど、こっちは夜でもベタベタと湿気が絡みつくよーっ。それに高地(メキシコ・シティ)からの移動だったから、荷物に入れていたミネラルウォーターのペットボトルがベコベコに凹んでいた。これ、逆の時(メキシコ・シティへの移動)は気をつけないといろんなボトルがパンパンになってはじけちゃいそうだ。
 それにね、ここまでメキシコの中に入ってくると英語通じないの? 案内されたホテルの部屋のエアコンがイマイチ効きが悪くて全然涼しくならなかったのね。で、電話で人を呼んだんだけど、これがさっぱり英語が通じなくてまいったまいった。
『エアコンが壊れた』『涼しくない』とか言っているのに全然通じてないみたい。こりゃー埒が明かないわ、と思って「Ok.Thank you!」って言ってるのにそれさえ分からなかった模様。結局『グラシアス!』って言って帰ってもらったんだけどさ。う〜〜、う〜〜、う〜〜〜。これから先の言葉の問題がとっても不安(汗)。


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   [06]大学は美術館
   [07]水の都




1997年7月13日(日)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
朝食/6人分チップ込み 235.00 3,513
 この旅で一番行きたかったパレンケの遺跡に向かう。ビジャエルモッサからパレンケへ行くには車で2時間くらいかかるので、朝ごはんを食べたらすぐ出発だ!
 パレンケまでは約2時間。なんにもない、一直線の道路をひたすら進む。対向車もほとんどなし。両脇には放牧の牛だかがいる。たまに走っているトラックだの車だのを追い越して、ひたすら進む。荷台にやたら人が乗ってるトラックを見かけるなーと思ったら、どうやらあれは乗り合いバスの役割を果たしているようだ。ドライバーに
『あれはなに?』と聞いてみたら『バス』って言っていた。バ・・・バスかぁ・・・。その乗り合いバストラックを何台も追い越し、すれ違う。そのうちの1台をこれから追い越しかけようかという時、前を走っている車の荷台から乗ってる人達がやけにこっちを見てんなーと思ってたら、追い越しざまに手振ってわいわいと大騒ぎになった時には驚いたよ。しかもそのトラック、少しの間私らのバンと並走してるし。外国人が珍しかったのだろうか・・・。
 いやしかし、ほんっとうに暑かった! 日本の夏以上じゃないの? この湿気。ただでさえジャングルの中にある遺跡で湿気が多いというのに、碑銘の神殿の中に降りていくとなったらもう・・・。水の粒がふよふよ浮かんでいる中を掻き分け掻き分け進んでいく感じだわ〜。碑銘の神殿に登ってから地下への通路を降りていくんだけど、あまりの湿気の多さで石段が湿ってるの。うわっ、すーべーるーーーっ。地下に降りて、翡翠の仮面(レプリカ。本物はシティの国立人類学博物館。シティで見てこれてよかったー)とご対面。前も後ろも詰まっているし、この湿気ではとてもとても長居はできない。雰囲気を味わって上へ戻ると、外の空気が新鮮で気持ちいいったら。
 興味のある人には有名な遺跡だから混んでいるのも当たり前だよね、と思っていたんだけど、どうやらメキシコでは日曜日はだいたいの博物館&遺跡の入場料が無料になるらしいのだ。そうか、無料開放日か。そりゃー混んでるわ。
 たっぷり2〜3時間は見学していたかな(詳細は写真館を見ていただきたく)。パレンケの近くで昼食を取り、その後1時間程車を走らせてミソルハで滝を見てからビジャエルモッサへ戻ったのだけど、疲れていたのか帰りの車の中では4人ともぐっすり眠りこけてしまいましたとさ。


