『うさぎとシーラカンス。』

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SCARLET LABEL 第2弾公演/第25回下北沢演劇祭参加作品
『うさぎとシーラカンス。』

わたしは。
半分「ましろ」で、半分「よしなが」だ。

胸に何かが詰まって、涙をこらえる時のような苦しさが残る。
詰まっているのは何かの種で、ゆっくりと発芽してわたしの体に根を張っていく。

大切な人にハグしてもらいたい。
よしよしと頭を撫でて、背中を優しくぽんぽんと叩いてもらいたい。
それが叶わぬものならば、このまま毛布にくるまって眠りに落ちてしまいたい。

これが初見で観終わった直後の感想。

確かに後を引くお芝居だった。

W主演の1人で「よしなが」というおじさんを演じていたのは伊藤ヨタロウさんだ。
彼の人の佇まいは雰囲気があって、それが胡散臭いカミサマ(@キレイ)でも、今回のようなおじさんでも、舞台上にいるだけでその役の人となりを感じさせて引き込まれていく。
それにしても。
どうして彼の人が出る舞台というのは、こんなにも感情が揺さぶられるんだろう。

本業はミュージシャン...とは言っても役者歴ももう長く、役者としても唯一無二の存在感だ。
大舞台から小劇場まで、人ならぬカミからヤクの売人のこともあれば今回のような普通のおじさんまで。
ミュージシャンであり、舞台音楽作曲家であり、音楽監督、プロデューサーであり、役者であり、小説も書けば絵も描ける。
ヨタロウさんとその周りにいる人を見ていると、本業ってなんだろうなと思う。
本業とか副業とか、そんなことで分けるのは無意味だと。
やりたいことをやっている。
それがその人そのものだ。

今回この舞台を観に行ったのはもちろんヨタロウさんが主演を務めるというからだったけれど、まさかここまで芝居自体にどっぷり浸かるとは思わなかった。

12月の情報公開時から出ていたキャッチコピーがこれ(↓)
  「ねぇ、おじさん。結婚する前に一度抱いてみる?」
  親子として育ててくれたおじさんと、わたしの恋の物語。

これ、最初は「おじさん」と「わたし」の恋物語なのかと思ったけれど、句読点の入り方が重要だったのだと観劇してからしみじみ思う。
「おじさん」の恋と、「わたし」の恋。
そして、「おじさん」と「わたし」の、それを恋と呼んでいいのかも分からない切ない思い。
うん、秀逸だ。

惚れた女の、自分の子ではない娘を引き取って育てているおじさんと、その娘それぞれの恋愛模様と心の内。
かつて惚れた娘の母親「みゆき」への「よしなが」の想い。
どんどん「みゆき」に似てくる「ましろ」に対する「よしなが」の想い。
「みゆき」の「よしなが」への想い。
「ましろ」が両親へ抱く想いと「よしなが」へ向ける想い。
それらが交差していく後半は観ていて胸が苦しくなってくる。

「ましろ」は小説を書く。
 「いま悩んでいることを書くことで整理していく」
というようなことを言うシーンがあるのだけれど、「うさぎ」と「シーラカンス」に擬えて書くweb小説『ミエナイウサギ』はまさに「ましろ」と「よしなが」のことであり、そこに登場する「オスのうさぎ」は婚約者「かたせ」のことだ。
それを読む「よしなが」の営む古書店で働くパートの「ときこ」、「かたせ」の妹「のんのん」、そして「よしなが」。
興味もなく読むことをしない婚約者「かたせ」。

あぁ、それにしても。
ほんにオンナというのは業が深い。
母娘で同じ男に同じ仕打ち。
 「ねぇ、よしながくん。一度抱いてみない?」
 「ねぇ、おじさん。結婚する前に一度抱いてみる?」

惚れた女に「一番信頼している人」と言われて他の男との子供を託され、好きだった女にどんどん似てくる娘のように育てた女「ましろ」。
「よしなが」が"だった"と過去形で語った一節は、惚れた女の面影を残す娘に今は心惹かれていることの無意識の言葉選びだったのだろうか。
「ましろ」に「みゆき」を重ねて見ているのだろうか。
飼っているうさぎを「ましろ」を呼び、避妊手術をした病院に迎えに来た2人を動物病院の医師「みなみの」は友人の「かたせ」に2人は男と女の雰囲気に見えたと言った。
親子のような関係の、血の繋がらない男と女。

