間違っていたり危ないことに対して気付かせてくれる人の話を聞けない人は、それを妬み嫉みだと解釈するのか...
そりゃまともな人は離れるし集まるのは本人と同じような人ばかり。
一緒にやってて自分以外はメジャーに行ったことあると言うのもさもありなん。
そりゃ、そうやって人の話をきちんと聞けない人が上に行けるわけない。
向う側にいる人はちゃんと見てる。
つぶやきの最近のブログ記事
来週もおそらく残業ちゃん。
メリハリつけて飲みにも行く!
気になるけれど自分のことではないので対処すべき人に伝えて数ヶ月。
何度か伝え続けるも聞く耳持たず対応されず(というか出来てない理由を並べたてる)、さすがにマズイ状況になってきたので上と周りを巻き込んで正常化に向けてどうにかこうにか。
あっちもこっちもなんだかなー。
外から対応できることはあっても、本人とその中にいる人達にとっていい状態ではないのです。
ちゃんとその中で解決できるようにしないと繰り返されるからね。
しかし「和解した」って、対話を拒否し続けてる側が言うことではないよね?
逆の立場が言うならまだ分かるんだけど。
話さえしない、するつもりもない、そういう人が何をもって和解したって言うんだろう。
だから人の話は聞いた方がいいと......
なんであれ根本的な所を解決しないと人は離れていくんです。
私と一緒にオシゴトしていた方が別な業務を担当する為に違うグループに引っ張られていき、ものの1ヶ月と経たずに契約更新しない判断をした。
業務変更の前から度々その状況は聞いていたし、今後は現状を改善していくということだったけれども改善される様子はさっぱり見えなかったらしい。
そりゃあそうなるでしょうね。
最近そこの上長からも相談されてそっちの火の粉も降りかかりそうなんだけど、そもそもの所を何とかしないと何人入れ替わっても同じことの繰り返しですよ。
火の粉が降りかかってきたついでに、ここでなんとか根本を変えていきたい所存です。
「怒る」のはエネルギーを使うとは良く聞くことだけど、私はまだまだエネルギーがあるのか理不尽だったりおかしいことには怒るし正攻法でぶつかっていっちゃう。
普段はそうなる前に対象と距離を置くことが多いし、雰囲気がそう見えないからなのか(そうなのかな?)怒る人だとは思われないみたいだけどね。
仕事とかプライベートである程度まで関わった人には、何かあったら「怒る」というよりなんとか伝えたくて試行錯誤しちゃう。
結局それもエネルギーなんだなー。
有り余ってるのか? 私のエネルギー。
去年連絡を貰った時は時期的に誰も動けなくて仲間のお店もやってなくて、自粛期間中に買ってあったビールと日本酒と近所の飲み屋でその人と縁があるカップ酒を買わせてもらって一人止まらない涙の中で飲んでいた。
今年は馴染みのお店に集まって皆で思い出話をしながら飲んできました。
そして地元に戻ってきてからもう一杯。いや、二杯か。
こうやって飲めるお店がある有り難さ。
早すぎだよもう!
問題なく動いているように見えているのは問題がないからではなく問題を解決している人がいるからです。
どんな所の誰でもそうだけど、人の話は聞いた方がいいよ~。
結局は自らの首を絞めることになるからね。
組織大改編に付随して業務ボリュームが増えるのに4月からは私に付いてくれている人がいなくなることになりまして、その状況を知った人達が自部門他部門問わずに「え?! それ大丈夫なの?」と言うってことはそういうことですよね。
今でさえ周りからは「それ一人でやってるの?」と驚かれてるのに(付いてくれている人がいるから出来てます)。
自分も周りも上には伝えているけど対応されずに4月を迎えてしまう......
しかも、これヤバくない?なんとかしないとダメだよ!なんとかしよう!!というものも見ちゃったのでどうしましょうかね。
大改編が大波乱になりそうだ。
とはいえ自分の首も周りの首も締める気はないので、まぁ適度にこなしていくさー。
気付かなくても扉を閉めても目を瞑って耳を塞いでも、そこで起こっていることが無くなるわけではない。
自分のことであれば文章でも数式でも振付でも煮詰まった時は暫く寝かせればなんとかなる。
そのうち良い方向が見えてくる。
私もいくつか踊る予定が入っているので状況は静かに見守りつつ、準備だけは粛々と進めていきます。
無事にできるかもしれない。
延期になるかもしれない。
突然できなくなるかもしれない。
どうなるか分からないけど、だからこそ自分が観に行く予定にしていて実施するものには元気な状態で予定通り参ります。
サマー・オブ・ソウルのサントラ配信が始まってAmazon Music流しっぱなしにしながら在宅勤務。
思考不要な単純作業の時は音楽かけながらオシゴトできるのがいいですね。
この辺の音楽は通ってこなかった(英語圏の音楽を聴いてこなかった)ので今更新鮮に聴いてます。
「むぎ」と「こめ」。
「ぶどう」には辿り着けず。
こういう時だからこそ、要請範囲内できちんと対策して営業している友人知人のお店に行きたいし、もちろん諸々制限がなくなった後も引き続きね。
悲しいかな考え方やスタンスが浮き彫りになり、表向きと実態の乖離が垣間見えて残念な気持ちになる事も多いなか、なんであれどういう考えであっても話ができる人と場は大切です。
※要請に従わないお店はダメということではなく。
KARAKURI
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13223593/
「自分がおかしいことを言うようになったりダメになったと思ったら、直接そう言ってほしい」ということを自ら周りに問う人がいる。
そういうことを言う友達がいて、その人と繋がりのあるミュージシャンがそう言っていることを聞いたこともあって、「同じだ!」と思ったことがあります。
そうやって自分を客観視する意識を持てている人は大丈夫。
耳の痛いことでもきちんと伝えてくれる人が周りにいて、それを受け取ることができる人はおかしくならない。