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   [08]白亜の遺跡




1997年7月14日(月)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
アイスクリーム 7.00 105
昼食/4人分(マクドナルド) 155.40 2,323
タクシー/
カンクン空港→ホテル1人分
50.00 748
 本日は夕方の便でカンクンへ移動。
 午前中はラベンタ野外博物館を見学だ。ここはオルメカ文明の遺物が屋外に展示されているのだ。オルメカ文明って言われても何のことやら分からない人が多いと思うのだけど、メソアメリカの中では初期の頃に興った文明です。黒人っぽい顔立ちの巨大な(人の背丈以上)人頭像が有名。なかなか愛嬌のある像が多くて、猿の像では私達のうち2人が一緒に並んで同じポーズを取り「三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)」やったり、アホなことやってるな〜、この頃の私達(笑)。あ、それは今もか。
 博物館の後はショッピングモール(ガレリア)で買い物をしたり、モデル地区と呼ばれる小奇麗で立派な一角の周りを車で見たり。本当は地元の人たちが買い物をするような場所に行きたかったんだけど、慣れない日本人だからって高級地帯を回ってくれたみたい。それほどこの周辺は危ないの? モデル地区も高級住宅地で、その区画は仕切られていて中に入るには駐車場の入り口みたいなバーがあって管理人がついているんだもん。貧富の差が激しいんだろうな。
 今日のお昼はちと早め、と言っても14時だけど(笑)。マクドナルドに行きました。違う国にきたらこういう日本にもあるファーストフードって一度は入ってみたくない? 日本とメニューが違ったりして面白いんだよ。うまい具合にここのマクドナルドの周辺には他のお店もあって、お土産物屋やスーパーにも入ることができてちょっとラッキー。やはり地元のスーパーは面白いのだ。

 ビジャエルモッサの空港でチェックインを済ませ、待合でカンクン行きの飛行機をぼーっと待つ。この貰ったチケットってのがね、太陽のイラストが印刷された画用紙みたいな紙で、そこに手書きで「12」って番号が書いてあったの。私達は顔を見合わせて
「もしやこれが座席番号?」と不思議に思っていたんだけど、実はそうではなかったのですよ。
 待合の窓から滑走路を眺めていたら、割と小型な飛行機が到着した。人が降りて荷物室から荷物を出したと思ったら、なにやら続いて新たな荷物が積み込まれていく。まさかこれに乗るんじゃない・・・よねぇ・・・? と見ていたらまんまと搭乗案内アナウンスが始まって、本当に私達が乗るカンクン行きの飛行機だった。え? 機内清掃とかしないの? ちょっと早くない? と思ったものの、係員の案内に従って乗り込む。チケットに書いてある数字の順番に入口に並ばせられて、搭乗してみたら既にあらかた席に人が座ってるよ? あれ? さっき降りなかった人もいるの? こんなの今までの数少ない海外旅行で行った国では経験ないよ。ふぇ〜。。。。まぁいいや。えっと、私達の席は、っと。「12」「12」・・・あ、「12」番の席に人が座ってる。オーバーブッキング? どーしよー(汗)。と、日本人4人で顔を見合わせていたら、客室乗務員に
『どこでも座ってね』って言われちゃった。
 えええぇっ? 自由席なの???
 とりあえず空いている席で4人とも比較的近くに座ったけど、離陸してから乗務員の女性からメッセージの紙をもらった。そこにはJ&Dからで、
『座席が自由だって言ってなくてごめんね』と書かれていた。ということは、言わなくても分かってる、つまりメキシコでは普通のことだってこと? ちょっと初めてのことでカルチャーショック。
 更に更に。カンクンまでは約1時間と聞いていたので、私はまたもや離陸直後から爆睡状態。ジュースやお菓子を配ってくれたことにすら気づかずに寝てました。そして30分後。なにやら降下している雰囲気で目が覚めると、次はメリダだってアナウンスが聞こえてきた。メリダ? メリダってビジャエルモッサとカンクンの間にある都市だよね。なんで? この飛行機はカンクン行きじゃなかったの? あ、でもさっきビジャエルモッサで乗った時も降りてた人いたし、乗ったままの人もいたよ。ってことは、メリダは経由地ってこと? メリダに到着して、前の座席に座っていたKちゃんとNちゃんが降りそうになったのを止めて、人が降りて空いた機内を座席移動してみた。4人で固まって座れる場所を確保してまたまた30分の飛行でカンクン到着。でもカンクンでも降りない人がいたってことは、この後もこの飛行機はどこかへ飛んでいくんだよね。いやー、なんだかまるで乗り合いバスのような飛行機だよ。