男の弱さといじらしさ。
自分の想いを内に隠して見守る切ない優しさ。
そして、寂しい女の激しい胸の内。

いかにも女性が書いた脚本だと思った。
目新しい設定ではないけれど、これは本だけで読んでいたらもっとキツイかもしれない。
プロデューサーと演出が男の人なのが多少中和されてよかったのかもしれないな。
いや、それとも逆にキツイ部分が余計露わになったのか。

「ましろ」は世の男性の夢なんだろうか。
自分好みに育ったかわいい娘に「抱いてみる?」と言われてみたいんだろうか。←『源氏物語』?(笑)
年の離れた若くて綺麗な女の子にエプロン姿で帰宅を迎えてもらいたいんだろうか。
しかし「かたせ」は「ましろ」の書く小説に興味はない。

「よしなが」というおじさん像は女子の願望なんだろうか。
見返りを求めずいつも静かに見守ってくれて、間違った時も頭ごなしではなく優しく諭してくれる。
絶対に裏切らず、無茶なことを言っても最終的にはハグして背中を撫でて頭をぽんぽんとしてくれる。
なんて都合のいいおじさん像なんだ!
あぁもう、そうならざるを得なかったおじさんを思うと切なくて涙が出てくるよ。
そしてそれを受け入れてしまうおじさんの弱さといじらしさ。
母娘で同じ事を言われて、思わず吐露するやるせなさ。
わたしは、そんなおじさんをこそハグして抱きしめて癒してあげたい。
それはわたしがオンナであるからだろうか。

最後の結婚式のシーンは、洋装が「ましろ」と「かたせ」で、和装が「うさぎ」と「シーラカンス」で、それを静かに見守るおじさんがなおさら切ない。
また上手くオンナゴコロを掴む脚本と演出だと。

ヨタロウさんの佇まいと表情と動きは、もう本当に優しいけど孤独な哀しさを漂わせるおじさんにしか見えなくて。
これがこの間まで胡散臭いカミサマを1ヶ月半も演っていた同じ人かと!
W主演の秋山莉奈さんはグラビアアイドル出身ということだけれど、こちらもどうしてどうして演技巧者でした。
最後の迫力ある独白にはぐいぐい引き込まれていき、女として共感できない部分も多い役柄だけど、一部ではひどく共感してしまう部分もあり。
ポップでキャッチーなフライヤーとは違って胸にずしんとくる舞台でした。

どんどん苦しくなりながらそんなことを思って観つつも、少し落ち着いてくるといろんな所に目もいくもので。

舞台美術の善永古書店の設えがいい。
古書店の引き戸の扉に書かれている「善永古書店」のフォントが好きだ。
扉の内側のカーテンの使い方もいい。
そして舞台セットとして本棚を左右から閉じると現れる「ましろ」の書く小説中の単語の数々。
その壁が取り払われると「ましろ」を捉える格子の囲いが残る。

「善永古書店」の扉に当る照明がうっとりするほど綺麗だった。

オープニングで「うさぎ」と「ましろ」が顔を見合わせると同時にかかる音楽から始まる演出もいい。
音楽自体は全編昭和歌謡というのはちょっと行きすぎのような気もしたけれど、そこまで徹底しているのもまた世界観としてアリなのかも。

そして90分の舞台なのに登場人物は皆さんそれぞれに衣装替え。
主人公2人はもちろん、小説の中の登場人物を演じる人は2役で衣装を変えて現実での役もある。
ヨタロウファンとしての目線は当然ヨタロウさんで...(笑)。
冒頭のインバネス姿にキタコレ!とドキドキして、古書店主の眼鏡にヤラレ、パジャマ姿に萌え、最後は花嫁の父としての正装という、手を変え品を変えの4着それぞれがオイシイ。
インバネス姿はもっとじっくり見たかったわぁ。