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   [09]ラ・ベンタ《彫刻の森》野外美術館
   [10]飛行機の話3(1997)




1997年7月15日(火)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
 ゆっくりのんびり8時に起きて、朝食はホテルのレストランで9時半から。今日は休養日として、1日ホテルのビーチでまったりするのだ。
 パラソルの下に椅子を持ってきて、海でちゃぷちゃぷしたり、プールの入ったり、本を読んだり眠ったり。飲みものはビーチ脇のバーで注文すると持ってきてくれる。
 そろそろ日差しも弱まる午後4時。一旦部屋に引き上げてシャワーを浴びよう。あー、でも私達(小田蘭&J)の部屋、タオル一式が部屋に準備されていないよ。廊下にいたベッドメイクの人に頼んだけど、
『ちょっとまって』って言ってどこかに行ったきり結局持ってきてくれなかったし、部屋の電話は何故か繋がらなくなってるし、いったいなんだ? しょーがないからNちゃんたちの部屋からバスタオルを1枚借りてシャワーを浴びる。
 2人ともシャワーを浴び終わってNちゃん達の部屋へ行ったんだけど、叩いても誰も出てこないし私達の部屋の電話は繋がらない。どうしたんだろうと思いつつも何もできなくて、部屋で寝てたらどうやらNちゃんとKちゃんは2人で散歩に行ってたらしい。もー、一声掛けてから行ってくんないと分からないじゃ〜ん。20:00近くなってKちゃんが部屋に来てそのこと判明。で、今日の夕食はプールサイドのレストランで食べることにする。
 休養日で気が緩んだのか、今日はすごく眠い。昨日は全然平気で25:30くらいまで起きて葉書書いたりしてたのに。だからかなー。ビーチでも眠ったのに、夕食中からもう眠くって、今日は早めに就寝です。


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   [11]怪しいスペイン語の覚え方




1997年7月16日(水)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
入場料/亀の博物館? 10.00 150
 昨日のうちに予約をしていた船に乗って、今日はイスラ・ムヘーレスに行きますよー。
 やっぱりリゾートではのんびりしなくちゃね。ってことで(?)朝はゆっくり8時起床。歩いて船着場に行くと船に乗る人が沢山待っていた。乗船時間になって乗り込むと、船の中にはパンと飲み物の軽い朝食が用意されていて、好きなものを取ってきて食べるぞー。人に対してパンが少ないのか、沢山食べる人が多かったのか、あっという間になくなってたね。
 これから船に揺られるのに食べるの? って思う人もいるかもしれない。でも、私はお腹が空いているとダメな人なのですよ。以前、オーストラリアで船に乗った時のこと。な〜んか気持ち悪い。船酔いした? と気持ち悪さに耐えていたのだけど、お昼を食べてから乗り込んだ帰りの船では全然そんなことはなく、これは私、普通の人と逆でお腹に物が入っていないとダメなのかもしんない、と学習したのです。プーケットで船に乗った時は、行きも帰りもごはんを食べた後だったから平気だったしね。
 ということでパンを食べて船から海の底を覗いたりしていると、さすがラテンアメリカン? すっごい陽気な船員達がアトラクションを始めて、30分程の乗船もちっとも退屈せずにすぐに島に到着。
 まずはビーチ! NちゃんとJがシュノーケルをしに他の船に乗り換えていき、残りはビーチでの〜んびり。パラソルと椅子をキープしてだらりんと過ごした後、近くにある亀の博物館みたいな所にいくことにした。1人10ペソでいろんな亀さんを見学。そしてビーチに戻ってさらにのんびり。私は一人で少し離れたところまで歩いていって、誰もいない海に入ってちゃぷちゃぷしてきたりした。人がいないと砂が巻き上がらないから海の水もすっごく澄んでるよ。腰あたりまで海につかってぼーっとしてると、なにやら足にくすぐったいものがあたる。なんだ? と見ると魚がまとわりついているんだよ! こんな浅瀬でこんなに魚がいるなんて! 海は限りなく透明で、船に乗ってる時も下を見ると海の底までが見える! 本当に海の水? プールみたい。実感がないくらい、本当に綺麗。私としてはグレートバリアリーフより好きかも。
 シュノーケルの人達が戻ってきて、お昼は皆で船に乗り込んで移動して昼食バイキング。本当は昼食を食べた後にイルカのショーが見れる予定だったんだけど、イルカが病気とかでショーは中止。うーん、残念。
 またもや船に乗り込んで移動。移動中に海賊の格好した兄ちゃんと姉ちゃんがやってきて一緒に写真撮ったりもしつつ、島のダウンタウンへ。街の土産物屋ストリートを歩いてると
「ジャパン」とか「トモダチプライス」「ヤスイ」等々、今んとこ日本人は見かけないけど、やっぱりここにも結構日本人来てるんだろうなー。しかし、値段はちっとも安くない。パレンケやビジャエルモッサに比べると数倍違うもん。結局、Jがパレオを120ペソで買っただけ。
 で、アイスを2つ買って4人で食べながら歩いてたら、東洋人っぽいお兄ちゃんがバイクで脇を通り過ぎていった。向こうもなにやらこっちを気にしながら通り過ぎていった雰囲気だったんだけど、しばらく歩いたらそのおにいちゃんが道端でバイク止めて立っていたのね。あ、さっきの兄ちゃん・・・とか思いながら脇を通り過ぎようとしたら、
「Are you Japanese?」って話しかけられたよ! 先頭を歩いてたNちゃんが最初話し掛けられたらしいんだけど、「Are you japanese? 」って聞かれて「Yes」って答えたら「Me too」だって。Nちゃんも驚いたみたいで、え? 「Me too」ってことは、この人も日本人? って。その後「あ、僕も日本人です」だって。「Me too」ってなにさ、「Me too」って(笑)。日本人だよって言ってるんだから日本語で「僕もです」とか言えばいいのでは(笑)。そうやって英語が出ちゃうところが海外にいるって感じ出してるよね。私もたった1週間でも海外に行って、帰国した入国カウンターで「Thank you」って出ちゃうもん。
 この兄ちゃんはアメリカから入ってきたバックパッカーで、この後8月いっぱいかけて南米縦断してチリまで行く予定って言ってた。いいなー、私もイースター島とか行きたいな〜(念願かなって2005年に行きました!)。
 16時前にイスラ・ムヘーレスを出て、カンクンに着いたらそのままホテルへ。Nちゃんは日射病ぎみで部屋でダウンしていたけど、残りはみんなプールでひと泳ぎ。やっぱり1日太陽のあたる海にいると体力消耗しちゃうよね。Jも早々にダウンしてしまったので、小田蘭とKちゃんだけでさみしくホテル内レストランで夕食して、サクっと睡眠。体力回復してまた明日から遊びましょ♪
 あ・・・。明日はもうメキシコシティに戻るんだった(汗)。


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   [12]Are you Japanese?




1997年7月17日(木)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
タクシー代/
ホテル→カンクン空港(1台)
90.00 1,346
昼食/6人分チップ込み 283.50 4,238
 カンクンからメキシコシティへは、アエロメヒコで約2時間。今回は途中下車飛行機じゃなかったよ(笑)。
 朝食は飛行機の機内食ですませて、っと。本日はメキシコで動ける最後の日だからね、いろいろお土産とかを買わなくちゃ。やっぱ会社を休んできているわけなので、何かしらは買っていかないとね。
 それにしても、会社に入ってからこの時期(6月〜7月)は食欲ガタオチの時だってのに、この旅行中はしっかり毎食平らげているなぁ。やっぱ休暇だから? 体もリラックスしているのかしらん。会社に入ってからそんな体調になっちゃったから、家ではあまりエアコン使うことのなかった私の体が(電)車内と社内のエアコンで体温調節機能が狂ったかのかもしんない。旅行中はエアコンのきいた場所よりも外に出ていることが多いからそういう機能が狂うこともなかった、ってのもあるかもね。
 そーか。これから梅雨時〜暑くなる時期には旅に出かければいいのだ!(笑)