で、お芝居についてこんな感じでヤラレまくっておりましたが、その他周辺関係で思うトコロは次に畳んで書いておきます。
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これだけいろいろ書いておいてオトすのもなんなんだけど...。
カーテンの中央が外れて欲しい所で外れなかったり、完全に閉じるべき所で微妙に閉じ切れていなかったり、というのはまぁご愛嬌。
中日あたりでは微妙に台詞が詰まってしまった人がいたり、そこはそれで皆さん上手くリカバリーしていたし気になることではなかったけれど。

本番の舞台以外の所では微妙な部分があれこれあったりもしました。
まぁここを見ることはないと思うけれど、プロデュースや制作の方は若いみたいだから今後に期待ってことで。

CoRichで前売りを予約した際のメールに、振込から1週間過ぎても連絡がなかったらご一報を...と書いていながら10日以上連絡がなかったり。
CoRichから当日精算で前売り予約をした人に対しての「受付ました」連絡がなくて予約されたのかされていないのか不安になっていたりとか。
CoRichの出演者扱いページがなかなか対応されていなかったり。

裏の進行スケジュールがどうなっていたのか見えないから何とも言えないけれど、12月上旬にこの舞台の情報が小出しに公開されていたにも関わらず初日直前までチケット販売状況が芳しくなかったようなのって、小劇場と言えどももうちょっと宣伝を上手くできればよかったのになー、とか。
初日3日前に公開された稽古場取材インタビュー(http://entre-news.jp/2015/02/17598.html)と、同日リニューアルされた特設サイト、初日の夕方のYahooニュース(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150226-00000035-minkei-l13)、でやっとあらすじが分かるってのもねぇ。
脚本・演出・役者の名前だけでどこまで集客できるかってこともあるけれど、●●さんが出ているなら絶対行くー!という熱心なファン以外にも集客かけるんだったら、ある程度の内容も公開しないと観に行くかどうか判断しずらいと思うんだけど、どうですかね?
どこまで公開するかのさじ加減って大事よね。
蓋を開けてみれば連日当日券まで盛況だった様子ですが、前売りの動きが良くないのって出演者にとっても結構ストレスだしさ。

あとねー。
togetterでまとめるなら最後まできちんとやってほしかった(http://togetter.com/li/788493)。
千穐楽の日の昼までの投稿で終わってしまっているのが中途半端だよ。
集客の為に「観た人の感想」をまとめたかったのは分かるんだけど、それなら公演が始まる前からもう少し内容を公表した方がよかったと思うし、せっかくまとめサイトを作ったなら大楽が終わってからの感想もまとめてほしかったな。
それが次に繋がるってことじゃないの?
プロデュース公演の第二弾ってことは今後も続けていく気はあるんだろうし。
劇中であれだけ昭和歌謡曲を使ったんだから、曲目リストを作ったりとかさ。

なんというか、制作面で観客に対して中途半端な感じがした今回の公演でした。
制作は、役者に対して心置きなく演技に集中してもらえるように周りを采配するのが大事。
それは前売りでの集客だったり、稽古スケジュールだったり、舞台に関わる諸々の人達との連携だったりする訳ですが。
それと同じくらい観に来る人に対しての気配りも重要だと思うのですよ。
だって観に来てくれる人がいないと成り立たないんだから。
小劇場と言えど少なくないお金が動くんだしね。
チケットの件でも前述したように心配させるようなことをしちゃダメだと。
そして、予告動画...というかスライドショー(http://youtu.be/pqCmUbVX3xc)も主演が自ら作るんじゃなくて制作がやることでしょ。

って、わたし何様かって感じですが。
思うに私の制作の基準ってキャラメルボックスになっていると最近思うので、小劇場関係者に対して高望みしすぎなのかもね。
でも!
かつてオシゴトでWEBサイトの管理運営をしたり、マーケティングをかじったり、研究会や講演会の運営側にいたり、プライベートでも販売イベントの売り子やったり、ホール公演の主催関係者に近い所にいて手伝うことも出演することもある身としての一意見でした。

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小田蘭
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このページは、小田蘭が2015年3月 1日 23:48に書いたブログ記事です。

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