 メキシコシティの空港で空港職員を何人も巻き込んでリコンファームに奔走(というか、リコンファームしたくてウロウロしていたらいつのまにか黄色いジャンパーを着た空港職員に囲まれていた私達(汗))。その1人、リカルドは日本に婚約者がいるとかで、明日私達が帰る時に手紙を渡すから日本で投函して欲しいとのことだ。うーん。まぁメキシコからエアメイルするより日本国内で郵便した方が安くはなるだろうけどね・・・。
 結局リコンファームは旅行会社がやってくれていたらしい。助かったけど、助かったけど・・・。それなら最初にチケットくれる時にそう言ってくれーっ。今回はツアーじゃないから自分達でやらなくちゃ、っていらん手間を使っちゃったじゃないのさ。それに、本当はリコンファームというのは出発の72時間前までにするべきものなのだ。明日の午前中にメキシコシティを飛び立つ私達が今頃やっても遅いってもんだけど、カンクンで何度電話しても繋がらなかったんだもーん! まぁ、やってくれてたんならそれでいいや。ちゃんと飛行機に乗れれば問題なし。

 さぁ。空港でやるべきこともすませたし、ホテルに荷物を置いたらお土産を買いに出かけようか〜!
 う・・・・・・。
 小田蘭とJが案内された部屋、バスルームが工事中でやんの。なんじゃこりゃー! とホテル側に言って部屋を変えてもらって、Nちゃん&Kちゃん達とは離れた階になっちゃったけど、ちゃんと工事中じゃない部屋に案内してもらう。むーん、でも前の部屋やNちゃん&Kちゃん達の部屋の方が広いし明るくて、いいなー。まぁ仕方ない。壊れたバスルームの部屋よりはいいや。
 メキシコっぽいお土産物屋が沢山集まるシウダデラ市場へ向かい、メルカド(市場)が閉まる16時までたっぷり見て無事に会社へのお土産もゲットしました。これで一安心。
 すっかりゴハンが遅くなっちゃったけど、その後レストランへ。やっぱり最後はメキシコ料理でしょう! タコス! トルティージャ!!
 お腹一杯になって、帰りがけにスーパーに寄ってお買い物。「お土産」として売られているものじゃなく、メキシコで普通に売っているお菓子が欲しかったの。調味料とかも見ていると面白いしね。

 ホテルに戻って荷物をつめて、なんだかんだと今日も早々と沈没する私達でありました。お昼ごはん(と言うのか?)食べたのが夕方だったし、しかもお腹一杯食べたし、早く寝ちゃっうから夜ごはんいらないなぁ。もうちょっとお昼時間を早めにすれば、夜も食べられて楽しいのにね。今度来るときはしっぱりゴハンのペース配分もしなくちゃ(笑)。




1997年7月18日(金)〜19日(土)
明細(一部抜粋) 外貨 円貨
空港使用料 129.00 1,929
朝食/4人分 82.70 1,236
 飛行機の時間は10:30。このくらいの出発だとめちゃくちゃ早起きじゃなくても大丈夫だからありがたいよね。
 朝ごはんは空港についてから。・・・と思ってやってきたら、チェックインのカウンターに向かうまでの間に昨日のリカルドにバッチリ会ったよ。昨日のリコンファーム騒動で航空会社は知られているし、この航空会社の乗り入れは週に何本もないから時間もすぐに分かるだろう。もしかして時間に併せてカウンター周辺はってた? ってくらいすぐに見つけてくれちゃったよ、リカルド〜〜〜。黄色いチャンパー着て空港の案内人とかじゃないの? 私達と一緒に朝ゴハンとか食べてていいのかな。ちゃんと日本の婚約者へのお手紙も預かったし、大丈夫、ちゃんと日本で投函するから。
 結局彼は、私達がチェックインをした後一緒にゴハンを食べ、空港内をウロウロする私達についてきてくれ、最後の最後のセキュリティチェックのゲートを通ろうとした時も
『大丈夫か? 分かるか?』と更に一緒に中へ入ってこようとしたのでした。
 大丈夫! 分かるから!
 となんとかゲートでさよならしましたが・・・。


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   [13]飛行機の話4(1997)